第26話「君は君の名を知るべきだ」
王都・魔導庁地下第七層。
その存在は公には伏せられ、“実験区域”と呼ばれる場所のさらに奥――
数少ない者しか足を踏み入れることを許されない、封印された廊下の先にあった。
「この奥に、“彼”がいる」
ゼラン・アルメリアは重たい鉄扉の前で足を止めた。
その手には、王都での通行認証の刻印が刻まれた特別鍵が握られている。
ユウト、リゼ、リアの三人が、沈黙の中で息を整えていた。
「最後に訊く。君は本当に……自分自身と“模倣された自分”に向き合う覚悟があるか?」
「あるさ。……俺は、逃げない」
ユウトは短く言った。
「“名前を奪われた奴”に、“名前の重さ”を返しに来ただけだ」
扉が開く。
冷たい金属の音が、王都の地底に響いた。
◇ ◇ ◇
部屋の中は、意外なほど静かだった。
魔導拘束椅子に座らされた青年が、壁の一点を見つめている。
黒髪、やや痩せた体格、服の裾には感応式魔導装置の反応ノードが点滅していた。
だが、彼の顔は――ユウトと、よく似ていた。
いや、似せられていた。
構成情報を転写され、感情の反応値までも“ユウトの過去記録”から模造されていた青年。
「君が、……ユウト?」
リゼが思わずそう声をかけた。
青年はゆっくりと顔を上げ、口を開く。
「……僕の、名前は……ユウト。ユウト・シノノメ」
「違う」
ユウトが即答した。
言葉は穏やかだったが、眼差しは揺るがなかった。
「俺が、“本物”だなんて言いたいんじゃない。
お前が“誰かに作られたユウト”として縛られるのは、間違ってる」
「……でも、僕は、“君の感情”を持ってる。君の過去、君の痛み、君の思い出……全部、ここに焼き付いてる。
それでも、“君じゃない”って、どうして言えるの?」
その問いは、哲学的ですらあった。
記録された経験。投影された心。再現された言葉。
もし“同じ想い”を持っていたとしたら、それは本物と何が違う?
リゼが震えながら呟く。
「……違うよ。“記憶”じゃなくて、“選んだ行動”がその人を作るの」
「“本物のユウト”は、私を助けてくれた。
怖がっていた私に、“自分で生きろ”って、手を差し伸べてくれた。
だから私は、……“今”を信じられるようになったの」
リアも続ける。
「“名”は、誰かから与えられるものじゃない。“自分で持つ”って、決めるものなんだよ。
あんたが“ユウト”って名に縋ってる限り、あんたの人生は“誰かの影”だ」
青年の指が震えた。
混乱、焦燥、怒り、絶望――あらゆる感情が脈動する。
再現された心では受け止めきれない“自我の崩壊”が、そこにあった。
「じゃあ……僕は、何のために生まれた? “君になれなかった僕”は、なんの意味があるの……?」
その問いに、ユウトは一歩前へ進んだ。
「“なれなかった”ことに意味なんてない。
だけど、“これからお前が何を選ぶか”には、意味がある。
誰かの人生をなぞるな。お前は……“お前”の名を、探せ」
青年の目に、はじめて涙が浮かぶ。
それは、再現されたデータではない、初めての“感情の自発”だった。
「……名前、欲しい。僕だけの名前……」
「だったら――これから、取り戻せ。
誰の模倣でもなく、自分の足で、歩いていけ」
◇ ◇ ◇
部屋を出た三人に、ゼランが静かに言った。
「記録装置が反応していた。彼は“自我”を持った。もはや、実験体ではない。
……しかし、庁の上層は、彼を“廃棄処分”と判断するだろう」
「逃がすしか、ないな」
ユウトの声に、ゼランは小さく笑った。
「君は面倒くさい男だな。だが、そういう“融けない人間”が、俺は嫌いじゃない」
こうして――
名を奪われた青年は、“奪われた名”から解放され、自分だけの人生を歩み出す。
それが、“自由”か“贖罪”かは、まだ誰にもわからない。




