表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/28

第26話:奈落の収穫と、見えざる同業者

フロスト・オーガの巨大な魔石を喰らい、極大氷穴のさらに奥深くへと歩を進める。

 魔石から吸収した純度100%の極上の経験値は、俺の体内で圧倒的な熱量となって燻り、マイナス三十度の極寒を完全に相殺していた。


 俺の肉体スペックが今すぐ上がるわけではない。強制的かつ暴力的な細胞の再構築が行われるのは、あくまで月末に訪れる『システム更新』の瞬間だけだ。

 普通の人間なら、これほどの高純度のエネルギーを直接飲み込めば、とっくに容量オーバーで内側から破裂しているだろう。だが、完全に人間を辞め、バグを起こした俺の器には『限界』という概念が存在しなかった。


 喰らえば喰らうほど、経験値はどこまでも圧縮されて熱を増し、月末の更新で跳ね上がる『レベルの上がり幅』を狂わせていく。

 前回は10から15へ飛んだ。ならばこの一ヶ月で、この階層の経験値を底なしのバケツに限界まで注ぎ込み続ければ、次はどうなるか。

 その未知の暴発への期待が、俺を底知れない飢餓感へと駆り立てていた。


 人間社会の未練も、紙幣という名の無価値な紙切れへの執着も、今の俺には一切ない。

 ただ、この果てしないダンジョンの底へと潜り、極上の熱を喰らい尽くす。それこそが、完全に人間の生態を捨て去った俺の存在意義となっていた。


     * * *


 数時間後。俺は極大氷穴の深層、地形がより凶悪に牙を剥く『大裂溝クレバスエリア』へと到達していた。


 見渡す限り、氷の平原が凄まじい地殻変動でも起きたかのようにズタズタに裂け、底すら見えない漆黒の奈落が網の目のように口を開けている。

 その奈落と奈落を繋ぐように、何万年もの時間をかけて形成されたであろう『巨大な氷の天然橋』がいくつか架かっていた。


 俺は迷彩外套のフードを深く被り、巨大な氷柱の陰から、眼下に架かる一本の太い氷の橋を見下ろした。

 幅十メートル、長さ五十メートルにも及ぶ分厚い氷の架け橋。

 そこを今、地鳴りのような足音を立てて渡っている『群れ』があった。


 体長四メートルを超える、白銀の装甲を持った巨大なサイ。第六階層の群れを成す魔物、『グレイシャル・ホーン(極氷角犀)』だ。

 鼻先に生えた一本の巨大な氷の角は鋼鉄すら容易く貫き、全身を覆う分厚い氷の装甲は、先ほどのオーガ以上の絶対的な硬度を誇っている。それが、ざっと数えただけでも二十頭以上、列を成して重々しく橋を渡っていた。


 一頭一頭が、莫大な経験値を内包した極上のメインディッシュ。

 だが、この数を相手に真っ向からハンマーを振り回すのは、俺が掲げる『冷徹で徹底的な合理性』に反する。


 いかに俺の力が常軌を逸していようと、二十頭の巨大な装甲獣を相手に大立ち回りを演じれば、確実に体力と時間を消費する。暴れ回るサイの突進で氷の足場が崩れ、俺自身が乱戦の中で奈落へと巻き込まれるリスクもある。


「……一匹ずつ潰すのは、もはや効率が悪いな」


 俺は極めて冷たい思考で、目の前の獲物たちをただの『数字(経験値の塊)』として一括処理するための計算を弾き出した。


 群れの先頭が氷の橋の中央に差し掛かり、最後尾が完全に橋の上へ乗り切った、その瞬間。

 俺は音もなく氷柱の陰から滑り出し、氷の橋の『根元』――絶壁と橋が繋がっているアーチの付け根へと無音で跳躍した。


 サイたちは鈍重だ。突進の威力は凄まじいが、足元の僅かな気配の変化に気づくほどの鋭敏な感覚は持ち合わせていない。

 俺は橋の根元の氷壁に張り付き、腰のホルダーから『屍冠の紅槌』を静かに引き抜いた。


 狙うのは、魔物の極厚の装甲ではない。

 何万トンもの氷の橋を支えている、極めて脆弱な構造のキーストーン

 俺のレベル15の視覚が、氷の結晶の僅かな歪みと、最も応力が集中している亀裂のポイントを正確に可視化していた。


 大きく息を吸い込み、数百キロの紅いハンマーを両手で固く握りしめる。

 そして、俺自身のフルパワーの筋力と、ハンマーの理不尽な質量を乗せた一撃を、サイの群れではなく、足元の『氷の橋の根元』に向かって全力で叩き込んだ。


 ――ドゴォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!


 落雷のような凄まじい轟音が、大裂溝に木霊した。

 紅いハンマーの絶対的な破壊力が、橋の構造の要を原子レベルで完全に粉砕する。

 バキバキバキッ! と、この世の終わりかのような不気味な破砕音が連鎖した直後。


 長さ五十メートル、重さ数万トンの巨大な氷の橋が、中央から真っ二つにへし折れ、自らの重みに耐えかねて完全に崩落したのだ。


「ブモォォォォォォッ!?」


 橋の上を悠然と歩いていた二十頭のグレイシャル・ホーンたちが、突如として消え去った足場にパニックを起こし、絶望的な咆哮を上げた。

 だが、空中ではどんな分厚い装甲も、凄まじい突進力も、一切の意味を持たない。

 合計数百トンにも及ぶサイの群れは、崩れ落ちる何万トンもの氷の瓦礫と共に、底すら見えない漆黒の奈落へと真っ逆さまに落ちていった。


 俺は崩落する橋の根元から絶壁へと素早く飛び移り、片手で氷の壁に張り付きながら、その光景を冷たく見下ろした。


 数秒後。

 遥か下方の暗闇の底から、ズドドドドドォォォォンッ!! という地鳴りと共に、分厚い装甲が砕け散り、巨大な肉の塊がひしゃげる凄惨な破壊音が響き渡った。


 自分の手は一切汚さない。重力という絶対的な物理法則を利用した、不可避の大量処刑。

 暗闇の底から、絶命した二十頭のサイたちが一斉に光の粒子となって霧散し、奈落の底を青白く照らし出した。

 残されたのは、氷の瓦礫の山に無数に転がる、極上の魔石の山だけだ。


「……さて、収穫の時間だ」


 俺は無表情のまま、絶壁の氷の凹凸に指を引っ掛け、重力を無視したような異常な身体制御で、クレバスの底へとスルスルと滑り降りていった。


     * * *


 奈落の底は、崩落した巨大な氷の瓦礫が山のように積み重なる墓標と化していた。

 ブリザードの風すら届かない、完全に静止した凍てつく暗闇。

 俺はその瓦礫の山を音もなく歩きながら、青白い光を放つ魔石を拾い集め始めた。


 足元に転がっている一つの魔石を拾い上げ、掌の中で強く握りしめる。

 ズズズッ、と純度100%の極上の経験値が、俺の皮膚を通して直接体内へと吸収されていく。一つ、二つ、三つ。

 圧倒的な熱量が底なしのバケツへと流れ込んでいくのを心地よく感じながら、俺は順調に瓦礫の中から魔石を回収していった。


 だが、五つ目の魔石が転がっている氷の裏側に手を伸ばした時。

 俺の手は、ピタリと止まった。


「…………」


 拾い上げたその魔石は、光を放っていなかった。

 それどころか、俺がまだ一切の経験値を吸い取っていないにもかかわらず、その結晶はカスカスに乾ききり、指で軽く触れただけでサラサラと『灰』になって崩れ落ちたのだ。


 俺は目を細め、周囲の瓦礫の隙間を素早く確認した。

 あそこにも、あそこにも。

 俺が落とした二十頭分の魔石のうち、すでに七つ、八つの魔石が、俺以外の『何者か』の手によって完全にエネルギーを吸い尽くされ、ただの空っぽの灰と化して転がっている。


 あり得ない。

 俺が橋を落とし、サイたちが死んで光になってから、まだ数分しか経過していない。

 魔石の経験値を直接喰らうことができるのは、俺という異常なバグを除けば、このダンジョンに巣食う『魔物』だけだ。


 だが、この静まり返った奈落の底には、今、俺以外の足音も、巨大な魔物の気配も、息遣いすらも一切存在しない。

 レベル15の異常な探知能力をもってしても、暗闇のどこにも『敵の姿』は見えなかった。


 その事実が導き出す結論は、一つしかない。


 俺が来るよりもずっと前から、この奈落の底を完全に自分の『テリトリー』として支配し、上から落ちてくる魔石(あるいは獲物)を音もなく横取りしている、見えざる同業者ハンターが潜んでいる。


 俺は拾いかけた灰を静かに床へ落とし、紅いハンマーの柄にそっと手を添えた。

 極限まで気配と心音を殺したまま、一切の音が消えた漆黒の暗闇をゆっくりと見回す。


 一方的で退屈な収穫作業は終わった。

 ただの狩り場が、一瞬にして、底知れない殺意の満ちた『罠の巣』へと変貌していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ