第22話「日々の光、そして蠢く意志」
王都での暮らしが、少しずつ軌道に乗り始めていた。
リゼは静養院から歩いて十数分、中央市場通り近くの“風見の坂”という住宅地に部屋を借りた。
小さなアパートの二階、東向きの窓からは王都の朝日がよく見える。
築年は古いが、管理人の老婦人は親切で、近隣住民も顔見知り程度には人懐っこい。
「朝ご飯、つくってみたよ……うまくいってるか分からないけど……」
木のテーブルに並べられたのは、パンと卵のスープ、そして炒めた青菜。
不器用な盛りつけに、どこか緊張の面持ちを浮かべたリゼが、ユウトの表情をうかがっている。
「……あー、これは……うまい」
「ほんとに……?」
「スープの塩加減は、前より良くなってる。パンも焦げてないし、十分合格。いや、下手すりゃ俺よりいいかも」
嘘ではない。味に素朴な深みがある。
なにより、“誰かを思って作られた”という温かさがあった。
リゼは照れくさそうに微笑み、カップを両手で包み込んだ。
「……ね、ユウトさん。わたし、この王都に来て初めて思ったの。
“次の日が来るのが、ちょっとだけ楽しみ”って……。昔は、毎日がただの“繰り返し”だったのに」
「それは、お前が“今を生きてる”ってことだよ」
リゼの瞳に、確かな光が宿っていた。
彼女はもう、かつてのような“壊れ物”ではなかった。
◇ ◇ ◇
一方その頃、リアは“福祉施設《風鈴の家》”での活動に加わり始めていた。
そこには、孤児だけでなく、奴隷解放後に引き取り手を失った子どもたちも多く集まっていた。
「よし、今日は野菜カレー作るぞ! 玉ねぎは涙我慢大会ね!」
「うぇぇぇぇ!」
子どもたちの笑い声が、厨房に広がる。
リアはその中心で、少し照れたように笑っていた。
「……私が、教えてもらったこと。今度は私が、誰かに渡す番なんだよね」
ユウトから教わった包丁の使い方、リゼと一緒に覚えた調理の工夫。
どれも、“自分ひとりのため”に覚えたものではなかったと、今なら思える。
それは、小さな希望の連鎖。
傷ついた少女が、別の誰かの癒しとなっていく。
たとえ、まだ未熟でも――
◇ ◇ ◇
だが、穏やかな日々の裏で、確かに“動いている者たち”がいた。
王都魔導庁の裏区画、“第五研究塔・深層区画”。
外部からは存在すら伏せられたその地下で、ある実験が進行していた。
「……準備は?」
「対象体:旧式強化素体“04号”……魔素濃度、安定領域を超過。
脳神経結合、仮想意識層への移行は開始可能です」
「よろしい。“精神同調型療法”のフェーズ3。
――『感情構成因子の魔導変換』、開始せよ」
中央に横たわるのは、一人の青年。
無表情のまま、瞳を閉じたその体には、脈動する魔導管がいくつも接続されていた。
そして、操作室の上層、黒いマントの男がつぶやく。
「……ユウト・シノノメ。君の行為は、美しすぎた。だからこそ……“利用できる”のだ。
人間の感情など、再現できなくては意味がない。だが、それを再現できたら――世界を変えられる」
王都の闇は、着実に牙を研いでいた。
◇ ◇ ◇
その夜。
リゼの新居で、ささやかな“引越し祝い”が行われていた。
焼きたてのキッシュ、果実ジュース、簡単なハーブサラダ。
ユウトとリア、そしてリゼの三人だけのささやかな宴。
「乾杯、ってやつ、してみたいな。なんか憧れてたんだ」
リゼが言うと、リアも照れながらカップを掲げた。
「か、かんぱい……!」
「……よし、じゃあ。『新しい生活に、祝福を』ってことで」
チン――と、陶器の音が静かに鳴った。
笑い合いながら、三人はグラスを重ねる。
その手の温もりが、“今ここにある幸せ”を確かに伝えていた。
だが――夜の帳が下りた王都の空に、ひとつだけ沈まぬ星があった。
それは、“観測魔眼”――誰かが、彼らを“監視している”証だった。




