第1話 :『この世界、美醜の基準が逆(バグ)ってる』
俺は、自分の腹の出っ張りを見下ろしていた。
いや、これは腹だけの問題ではない。手も、足も、全てが妙に短い。路地裏の水たまりに映る自分の姿は、前世で見た「ゆるキャラ」かなにかのように、見事なまでの三頭身だった。
「……マジか」
数時間前まで、俺は東京のオフィス街で、重いカバンを提げて走り回るしがない出版社のサラリーマンだった。 トラックにクラクションを鳴らされたのが、最後の記憶。 典型的な「異世界転生」というやつだろう。
辺りを見渡せば、レンガ造りの建物、剣を腰に差した人々。ファンタジーの世界だ。 だが、違和感は拭えない。
「おい、見たか? 今の『聖女』様、なんと美しいお姿だった……」 「ああ。特にあの、ずんぐりとした腰回り! まさに神の寵愛を受けし者!」
すれ違う人々が、興奮気味にそんな会話を交わしている。 彼らの視線の先を追うと、そこには街で一番立派な馬車と、それに乗り込む……この世界で一番「太った」三頭身の女性がいた。
俺は混乱していた。 この世界は、どうやら「剣と魔法」だけでなく、「美醜の基準」もおかしいらしい。
生活するには金がいる。それはどの世界でも同じ真理だ。 俺は、情報収集も兼ねて「冒険者ギルド」の扉を叩いた。
「はい、次の方どうぞー」
気の抜けた声。 受付にいた女性も、もちろん三頭身だった。愛嬌があると言えなくもないが、前世の基準なら、まず「ぽっちゃり」の範疇だ。
「あの、登録を……」 「あ、新人さん? じゃあ、ここに名前と……えーと、魂の形を……あ、でも測定器が今壊れてるから、見た目でいっか。うん、キミ、なかなか『美しい』ね! 合格!」
「美しい」 その言葉に、俺は自分の三頭身の腹をさすった。どうやら俺の「魂」は、この世界基準では「イケてる」らしい。
手続きを終え、依頼掲示板の前に立つ。 「ゴブリン討伐」「薬草採取」……並ぶのはお馴染みの依頼。
だが、俺の目は一枚の「高額指名手配書」に釘付けになった。
「緊急:魔族幹部『黒髪のアスモデウス』討伐」
そこに描かれていたのは、一枚の肖像画。 流れるような黒髪、繊細な顎のライン、透き通るような肌、そして完璧な黄金比率で配置された目鼻立ち。 前世の俺が、もし街ですれ違ったら三度見し、雑誌の表紙なら迷わず手に取ったであろう――完璧な、8.5頭身の美女だった。
「……きれいだ」
思わず、心の声が漏れた。 その瞬間。
「ゲッ!! 気持ち悪ぃ……!」 「おい新人! んなモンまじまじと見るなよ。魂が腐るぞ!」
隣にいた、岩のような筋肉を持つ三頭身(たぶん戦士)たちが、露骨に顔をしかめ、唾を吐き捨てた。
「え……?」 「あんな『醜悪』なツラ、反吐が出るぜ。さすが、魂が腐りきった魔族だ。外見にまで『醜さ』が滲み出てる」
――外見にまで、醜さが?
俺は、掲示板の「美女」と、目の前の「岩石のような三頭身」を交互に見た。
その時、脳裏に雷が落ちた。 死ぬ直前、俺が企画書のために読んでいた、あの本のタイトル。
『デブの国と痩せの国』
ああ、そういうことかよ。 この世界は、外見的美しさ(8.5頭身)と、魂の美しさ(三頭身)が、真逆なんだ。
俺は、自分が転生した世界の「理不尽な真実」を理解した。 これは、俺のもう一つの『デブの国と痩せの国』だ。 しかも、前世の価値観を色濃く残した俺にとっては、最悪のハードモードだ。
俺は、その「醜悪な魔族(=絶世の美女)」の討伐依頼書を、力強く引き剥がした。
「……すみません。この依頼、俺が受けます」
前世で付き合ってみたかった理想の美女を、今、この手で討伐しに行く。 まったく、サラリーマン稼業よりタチが悪い。
「……生きるためだ。生きるため……」
俺はそうブツブツと呟きながら、ギルドを後にした。 皮肉な「異世界ライフ」の始まりだった。




