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第16話:最硬の泥鎧と、一方的な暴食

第五階層、狂獣の森。

 鬱蒼と生い茂る巨大な樹木群が陽の光を遮り、森の中は昼間でも薄暗く、ひどく湿った空気が澱んでいる。


 その腐葉土の深い層に、俺は完全に同化して潜伏していた。

 全身に泥と強烈な匂いを放つ樹液を塗りたくり、心拍数を極限まで落とす。肌の上をムカデや羽虫が這い回るが、眉一つ動かさない。


 俺の視線の先、数十メートル離れた巨木の根元に、今回の『獲物』がいた。


 体長四メートルを優に超える、巨大な熊の魔物。

 ただの熊ではない。全身を覆う鋼線のような硬い毛皮の上に、第五階層特有の粘り気のある泥を幾重にも浴びて乾燥させた、岩盤のごとき分厚い外殻を纏っている。

 深層の魔物の中でも屈指の防御力を誇る絶対的要塞、『マッドアーマー・グリズリー(泥鎧の巨熊)』だ。


(……見事な装甲だ。まるで歩くトーチカだな)


 腐葉土の隙間から、俺は冷徹にその巨熊の首元を観察した。

 一番装甲が薄いはずの顎の下ですら、分厚い泥の鎧が何層にも重なり、完全に弱点を保護している。あんなものを真正面から剣で斬りつければ、どんな名剣だろうと一撃で刃こぼれし、弾き返されるだろう。

 この前まで使っていた5000円の安い鉄杭なら、打ち込んだ瞬間にひしゃげて俺の手首が砕けていたはずだ。


 だが、今の俺の腰には、あの裏通りの親父が打った『最高傑作』がある。


(あの漆黒の牙杭がどこまで通用するか。……一番硬い奴の、一番分厚い装甲で試させてもらう)


 常識外れの力(レベル10のステータス)と、最強の武器を手に入れた。

 ならば、正面から堂々とその装甲を打ち砕いて強さを誇示するのが、英雄というものだろう。


 だが、俺はそんな酔狂な真似は絶対にしない。

 俺は巨熊が、仕留めた巨大な大蛇の肉を平らげ、太い木の幹に背中を預けて微睡み始めるまで、腐葉土の中で三時間でも四時間でも、ただじっと待ち続けた。

 どれだけ己の数字が跳ね上がろうと、どんなに強力な武器を持とうと、俺の戦術は揺るがない。一発の反撃すら許さず、一方的に命と経験値だけを奪い取る。

 徹底した泥ネズミの流儀だ。


 やがて、巨熊の太い鼻息が、一定のリズムを刻み始めた。

 完全に熟睡している。


 俺は腐葉土の中から、一切の音も殺気も立てずに、幽鬼のように立ち上がった。

 レベル10の異常な身体能力は、もはや「速く動く」ためだけのものではない。「筋肉の一本一本までを完璧に制御し、一切のブレや振動を起こさずに歩く」という、神業のような隠密行動を可能にしていた。


 深層の魔物の鋭い嗅覚も、野生の勘も、俺の接近に全く反応しない。

 俺は音もなく巨熊の懐へと潜り込み、その巨大な顎の下、泥鎧が最も分厚く重なっている『絶対に刃を通さない首の付け根』のゼロ距離に立った。


 左手に握った漆黒の『牙杭』の先端を、その岩盤のような泥鎧にピタリと押し当てる。

 そして、右手に持った『魔骨の重槌』を、静かに、だが確かな殺意を持って頭上高く振りかぶった。


(いただきます)


 心の中で短く呟き。

 俺はレベル10の全筋力を右腕に乗せ、コマが回転するような完璧なフォームで、重槌を全力で打ち下ろした。


 ――ゴフッ!!!


 深い森の中に響いたのは、金属が弾かれるような派手な爆発音ではなかった。

 ひどく重く、鈍く、そして滑らかな『貫通音』。


「……っ」


 巨熊の巨体が、ビクンと一度だけ跳ね上がった。

 それだけだった。悲鳴すら、咆哮すら上がらない。

 俺の全力の出力を受け止めた漆黒の牙杭は、巨熊の誇る岩盤の泥鎧も、鋼の毛皮も、分厚い筋肉も、そして頑丈な頭蓋骨も――一切の抵抗を感じさせず、まるで薄いボール紙にキリを突き立てたかのように、容易く脳髄を貫通していたのだ。


 圧倒的な物理法則の蹂躙。

 巨熊は自分が死んだことすら認識できないまま、ただの一度の反撃も許されず、パァンッと巨大な光の粒子となって森の空気に弾け飛んだ。


 後に残されたのは、これまでの魔物とは比べ物にならないほど巨大で、黄金色に輝く極上の魔石。


 俺はそれを拾い上げると同時に、腰のホルダーへ武器を収める前に、その刃先を月明かりに透かして確認した。

 あれほど分厚い装甲を全力でぶち抜いたというのに、漆黒の牙杭の先端には、刃こぼれ一つ、ヒビ一つ、傷すらついていない。魔骨の重槌の柄も、俺の出力を完璧に逃がしきっていた。


「……すげえな。親父の腕は、本物の最高傑作だ」


 俺は暗闇の中で、口角を深く歪めて笑った。

 裏通りの薄暗い工房で、命を削るように鉄を叩いていたあの無骨な職人に、俺は心からの感謝を捧げた。


 直後、握りしめた黄金色の魔石から、火傷しそうなほどの莫大な熱(経験値)が、腕の血管を遡って全身の細胞へと一気に流れ込んでくる。


「あ、ぁぁっ……!」


 熱い。そして、たまらなく甘美だ。

 同格、あるいはそれ以上の防御力を持つ深層のバケモノを、一撃で、しかもノーリスクで狩り取る。これこそが、俺が五年間求め続けてきた完全な『効率化』の到達点。


 武器が壊れる心配は、もうない。

 俺の出力も、まだまだ底が見えない。


「……これなら、一日何十匹でも、この深層の経験値を吸い上げられるな」


 俺は空っぽになった魔石の残骸を放り捨てると、再び左手に牙杭を、右手に重槌を強く握り直した。

 恐怖はない。あるのは、満たされることのない経験値への果てしない飢餓感だけだ。


 最強のステータスと、最凶の暗殺具を手に入れた一匹の泥ネズミ。

 彼がもたらす理不尽なまでの暴食によって、誰の目にも触れることなく、狂獣の森の生態系そのものが静かに、そして急速に崩壊を始めようとしていた。





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