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第18話:ドブ鼠のすれ違いと、五千万の経費

探索者街の裏通り。

 黒塗りの現金輸送車が慌ただしく走り去った後、俺はひどく重くなった安いリュックを背負い直して、買取店を後にした。


 リュックの中には、深層の魔石の山と引き換えに手に入れた、五千万円という帯付きの札束がぎっしりと詰め込まれている。

 普通の探索者なら、これで危険なダンジョン通いを引退し、安全な街で一生遊んで暮らすか、あるいはタワーマンションでも買いに行くような大金だ。

 だが、俺の心臓は一ミリも高鳴っていなかった。この五千万という紙切れの束から、経験値の熱は一滴も得られないからだ。


「……さて。必要な『経費』を落としに行くか」


 俺にとっての五千万は、目的ではない。

 第五階層の狂獣の森で、あの極上のバケモノたちをより安全に、より効率的に屠り続けるための「ただのツール(狩りの経費)」に過ぎなかった。


 俺は血と泥にまみれた服のまま、探索者街で最も煌びやかな大通りへと足を向けた。

 まず向かったのは、白亜の『高級ポーション専門店』だ。


 カラン、と上品なベルを鳴らして入店すると、清潔な制服を着た店員が俺の姿を見てギョッと顔を引き攣らせた。だが、俺がリュックから無造作に一千万円の札束の山をカウンターに叩きつけると、彼らの態度は一瞬で最上級の顧客へのそれへと変わった。


「ち、中級治癒薬ですね! 本日は何本ご用意いたしましょうか……っ!」

木箱ダースでくれ。在庫を全部出せ」


 俺は平坦な声で告げた。

 俺の異常な出力で深層の魔物を暗殺し続ければ、いずれ俺自身の肉体や骨にも不可視の疲労が蓄積する。少しの怪我で「回復のための休養」を取るなど、経験値効率が悪すぎる。最高級のポーションを水代わりにがぶ飲みして、無理やり身体を回し続けるための『燃料』だ。


 店員が震える手で用意した、数十本の中級治癒薬が詰まった重い木箱を肩に担ぎ上げ、俺は次の店へと向かった。凄腕の職人が営む、高級防具のテーラー(仕立て屋)だ。


「……いらっしゃいませ。どのような鎧をお探しで?」

「鎧はいらない。重いし、歩くたびに微かな金属音が鳴るからな。……俺が欲しいのは、『外套マント』だ」


 俺はカウンターに、残りの数千万円の札束をすべて積み上げた。


「防御力はゼロで構わない。刃を通すような分厚い布もいらない。その代わり、第五階層の腐葉土に完全に擬態する迷彩機能と、俺の体温、そして『匂い』を一切外に漏らさない、完璧なステルス機能だけを追求した特注品を出してくれ」

「ぼ、防御力ゼロで、隠密に極振りした外套……ですか。確かに、深層の『変幻蜥蜴カメレオン・リザード』の皮をなめした最高級品が裏の倉庫に一つだけありますが……あれは一千五百万もする上に、一撃喰らえば死ぬので誰も買わない不良在庫でして……」

「それをくれ。釣りはいらない」


 俺は札束を押し付け、そのひどく薄く、周囲の光を歪めて溶け込むような不気味な外套を羽織った。

 素晴らしい。第五階層の森の匂いが、俺の体臭を完全に上書きして遮断している。


 これで、五千万円の札束は綺麗に消え去った。

 高級な食事も、女も、ふかふかのベッドもいらない。ただ「経験値を稼ぐ効率」のためだけに、全額を躊躇なく溶かしきったのだ。


「……完璧だな。さあ、ビュッフェの続きだ」


 俺はポーションの詰まった木箱を担ぎ、迷彩の外套のフードを深く被って、ダンジョンの入り口へと続く大通りを歩き始めた。


 その時だった。

 大通りの前方が、にわかに騒がしくなった。


「道を開けろ! ギルドの監査だ!!」


 怒声と共に、重武装の誇り高きトップクランの探索者たちが、道を塞ぐようにして歩いてくるのが見えた。

 すれ違う一般の探索者たちが、怯えたように道を譲る。


 俺はフードの奥で、微かに目を細めた。

 集団の先頭を歩いているのは、見覚えのある顔だった。同級生の天才、剣崎だ。取り巻きを引き連れ、眉間に深い皺を寄せて周囲を鋭く睨みつけている。


「……クソッ。裏の換金所に、第五階層の魔石が数十個も持ち込まれただと? ギルドマスターが激怒している。市場の相場が崩壊しかねない異常事態だぞ」

「はいっ! 監視カメラの映像では、泥まみれの単独の男だったと……!」

「単独で第五階層の主クラスを乱獲できるわけがないだろう! どこかの巨大な闇組織が、ダンジョンの生態系を意図的に荒らしているに違いない。絶対にその泥まみれの実行犯を炙り出せ!!」


 剣崎たちが、血走った目で周囲の探索者たちを品定めしている。

 どうやら、俺がさきほど換金所にぶちまけた「規格外の富」が、大パニックを引き起こしているらしい。


(……面倒なことになったな)


 もしここで呼び止められ、持ち物を調べられれば、木箱の中の大量の高級ポーションと、この一千五百万の外套から、確実に「実行犯」だとバレる。

 だが、俺は歩みを止めることも、怯えて媚びへつらうこともしなかった。


 俺は一千五百万のステルス外套のフードを深く被り直すと、レベル10の異常な身体制御能力を、『気配の完全遮断』へと全振りした。

 心音を極限まで遅くし、筋肉の摩擦音すらゼロにする。


 そのまま、俺は立ち止まる一般探索者たちと、怒り狂う剣崎たちの集団の『ど真ん中』を、歩調を変えることなく真っ直ぐに歩き抜けた。

 すれ違う瞬間。俺の肩と、剣崎の肩が数センチの距離で交錯する。


「……ッ!?」


 突然、剣崎がビクンと身体を震わせ、顔面を蒼白にして振り返った。

 レベル5の天才の直感が、首筋に冷たい刃を当てられたような『死の悪寒』を微かに感じ取ったのだ。


「誰だッ! 今、俺の横を……!」


 剣崎が血走った目で背後を睨みつける。

 だが、彼の視線の先には、木箱を担いで歩き去っていく、ただの風景に溶け込んだ外套の男の後ろ姿があるだけだった。

 足音もなく、気配もなく、存在感すら感じさせない幽鬼のような歩み。剣崎の目は、俺を「生物」として認識することすらできず、そのまま見失った。


「……剣崎さん? どうしました?」

「い、いや……気のせいか。クソッ、ピリピリしすぎてるな。行くぞ!」


 剣崎が冷や汗を拭い、再び歩き出す声が背後から聞こえた。

 俺は一度も振り返ることなく、外套の奥で冷たく、そしてひどく退屈そうに息を吐いた。


(同級生の天才か。相変わらず、無駄なことにエネルギーを使ってるな)


 レベル5の天才が束になって吠えようが、レベル10の俺にとっては、もはや道端の石ころと変わらない。

 あいつらのごっこ遊びに、付き合ってやる義理はない。俺が求めているのは、他者からの賞賛ではなく、己の血肉を果てしなく作り変えていくあの絶対的な経験値の熱だけだ。


 誰にも正体を知られることなく。

俺は、第五階層の深い闇の中へと再び歩みを進めた。

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