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鳥籠の少女 〜教会に囚われた少女と教会を憎む少年〜

作者: bob

 ――ああ。いつもと同じだ。


 ドーム型の温室内、中央に位置する台座に寝転ぶ少女は、いつも通り変わらない空を眺めていた。

 太陽は頭上高くに輝き、暖かな陽の光が爛々と降り注ぐ。

 ここには“夜”がなかった。

 その傍には教皇と側近らしき男が下卑た笑いを讃え話し込んでいる。


「コイツは金のガチョウですね。今日だけでもお布施がこんなに…」


「神とは便利なものだ。信じる者が多いほど価値が上がる」


 話し声は少女の耳に届いているはずだが、周辺に咲き誇る草花同様に少女が反応を示すことはない。

 教皇と側近は少女に目もくれず温室から出ていった。

 少女はその背を見送ることなく、ただ静かに瞳を閉じた。


◆◇◆


 変わらず頭上に太陽が輝く中、代わる代わる人々が少女に祈りを捧げる。

 悲痛な祈り、欲深い祈り、ささやかな祈り。

 そのどれもが少女の胸を打つことはなかった。


「新事業の成功を頼みます」

「あの方が私を好きになってくれますように」


 少女は跪き祈る人々を見ることなく、ただ空を見上げていた。

 そんな時だった。

 一人の少年が入ってきたのだ。

 人々はいつも少女を遠巻きに跪くにもかかわらず、少年は少女のそばへ歩み寄る。


「初めまして。僕の名前はレオン、君の名前は?」


 少女は自身の隣で腰を下ろした笑顔の少年――レオンを見た。

 祈りや願いではなく、自己紹介をした人間は初めてだった。


「……私の…名前?」


 ――私の名前…?思い出せない。


 俯き考える少女にレオンは戸惑った。

 名前を即答できないとは、名前を呼んでもらう習慣がないと言うこと。

 “神の御使様”と言う屋号は少女の名前ではないのに。

 レオンは尚も考え込む少女を見て目を伏せた、が次の瞬間顔を上げ笑顔で口を開く。


「もし名前がないなら、僕が付けてもいい?」


 レオンの提案に少女は顔を上げる。

 その顔は心なしか、期待に満ちた表情をしていた。


「うーん、そうだな…。君は綺麗な白銀の髪をしているから…“シルヴィア”!どう?」


 ――私の名前…“シルヴィア”…!


 少女は顔を輝かせ、気に入ったと言わんばかりに頷いた。

 その様子にレオンは照れたように笑う。


「これからよろしくね、シルヴィア」


 ――あ、今…。


 変わらず頭上にあった太陽が動いた気がした。


◆◇◆


 あの日からレオンは度々シルヴィアの元へ訪れた。

 相も変わらず、レオンはシルヴィアへ祈りや願いを囁くことはなく、会話を求める。


「僕は小さい頃、母上を困らせるぐらい腕白だったんだ。シルヴィアは?小さい頃、どんな子どもだったの?」


「……思い出せないの…」


「…そっか。思い出したら教えてね。僕は子どもの頃木登りが大好きでね、それで――」


 シルヴィアの頭はいつも霞に覆われており、記憶を引き出すことはできなかった。

 それを察したレオンは無理に聞かず、自身の思い出をシルヴィアに聞かせた。

 シルヴィアは耳を傾けレオンを見る。


 ――レオンと居ると、空が気にならない。


 レオンの優しい笑顔に、声に、シルヴィアは心地良い時間を過ごしていた。

 そんなシルヴィアに対し、レオンは一瞬だけ言葉に詰まり、それから笑った。


 レオンと何回も、何十回も会う内にシルヴィアに変化が訪れる。


「剣術の指導を受けてるとき、剣を落としちゃってね」


「…それで?怪我はしなかったの?」


 レオンを案じるシルヴィア、レオンは嬉しくなり、目を細めた。


「初めてシルヴィアが僕に興味を持ってくれて嬉しい。怪我はしなかったよ!その後にね――」


 楽しそうに話すレオンを見てシルヴィアも自然と笑顔を浮かべた。


「レオンは私にお願いをしないの?」


 シルヴィアは隣で芝生に横たわるレオンを覗き込んだ。

 質問を投げかけられたレオンは起き上がり、遠くを見つめる。


「しないよ。僕は自分の手で成し遂げるんだ…」


 そう語るレオンの顔は迷っているようだった。


「そうなんだ…」


 二人寄り添う影が初めて会った時に比べ傾いていた。


◆◇◆


 レオンが来ない日、シルヴィアはやはり空を見上げる。

 自身がどうして空を見上げているのか、もう既に忘れている。

 ただの習慣。

 しかし、その習慣を手放したとき、シルヴィアは自身が消えてしまうことを、何となくわかっていた。


 ――やっぱりそうだ。


 頭上に輝いていた太陽は角度を変え、強い日差しは弱まり優しさを見せていた。


「あの人が憎いのです。どうか天罰を」


 変わらず列を成す人々。

 前は一瞥することなく頭上を見上げていたシルヴィアだったが、跪き祈り願いを口にする人々が気になるようになった。


 ――どうしてこの人たちは私に願うのだろうか。


 しかし、それ以上の興味を抱けない。


 ――早くレオンに会いたいな…。


◆◇◆


 レオンの話はいつも楽しい。


 ――大きな水溜り。

 ――木がたくさん生えている場所。

 

「冬は星が綺麗に見えるんだ!前に行った山から見た星空は…。まるで降ってきそうなぐらい綺麗だった」


 ――満天の星空。


「ふふふ、話してるレオンの顔を見てたら私も見たくなっちゃった」


 レオンは笑うシルヴィアを見守った。


「どう言う仕組みかわからないけど…」


 レオンは空を見上げる。

 シルヴィアもつられて空を見上げた。

 昼のように明るかった温室の空は、気づけば夕焼け色に染まっている。

 時間の止まっていた温室の空は、動き出していたのだ。


「いつの間にか夕焼け空だね。もう少ししたら星空が見えるかも」


「星空…。レオンも一緒に見られる?」


「……どうかな」


 いつも笑顔で明るいレオンの表情が暗く沈む。

 シルヴィアは心配そうにレオンの手に自身の手を添えた。


「…レオン?」


「実はシルヴィアに謝りたいことが…」


 遠くから聞こえる大勢の足音に、レオンの口が閉じる。

 二人は揃って入り口を見つめた。

 そこへ――。


「困りますなぁ。レオン殿下」


 教皇が騎士団を大勢引き連れ入ってきたのだ。

 シルヴィアは状況を理解できず、レオンの裾を握る。

 レオンは苦虫を噛み潰した表情で教皇を睨んだ。


「教皇…。それに聖騎士まで」


「神の御使様と個人的に親交を深めてはならない…。そう申し上げたでしょう」


 教皇は空を見上げ、状況を判断する。


「夕焼け…か。まだ猶予はあるな」


 対するレオンは自身の裾を握るシルヴィアの手を掴んだ。

 不安に揺れるシルヴィアの瞳とは対照的に、何かを決意するような瞳。

 そして再び教皇を睨むレオン。

 その視線に気付いた教皇はいやらしく嗤った。


「国王陛下に言われませんでしたかな?教会とは敵対するなと…」


「…お前が。お前たち教会の人間が母上を殺したくせにッ」


「ははは。第二側妃殿下ですか?あの方は異端教徒だったのですよ」


「違う!お前は皇后に買われて…冤罪だったんだ!」


 教皇とレオンの会話を聞いていたシルヴィアは、手足が震えていた。


 ――怖い。


 腕を引かれ顔を見合わせるレオンとシルヴィア。


「レオン、逃げて」


 ――このままだとレオンが…。


 レオンはシルヴィアの手を握り、額を合わせる。


「ごめんね、シルヴィア…」


 シルヴィアの瞳からは涙がポタポタと溢れていた。

 レオンはシルヴィアの涙を指で拭うと、笑顔で口を開いた。


「母上の仇を取るため、シルヴィアに近付いたんだ…」


 シルヴィアは目を見開く。

 悲しいからではない、願い祈るのではなく自身で行動するレオンに驚愕したのだ。


「それでもシルヴィアと過ごせて良かった」


「…待って」


「シルヴィア、さよ……」


 顔を伏せ言い淀むレオンは、何かを決意したように顔を上げ笑顔で言った。


「…またね」


 レオンは立ち上がり、懐からナイフを取り出す。

 そして教皇に向き直った。


「たとえここで死んでも、お前だけは…」


 その表情にいつもの心優しいレオンはいなかった。

 レオンは教皇へ向かって走り出した。


「レオン、お願い!待って!」


 シルヴィアはレオンを止めるべく手を伸ばすが――。

 その手は宙を掴むだけだった。


「騎士団!レオン殿下は乱心された!殺せッ」


 ナイフを手に持ち走るレオン。

 唾を撒き散らしながら指示を出す教皇。

 動き出す聖騎士たち。


 シルヴィアの目には、すべてがゆっくりに映る。


 そして、切り伏せられ地面に倒れるレオン。

 その目はシルヴィアを見ていた。

 何かを言っている口元。


 ――シルヴィア…ごめんね。


「いやああぁぁぁぁぁぁあ!!」


 シルヴィアの叫びに呼応するように、太陽は急激に沈み頭上には満天の星空が輝いた。


「…ッ!?いかん!術師を早く呼べ!」


 夜空を見上げ驚愕する教皇は指示を飛ばすが、既に遅かった。

 目の前で倒れていたはずのレオン、血溜まりを残し姿を消した。

 辺りを見渡すと、温室の中央にずっと居たはずのシルヴィアがレオンを抱いていた。


「まさか…、やめろ!!聖騎士たち、神の御使様を止めろ!」


 教皇の声で一斉に駆け出す聖騎士。

 目の前にはレオンの首筋にゆっくり歯を当てるシルヴィアがいる。


 騎士たちは一様に強大な圧力を感じ手足が震えた。


 神の御使様とは何なのか。

 自分たちが教会に忠誠を誓った子どもの頃から、姿が変わることなく鎮座する少女を、神の御使様と呼び疑うことはなかった。


 しかし目の前にいる少女は“神の御使”などではなかった。


「すべて思い出した…」


 シルヴィアの低い声が辺りに響く。

 騎士たちは立っていることさえできない。

 次の瞬間、自分たちが簡単に天に召されるのでは…。そんな考えしか浮かばないほど、シルヴィアに対して恐れを抱いていた。

 教皇ですらシルヴィアの醸し出す空気に恐れをなし尻餅を付いている。


「ここは…私の鳥籠だったのか」


 シルヴィアが見上げる空は満天の星空が降り注いでいる。

 レオンを大事そうに抱え、立ち上がり歩き出すシルヴィアを誰も止めることができない。


「ま、待て…」


 教皇が小さな声で呼び止めるもシルヴィアは一瞥することもなく通り過ぎた。


 この日、教会が封印していた最古にして始祖の吸血鬼は姿を消した。

 “神の御使様”が消えた教会からは、絶えず弔いの鐘の音が響いていた。


◆◇◆


 山々から吹き込む風の気持ち良い夜。

 シルヴィアの膝を枕にし、眠るレオン。


「…うぅん」


「レオン、起きた?」


「…あれ?僕どうして…?」


 自身が受けた傷は致命傷だったはずだが、レオンには痛みすらなかった。

 シルヴィアはレオンに微笑み頬に手を添える。


「私と同じにしたの…。これはレオンへの罰だよ」


「シルヴィアと同じ?」


 シルヴィアはレオンに自身が吸血鬼であることを告げる。

 そして、死ぬことはできず一生を共に生きなければならないことも。

 レオンは静かに耳を傾け、笑った。


「それは僕にとって罰ではないよ」


 レオンはシルヴィアの頬を撫でる。


 ――あの日見た星空のように綺麗なシルヴィア。


「全部…思い出したの?」


「うん」


 レオンは起き上がり、シルヴィアを見つめる。

 レオンの表情は憎むでもなく責めるでもない、幸せに満ちた笑顔を讃えていた。

 

「…君の名前は?」


「私はシルヴィアよ」


「君はどんな子どもだったの?」


 レオンの質問にシルヴィアは微笑む。


「私はね――」


 満天の星空の下、二人いつものように。


 鳥籠が壊れようやく夜が訪れたのだ――。

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