プロローグ 〜生駒山〜
月谷真慈が生まれ育ったのは、東生駒という生駒山地の東の麓の町である。
その標高630メートル程の生駒山を中心とする山地は、大阪のカオスな喧騒と奈良ののんびりとした静けさを隔てるように県境にそびえていて、山頂にはちょこんと電波塔が建っているのが見える。
それほど高い山ではないが近くで見るとこの山も案外雄大なものだ。それに美しい。
朝には朝日が深緑色の山肌を明るく照らし、夕方になれば夕焼けによって朝とは違い山が真っ赤に燃えるように綺麗な景色となる。峠からは、名前は無いが小川が流れ、それに沿って田畑やススキ野原が広がり、秋になれば紅葉とともに山を彩る。
そんな山である。
その豊かな山の下に東生駒の町があり、真慈は生まれた時からこの山を見上げて暮らしてきた。
幼い頃、体の弱かった真慈は、母親とよく車で生駒山にある祖父母の家へ遊びに行ったものである。父の仕事が忙しくなかなか家に帰れないので、真慈になるべく寂しい思いをさせないように母が気を使ったのだろう。
祖父に山に連れていってもらい、木に登って虫を捕まえたり、小川に足を入れてみたりして、夜は祖父母の家に泊まる。そんなことを週末などよくやっていた。
祖父母はいつも優しかった。母の両親で家は母の実家である。畑に種をまいたり実をとったりすることも祖父母と一緒にやった。山のどこへでも案内してくれるし、転んで泣いていたら慰めてくれた。真慈にしてみれば父の代わりだった。
元々山に遊びに来ないかと最初に言い出したのも祖父で、それを母が受け入れたのも母にとって頼れる存在だったからなのだろう。
祖父母宅から少し登ったところには略山池という大きな池がありそこが小川の水源になっている。
さらに急な坂道を登ると略山峠に出る。峠の上には民家や茶屋もあり、そこまで祖父と山道を登り、石畳に座って夕日の大阪を眺めたこともある。いつも夕焼けの生駒山を見ていた真慈にとって、山から夕日を見るのは特別な気分だった。
あの綺麗な夕焼け山の中に今自分はいるんだ。そう考えると自分自身がこの山と一つになっているような気がした。
しかしそんな山での日々も小学校の低学年あたりまでで、それ以降は山に行くことは無くなった。中学受験の勉強が急がしくなってきたからだ。もちろん祖父母宅に行くこともなく、祖父母との連絡は年賀状くらいのものになった。
その頃には携帯ゲームが主な遊びとなり、山で走り回っていた記憶も時間の流れとともに徐々に薄れ、忘れ去ろうとしていた。