表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

23/30

第23話「崩れゆく静穏、そして始まりの兆し」

 風が、少しだけ生ぬるくなっていた。


 王都の朝。

 市場通りにはパンと焼き菓子の香りが漂い、人々は慌ただしくも平穏な日常を織りなしている。

 だが、その空気に混じって、ほんのわずかな“違和”が混ざっていたことに、誰も気づいていなかった。


 


 ――王都北部・第二区区画、裏通り。


 朝方、治安隊の巡回が発見したのは、倒れたまま動かない若い青年だった。

 身体に傷はなく、外傷もない。だが、意識は戻らず、肌は異様に冷たい。


 


「……魔力過剰障害か? いや、それにしては魔素濃度が不自然だ」


 治安隊の一人が、眉をひそめる。


「……なんか、“誰かの感情”が焼き付いたみたいな……妙な空気だったな」


 


 そう。

 それは“魔導的再現施療”――感情を魔術式として焼き付ける技術の、失敗作だった。


 表には出ない。

 報告書にも「急性の魔力中毒による昏倒」とだけ記載され、遺族も黙殺される。


 


 だが、確かに――“それ”は王都の空気の底を濁らせはじめていた。


 


◇ ◇ ◇


 


 一方その頃、リゼは市場で野菜を買いながら、小さな袋を大事そうに抱えていた。


 中には、ラベンダーとカモミールの乾燥束。

 ハーブティー用ではなく、“眠れぬ子どもたち”のための香り袋を作るためだった。


 


 福祉施設《風鈴の家》では、リアの活動を受けて、リゼも子どもたちと関わる時間を持ち始めていた。


「わっ、リゼさん来た!」


「今日は何するの? お絵かき? お茶? あ、また歌も聴きたい!」


「……えへへ、じゃあ……今日は、“ふわふわの匂い袋”を一緒に作ろうか?」


 


 ――笑顔。

 その一つひとつが、リゼの“生きている実感”になっていた。


 


 だが、その帰り道。

 リゼはすれ違った一人の男の目に、冷たい何かが光るのを見た。


 


(……誰?)


 記憶にはない顔。

 だが、直感が告げていた。“普通の通行人ではない”。


 


 リゼが軽く背筋を伸ばし、無言でその場を離れようとしたときだった。


「リゼ・メルディナ。あなたの“施療記録”を、私たちは研究させていただきたいのです」


 


 男の声が、背後から静かに落ちてきた。

 冷たく、それでいて礼節を装ったその声に、リゼは一歩立ち止まり――


 


「ユウトさんを通してください。それが礼儀だと思います」


 


 そう、答えた。


 たったそれだけの言葉。

 だが、それは“かつてのリゼ”には絶対に言えなかったはずの、自己主張だった。


 


 男は沈黙し――そのまま、立ち去った。

 だが、その背中が告げていた。“これは終わりではない”と。


 


◇ ◇ ◇


 


 夕方。

 ユウトのもとに、再び“魔導庁外郭機関”からの接触通知が届いていた。


 宛名は「連携施療技術開発部門・中級技官」――

 だが、その文面には、かすかに異様な熱が滲んでいた。


 


『前回のご判断には敬意を表します。

しかし、今後も王都内で施療活動を行う限り、貴殿の技法は法的・技術的枠組みの中に再定義される必要があります。』


 


 つまり、

 「協力しないなら、制度側から“締め出す”ぞ」――そういう意味だった。


 


「……圧をかけてくるか。予想通り、だけど早いな」


 ユウトは静かに手紙を燃やした。


 燃え尽きる灰の中に、“王都という巨大な器”の冷酷さが、にじんでいた。


 


◇ ◇ ◇


 


 その夜。

 静養院の医務室で、リアはひとり、日誌を書いていた。


 


《今日も、リゼは元気そうだった。

 “自分の居場所を作る”ってこと、前はあんなに怖がっていたのに、今は自然にやっている。》


 


 ペンを止める。

 ふと、窓の外を見た。


 


 暗闇の中に、“何か”がいた。

 人影ではない。魔物でもない。ただ――“人の気配が消えたもの”。


 


「……見てる」


 リアの瞳が、かすかに揺れた。


 


 それは“奴隷の過去”が呼び覚ました、生き延びるための感覚。

 闇に潜むものの気配を、身体が思い出していた。


 


 ユウトが、リゼが、王都で築こうとしているものを――

 誰かが、“壊そうとしている”。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ