第27話「名を取り戻した者、守るべき日常へ」
――夜明け前、王都第七層・搬出用通路。
薄暗い通気口をくぐり抜けた先に、小さな鉄の扉があった。
鍵はゼランの手によって無力化され、今や道は“開かれていた”。
「ここを越えれば、地上に出られる。
あとは、俺の連絡先がある《緩衝地帯》へ移動するだけだ」
ゼランは最後に“彼”――被験者04号の肩を軽く叩いた。
「もう“お前”じゃない。“君”は、名前を探しに行く人間だ。……二度と、他人の名を背負うな」
「……うん。ありがとう」
青年の声は、かすかに震えていたが、確かに“意志”が宿っていた。
それは“模倣された人格”ではなく、“選び取った声”だった。
ユウトは彼の背中を見つめながら、静かに言った。
「歩け。今度こそ、自分の意思で」
青年は、一歩、踏み出した。
◇ ◇ ◇
一方その頃、王都庁舎上層部。
“魔導庁特別監察室”にて、執務官ラグナ・ヴィンデルは激高していた。
「どういうことだ!? 被験体04号が脱走だと!?
誰の許可で拘束を解除した!? 何者が手を回した!!」
副官が恐る恐る口を開く。
「それが……第外郭研究開発官ゼラン・アルメリアが……」
「……ゼランか。やはり“腫れ物”だったか」
ラグナの額に浮かぶ青筋が、彼の怒りと焦燥を物語っていた。
研究予算、庁内権限、成果報告――すべては“感情魔導因子の再現成功”にかかっていた。
「これ以上、好きにはさせん。
“シノノメ・ユウト”……奴の存在そのものが、“施療という概念”を変えてしまう」
彼は静かに、魔導兵部隊への出動命令を下した。
「“対象の施療者ユウト・シノノメ”、および“関連者全員”の拘束を許可する。
理由は“魔導情報の不正流通の疑い”。市民報告の形で隠蔽せよ」
この日、王都は“平穏な顔をしたまま”、ひとつの粛清を開始した。
◇ ◇ ◇
その頃、リゼの部屋。
ユウトとリア、そして彼を追って戻ってきたリゼが、一息ついていた。
いつもより静かな朝。だが、その静けさの中に、確かに“違和”があった。
「……追ってくるね。絶対」
リアが呟く。
彼女の声は、奴隷時代に培った“危機の嗅覚”によって裏打ちされていた。
「今のままじゃ、王都にいられないね……」
リゼが、小さく口を結ぶ。
「でも、逃げるだけじゃ意味がない。わたしは……“逃げ出した街”を、また“怖い場所”にしたくない」
ユウトがゆっくりと立ち上がる。
「だったら、選ぼう。俺たちの場所を“守る”って」
手には、例の“注射器型魔導具”が握られていた。
それは感情を操る魔道の象徴でもあり、“王都の闇”そのものだった。
「これを逆に使う。
“癒し”がどういうものなのか、力じゃなくて“信頼”で示すんだ」
リアが驚いたように目を見開く。
「まさか、公開施療……? あんな危険な……」
「違う。
“王都の中で本当に苦しんでる人”を救うことで、俺たちの施療が“偽物じゃない”って証明する。
ただの逃亡者にはならない。“ここに生きている”って、堂々と示す」
リゼが頷いた。
「……じゃあ、場所は“風鈴の家”がいい。
今、子どもたちも不安で……大人たちも、“何を信じればいいか”分からなくなってるから」
ユウトは、かすかに笑った。
「いいな。“施療”ってのは、本来そういうものだったんだ。
“治す”ためじゃなく、“安心する”ためにある。……たぶん」
◇ ◇ ◇
数日後、王都の一角にて。
《風鈴の家》の前に、小さな立て札が立てられた。
『無料施療会のお知らせ
心が疲れた方、眠れない方、怒りや悲しみに苦しむ方へ。
薬や魔道具ではなく、“感情の言葉”による施療を行います。
治療師:ユウト・シノノメ』
最初は誰も来なかった。
だが、三日目の午後――一人の少女が、父親に手を引かれて現れた。
「……こ、こんにちは」
ユウトは微笑んで立ち上がる。
「よく来たな。怖くなかったか?」
少女は小さく首を振り、父親の背中に隠れながら言った。
「……夜、眠れなくて。……ママのこと、思い出して、胸が痛くなるの」
ユウトは手を差し出す。
「なら、その“痛み”を少し、俺に見せてくれ。
大丈夫だ。お前の“思い出”は、大事なものだ。無理に消す必要なんかないから」
――その日、施療室には、かすかな光が灯った。
それは、“王都の秩序”からすれば歪で、異端で、無許可の行為だったかもしれない。
だが、“人の心”にとっては、何よりも必要なものだった。
そして、遠くからその様子を見つめる、一人の男の影があった。
ラグナの命で派遣された、粛清部隊の影。
「……確認。対象、現在“非戦闘状態”。保護者および対象人数、四名。
実力行使の可否、上層判断を待つ」
だが、その報告を受けたラグナは、わずかに眉をひそめた。
「市民が見ているな……。見せしめの粛清は、“民意を煽る”ことにもなりかねん」
彼は舌打ちをして、命令を中断する。
「次の機会を待て。……奴らの“英雄幻想”ごっこなど、長くは続かん」




