四気神 冬はつとめて
吹雪の中にいる。
寒い。苦しい。怖い。痛い。
身体が凍る。耳が千切れる。手先が固まる。呼吸が乱れる。
もはや歩くことすらままならない。
限界を迎えた私の体は、積雪の上に仰向けで倒れた。
痛い。痛い。寒い。苦しい。怖い。
ただでさえ悪かった視界が霞んでいく。
体の感覚が指先から、腕から、足から、端から消えていく。
自分が死んでいく、その感覚の恐ろしさ。
怖い。苦しい。寒い。怖い。怖い。
・・・今にも閉じそうな視界に、ぼやけた人影が写った。
吹雪を呼ぶ雪人か。それとも、私を迎えにきた死神か。
どちらにせよ、私はもう・・・
「大丈夫、安心して」
誰かが、私の手を握ろうとする。
(ああ、お迎えが来たんだ)
そんなことを思っていた、
けれど。
差し出されたその手は、不思議と暖かくて。
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―夢を見ていた気がする。
視界が僅かに開ける。でも、ここは・・・何処?
「―痛っ!」
おぼろげな意識に、途端に痛みが走った。
痛い。何か身体に無理をしたのかもしれない。
何か・・・何があったか・・・
寝起きと痛みのせいで、頭が回らない。
そもそも、ここは何処なのだろう?
まるで、昔話に出てくる家のようで・・・
「大丈夫?」
聞き覚えのある声がする。
「だいじょうぶ、です」
ふと気づくと、目の前に人が居た。
「おはよう、起きたんだね」
誰か・・・出会ったことのある、誰か。
銀色の髪、灰色のマフラー、青と紺の着物。そして、優しげな表情。
まるでお地蔵様みたいな、暖かい雰囲気をしていて・・・
思い出した。
私を助けてくれた、あの人。
「あの・・・あなたの、名前は」
「私?」
「私は和山冬拠。この家に住んでる、神さま」
神様?
「・・・えっと、神様、というのは?」
「ああ、そのままの意味だよ。大した神様じゃないけれどね。
冬の精霊・・・あるいは地霊、って言ったほうが解りやすいかな」
神様、精霊、地霊。・・・ううん、更に混乱してきた。
いや違う、問題はそこじゃない。
あの人・・・神様は、私を助けてくれた。何故かは解らないけれど。
そう、助けてくれた理由があるはず。だからきっと、この神様は―
「・・・だいたい解りました。人助けの神様、なんですね」
「その通り、とは言えないけど・・・あなたがそう思うなら、きっとそうだよ」
何だか、曖昧な返事が返ってきた。
厳密に定義するものではない、という事なのかもしれない。
少なくとも私にとっては、人助けの神様だ。
「まだ痛んだりすると思うし、安静にしててね」
・・・お気遣いをいただいてしまった。
助けてもらって、その上に看病まで・・・
有難さと同時に、申し訳なさが心の中にある。
「あの、僕には返せるものが何も無くて・・・」「いらないよ」
「えっ?」
「人を救うのが私の意味。見返りなんていらないよ」
「えっ、それ、は―」
見返りは、いらない。
・・・その一言に呆然として、言葉に詰まってしまった。
こういう事は、初めてだったから。
「私の意味」というのは・・・そういう神様だから、という事だろう。
自分の為でなく、人の為ですらないかもしれない。
(ああ、この人は、本当に・・・神様なんだ)
この神様は、神様として、人を愛しているんだと。
「どうしたの?」
「・・・あっ、大丈夫です。少しびっくりしただけで」
「そう、それなら良かった」
神様の一言で、意識がはっとする。少し気を取られすぎてしまっていた。
意外なことばかりで、心はまだ落ち着かない。
それでも、「安静にしててね」と言われたことだし・・・もう一度寝るべきだろう。
「その、もう一度寝ます」
「うん、私もその方が良いと思うよ。おやすみなさい」
非現実感、そして少しの感動。
そんな感情を抱きながら、再び眠りについた。
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認められなかった。
誰からも、認めてもらえなかった。
親の愛、というものが解らなかった。
友達もいなかった。
気に掛けてくれる人も、今まで居なかった。
"居なくていい"とは言われたけど、
たった一度も、"居ていい"なんて言われなかった。
虐められていたわけでもなく、
その世界の中で、普通に生きていくことはできたけれど・・・
疎外感を感じる。
背中に寒さが伝わるような、孤独。
私はきっと、ここに居てはいけない・・・
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―夢を見ていた気がする。
「おはよう」
神様の・・・冬拠さんの声がした。
少し肌寒い風。小鳥のチュンチュンという鳴き声。
そして、僅かに日が差し込む部屋。
・・・朝がやってきた。
「朝ごはん、丁度できたよ」
私の分も、朝ご飯を作ってくれているらしい。
・・・本当に、何から何までやってもらっている。
「見返りはいらない」なんて言われたけど、せめて最後に、
「ありがとう」とだけは言っておきたい。
「おはようございます、冬拠さん」
「おはよう。水溜めがそっちにあるから、そこで顔を洗ったりしてね」
水溜め?
そういえば、ここは現代家屋じゃなかった。現代と比べると、
多少生活に不便があるかもしれない。
布団から身体を起こして、部屋を観察する。
―確かに、ここは木造の住宅だ。
そして炬燵が・・・ある。それも現代的な・・・
「・・・この家、電気通ってるんですか?」
「そうだよ。びっくりした?」
確かに和風な家に似合いはするけれど・・・何と言うか、
いきなりリアリティが出てきた。
「あの、理由はお聞かせ願えますでしょうか」
「理由?」
「んー、説明すると長くなるけど・・・まず、私の住んでる世界は、
あなたの住んでる世界とは別の世界。分かりやすく言えば霊界だね。
本来なら行き来することは難しいんだけど、
この家・・・迷い家は、あなたの世界にも繋がってる、っていうのが理由」
「なるほど、だから電気が通ったり、僕がこの家に来たりすることがある・・・という
ことで?」
「うん、そういうこと」
霊界。
そう言われると、また途端に非日常感が増してきた。
確かに私は今、常識や日常、現実からかけ離れた空想の世界に居るのだ。
布団から出て、顔を洗いに行く。
もしかしたら、まだ夢の中なのかもしれない。
そんな事を想いながら。
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「いただきます」
ごはん、お味噌汁、金平。
現代でもよく見る、普通の朝ご飯だ。
特に変わったところはなく、普通に美味しい。
「あぁ、お味噌汁が身体に染みる・・・」
ふと気づくと、冬拠さんが幸せそうな表情を浮かべていた。
・・・この人、こんな顔もするんだ。
「お味噌汁、好きなんですか?」
「おいし・・・うん、お味噌汁は好きだよ。食べ物の中なら一番好き。
食事は必要じゃないけど、それでも毎日食べるくらい」
冬拠さんは、お味噌汁が本当に好きなようだ。
ところで、食事が要らないと言うのはどういうことなのだろう。
「あの、食事が必要じゃない・・・というのは」
「んー?それはね・・・簡単に言えば、神様だからかな」
「そうなんですか」
「うん。信仰があれば、とりあえず生きられるからね。普段は面倒くさがりだから、お味噌汁しか作ってないよ」
普段はお味噌汁しか作っていない、とは・・・。
"神様だから食事がいらない"という言葉以上に、そっちが衝撃だった。
つまり、今日は私のために三品用意した、ということだから。
きっと冬拠さんは、家に誰かが来るたびにこうしている。人助けの神様だから。
それでも、この底無しの善意は、いったい何なのだろうか。
有難くて、申し訳なくて、涙が、出そうで・・・
「うっ、うう・・・」
「どうしたの?」
「ごめんなさい・・・本当に、ごめんなさい・・・」
「・・・もしかして、申し訳なくなっちゃった?」
「わ、解るんですか・・・?」
「今までそういう人、沢山見てきたからね。気が済むまで泣いていいよ」
「うう・・・ごめんなさい・・・」
―今こそ、ありがとうと言うべきだったのに。
感謝の言葉は言えぬまま、私は泣き続けた。
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「ごちそうさまでした」
美味しかった。
あれから気持ちも落ち着いて、これで・・・
・・・これで、帰らないといけない。
これ以上、冬拠さんに迷惑をかけるわけにもいかない。
でも、それでも、私に帰る場所は・・・
「あれ、どうしたの?」
「・・・僕には、帰る場所がないんです」
「それは、家から追い出された・・・とか?」
それは違う。
でも、あの場所に私は居てはいけない。
此処だってそうだ。私が居るべき場所じゃない。
「そうじゃない、けど・・・僕は、あの場所に居るべきじゃない、から」
「僕はここから居なくなるべきで、でも、帰る場所もなくて・・・」
・・・また、感情が乱れてしまった。
また迷惑をかけてしまう。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
だからといって帰る場所もない。一人で生きていけるわけじゃない。
居てはいけないのに、私は今もここに居る。私は、私は、どうすればいい・・・
「居るべきじゃない、なんてことは無いと思うよ」
「え、でも、僕は、私は・・・」
「君の家や家族がどうなのか、私にはわからないけど・・・追い出しはしなかったんでしょ?」
「そう、だけど・・・」
「例えあなたが何者でも、君はそこに居ていい。・・・少なくとも、私はそう思うよ。
勿論、辛いのならここに居てもいい」
・・・居ても、いいのだろうか。
いや、居ていい、と言われてしまった。
少なくとも、この場所には。
「・・・居て、いいんですか?」「いいよ」
「・・・帰っても、いいんですよね」「勿論」
「それなら、僕は・・・私は、帰ります」
・・・そうだ、帰ろう。
きっと、あの場所に、自分の家に、私は居ていいのだ。
もし、駄目だったとしても・・・救いがある。
冬拠さんという神様がいる。それだけで、この上なく有難かった。
「そう、帰るんだね。元気になって良かったよ」
そう言った冬拠さんは、心からの笑顔をしていた。
炬燵から出て、玄関に向かう。
見送りに、冬拠さんもついてきた。
「あっ、そういえば忘れてたけど・・・あなたの名前、なんて言うの?」
「・・・雪路浅日。あさひ、です」
「あさひ・・・うん、良い名前だね。きっと、願いが籠った名前だよ」
名前。願いの籠った、名前。
・・・ああ、なんで忘れてたんだろう。
そうだった。この名前は、お父さんとお母さんがつけてくれたんだ。
「日の出」という意味の、愛の込められた名前を。
思い出した。これが、親の愛なんだ―
玄関の外。
外には雪が積もり、穏やかな朝日が差していた。
最後に、挨拶をしないと。
「さようなら、それと―ありがとう、冬拠さん」
「どういたしまして。また辛くなったら、何時でもここに来てね」
冬はつとめて。
朝日は、次第に空を登って行く。




