第30話「沈黙の庁舎、囁かれる真実」
その夜、王都の空は澄んでいた。
だが庁舎の最上層に広がる回廊は、凍えるような緊張に包まれていた。
魔導庁上層会議室。
光魔導灯が天井から静かに揺れ、魔導印の刻まれた円卓に七人の男と女が座している。
「“民意に屈した前例”など作れば、次は我々が“問われる側”になる」
ラグナ・ヴィンデルが鋭く言い放った。
「……“施療”ごときに庁内の統制を乱されるとはな」
対する一人、老人の姿をした評議員は静かに呟いた。
「……だが、確かに“変化の兆し”が現れている。
魔導の支配構造に、“別の価値”が食い込みはじめた」
「感情だと? 情緒的幻想に過ぎん」
「幻想が“秩序”を揺らすなら、それはもう“現実”だろう」
言葉の応酬。
だが、それは単なる議論ではなかった。
“ユウト・シノノメ”を巡る処遇は、魔導庁内の“古い統制”と“新しい構造”の分水嶺だった。
「このままでは、彼を“公然と罰する”ことも、“黙認する”こともできなくなる。
我々が“沈黙した”事実こそが、“新しい正しさ”として記録されていくのだからな」
沈黙。
それは、魔導庁という絶対機関にとって、もっとも忌避すべき“敗北”だった。
◇ ◇ ◇
一方、《風鈴の家》の地下倉庫。
ゼラン・アルメリアは、密かに搬送されてきた情報端末を解読していた。
そこには、ユウトの施療に関連する“庁内ログ”と、“極秘指定された人物ファイル”が記録されている。
彼の目が一瞬、鋭く光った。
「……これは、嘘だな」
ログの中に、“ユウトに関する死亡記録”があった。
それは明らかに矛盾していた。
なぜなら、それは“異世界転生以前”、現世の病院による公式死亡診断書と、庁が保持する“召喚時の記録”が二重に存在していたからだ。
「ユウト・シノノメの“死亡認定”と“召喚承認”、同日同時刻。
……おかしい。これは、“何かを覆い隠すためのデータ”だ」
リゼが不安そうに覗き込む。
「何……それ、どういうこと?」
「ユウトの召喚には、庁外部の“意志”が関与していた。
もしかすると、“召喚された理由そのもの”が、今の施療活動よりずっと……政治的に不都合なんだ」
リアが低く声を漏らす。
「つまり……“ユウトの存在そのもの”が、魔導庁の裏を暴く“証拠”かもしれないってこと?」
「……そうだ」
ゼランは、データ端末を静かに閉じた。
「このままだと、“庁が自分の過去を消しに来る”。
ユウトに“記録されたままの死”を、“本当に経験させる”気かもしれん」
◇ ◇ ◇
翌日、ユウトは《風鈴の家》の裏庭で子どもたちと紙芝居をしていた。
いつものように、穏やかで、暖かく、ささやかな時間だった。
だが、その背後に、ゼランがゆっくりと現れる。
「ユウト。……お前に、“見せておくべき記録”がある」
ユウトは子どもたちの頭を撫でてから立ち上がった。
ゼランの視線が、ただ事ではないことを察して。
彼は地下へ降り、情報端末を受け取った。
そこに映し出されたのは、“彼自身の死亡記録”と、“召喚調整データ”だった。
「……俺は、たしかに“死んだ”。それ自体は不思議じゃない。
でも……これは、なんだ。“自我操作の痕跡”? “感情特性抽出”?」
ゼランは答えた。
「おそらく、庁はお前を“試作品”に使った。
“最初の感情移植対象”として、失敗すれば廃棄、成功すれば支配下に置くつもりだった」
「……つまり、俺が今こうしてること自体が、“想定外”ってことか」
彼の目が細められる。だが、怒りよりも冷静だった。
「そうか。……なら、俺はもう一度、選び直すだけだ。
“誰かに与えられた命”じゃなく、“俺が選んだ命”として生きるって」
ゼランが静かに呟く。
「君はいつだって“受け取ったもの”を、自分の意志で“使い直そう”とする。
それが、庁にとって一番都合の悪い行動なんだよ」
ユウトは笑った。
「だったら、もっと嫌がらせしてやらないとな」