第2話 :『やめてくれ、その完璧な顔(ツラ)で罵るな』
ギルドで受けた依頼書(あの忌々しくも美しい肖像画)を頼りに、俺は森の奥深くへと足を踏み入れていた。 この三頭身の体にも慣れてきたが、いかんせん歩幅が狭い。前世なら一歩の距離が、三歩は必要だった。
「(それにしても、この世界基準で『醜悪』な魔族が、なぜこんな森の奥に? 人間の『美しい』集落から遠ざかるためか?)」
そんなことを考えていると、開けた場所に小さな泉があった。 水面に映る月光を浴びて、女が一人、佇んでいた。
「……!」
依頼書に描かれた、そのままの姿。 流れるような黒髪。月光を弾く白い肌。アンニュイに伏せられた長い睫毛。 そして、この世界ではありえない、しなやかに伸びた手足と8.5頭身の完璧なバランス。
完璧な「美」がそこにあった。 俺は息を呑み、しばし見惚れていた。
「……あァ?」
不意に、その「完璧な美」が口を開いた。 ゆっくりとこちらを向く、彫刻のような顔。
「んだよ、こんな夜中に。ギルドの使いっ走りか? つーか……」
彼女――魔族幹部『黒髪のアスモデウス』は、俺の三頭身の姿を上から下まで舐めるように見ると、心底不愉快そうに顔を歪めた。
「キッッッショ!! なんだその体型! ダルマか? 神(笑)の寵愛を受けすぎだろ!」
「え……」
「『え』じゃねーよ、この三頭身が! そのずんぐりした腰回り! まさに人間の『美』の象徴ってか? マジ反吐が出るわ! 近くに来んな、ブタ!」
理想の顔、理想の声(だと一瞬思った)から、洪水のように溢れ出る汚い言葉。
「や……」
「あァ? やんのか? その短い手足で俺様の魔法より速く動けんのかよ、この『美しき』冒険者サマ!」
前世の記憶が、今世の現実と衝突して火花を散らす。 頭が痛い。吐き気がする。 あの顔が、あの完璧な造形が、そんな下品な言葉を発しているという事実が、俺の精神をゴリゴリと削っていく。
「やめてくれ……!」
俺は叫んでいた。
「やめろ! その外見に……その顔に、似合わないんだよ! そんな言葉遣い!」
「はぁ? 何言ってんだコイツ。気持ち悪ぃ……」
もう我慢できなかった。 これ以上、俺の「理想」と「現実(魔族)」のギャップを見せつけられるのは、耐えられなかった。
「黙れえええええ!!」
俺は、この三頭身の体に似合わぬ瞬発力で地を蹴った。 魔族は(美しい)目を見開いて驚いていたが、遅い。
「(せめて、これ以上喋らせない……!)」
俺がギルドで覚えたばかりの初級剣技「ショート・インパクト」が、寸分の狂いもなく魔族の胸を貫いていた。
「……が、……は……」
魔族は信じられないという顔で俺を見下ろし、何かを言おうとして、そのまま糸が切れたように泉のほとりに崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……」
静寂が戻る。 泉の水音だけが、やけに響いていた。
魔族は、もう喋らない。 血は流れているが、その顔は、苦悶すら浮かんでいない。ただ、静かに目を閉じ、完璧な「美」を保ったまま横たわっていた。 口を閉ざしたことで、彼女は俺の中の「理想の美女」として完成してしまった。
「……」
俺は、何を思ったか。 まるで何かに引き寄せられるように、その死顔に近づいていた。 月光に照らされた、完璧な唇。
(ああ、こんな顔に、一度でいいから……)
前世の未練が、理性を焼き切る。 俺の三頭身の体が、ゆっくりと8.5頭身の死体(美女)に覆いかぶさろうとした、その時――。
「――そこで何をしている、人間!」
凛とした、しかし間違いなく「三頭身」の体系から発せられた声が、森に響いた。
ハッと我に返る。 慌てて振り返ると、そこには短い弓をこちらに向ける、見事なまでにずんぐりとしたエルフが立っていた。 長く尖った耳だけが、彼女の種族を主張している。
「あ……いや、これは……」
俺は、自分が何をしようとしていたのかを理解し、背筋が凍った。 この世界で最も「醜悪」とされる魔族の死体に、口づけをしようとしていた? この「美しい(この世界基準の)」エルフの目の前で?
「……危なかった」
俺は冷や汗を拭い、目の前の「三頭身のエルフ」に、ぎこちない笑顔を向けた。 厄介な依頼を終えたと思ったら、さらに厄介な(しかし、この世界では美しい)出会いが待っていた。




