第25話「名を奪われし者、名を貫く者」
――王都・魔導庁地下第六層、実験室N。
白い光の中で、ひとつの魂が“名”を失い、“名”を渇望していた。
「ユウト……ユウト……」
暗い檻の中で、黒髪の青年が呻く。
その皮膚には焼き付けられたような魔紋が浮かび、左目は焦点を結ばない。
もはや彼は“人間”ではなかった。だが、まだ完全に“壊れてもいない”。
その青年に、錬金官が囁く。
「君は“失敗作”じゃない。君は“誰かの成功を証明する存在”だ。
この痛みも、歪みも、すべては――“ユウト”という名の価値を裏付けるためにある」
その言葉に、青年は微かに微笑む。
だが、それは安堵ではなく――“執着”による模倣だった。
「ユウト……ユウト……ぼくは……」
口の中で繰り返されるその名は、“彼自身のもの”ではなかった。
◇ ◇ ◇
――一方その頃、王都南端・療養区“香水亭”前。
ユウトは、ひとりの人物と対峙していた。
彼の名は、ゼラン・アルメリア。
王都魔導庁の“外郭開発部門”に所属する、数少ない“反主流派”。
「君の名前は……確か、ユウト・シノノメ。噂は聞いている。
感応式療法の生体再現に、初めて“情動変調を伴う安定化”を実現した男だ」
「皮肉な言い方だな。あれは“誰かのために寄り添っただけ”で、研究成果なんてつもりはない」
「だが、それが“王都の魔導倫理”を脅かしている。
……君の方法は、“機械化できない”。つまり“支配に使えない”。それが彼らには、最も不都合なんだ」
ゼランは、紙の束を差し出す。
「これは、第五研究塔で極秘に進められていた“感情再構成因子の実験記録”。
その中に、“君の名を与えられた人間”がいた。……君を模した、被験者04号だ」
ユウトの指が止まる。
「……俺の、名を?」
「そう。“感情の伝播に成功した唯一の人間”として、君の存在が“概念的な器”にされている。
感情を人工的に焼き付けるために、“君の名と記録”を投影することで、被験者に“模倣された共感”を植え付ける……」
言葉が、ユウトの奥に沈んでいく。
(名を……奪われて、利用されている――誰かが、“俺になろうとしてる”?)
背筋に、微かに冷たいものが走る。
「……だからって、俺に何をしろってんだ」
「会うべきだ。“君の名を背負わされた者”に」
「……その先に、何がある」
「さあな。ただし、“君にしか与えられなかった名前”の意味が、どれほどの重さを持つのか――
それは、君自身が確かめるしかない」
◇ ◇ ◇
夜。リゼの部屋。
ユウトは、リゼとリアに今夜の出来事を簡潔に説明した。
「“ユウト”って名前を持った模倣体……それを、俺に会わせたいって」
「……それって、名前だけじゃなくて……記憶とか、性格まで?」
リゼが怯えたように訊ねる。
「たぶん、そうだ。
感情を再現するために、対象に“ユウト”という人間を焼き付ける――人格の擬似生成。
成功すれば、“施療行為”の感情も含めて再現できる。……そういう仕組みだ」
リアが唇を噛む。
「そんなの……人間じゃない。“道具にされた心”なんて……」
ユウトはしばらく黙ったまま、炎の揺れるランプを見つめていた。
やがて、静かに言った。
「……会いに行く。名前を奪われたなら、ちゃんと返しに行くよ。
“お前は俺じゃない”って、“お前にはお前の名がある”って――そう伝えに行く」
リゼがそっと手を握った。
「……わたしも行く。あなたが、名前を渡さなかったように、
わたしも、あなたを“忘れたくない”から」
リアも無言でうなずく。
その手には、あの時の木杖がしっかりと握られていた。
たとえ“名”が他人に盗まれたとしても――
“信じてくれる誰か”が傍にいる限り、それは“奪われない”。
その夜、風が静かに窓を鳴らした。
新しい戦いの始まりを告げるように。




