第2話「冒険者ギルドと、名もなき少女の噂」
街の名前は、ラグノル。
西の交易路沿いにある中規模の商業都市で、冒険者や行商人の往来が盛んらしい。
街を囲む石壁は低く、門の警備は一応あるものの、出入りは割と緩い。俺は親切な馬車のオヤジに連れられて無事に入城し、街並みに目を奪われていた。
舗装の甘い石畳、行き交う人々の装い、獣人や角の生えた種族まで――まさに異世界ファンタジーの世界そのもの。
なにより、空気がうまい。PM2.5もなければ、クレームも飛んでこない。
「……生きてるって感じがするな」
そんな独り言が、思わず口から漏れた。
腹が減っていたので、まずは屋台で焼き串と硬めのパンを買った。
味は……驚くほど、うまい。塩と香草の風味が、染みる。
「おにーさん、旅行者? 珍しいね」
屋台のおばちゃんがにこにこと話しかけてくる。
「ちょっと旅の途中で……泊まれる安宿、どこか知ってます?」
「だったら『木漏れ日亭』がいいよ。あたしの妹がやっててね。おにーさんみたいな真面目そうな人なら歓迎してくれるさ」
「助かります。ありがとうございます」
こういう会話、何年ぶりだろう。
人に笑顔で話しかけられるのも、何かを「うまい」と感じるのも、本当に久しぶりだった。
紹介された宿でひとまず一泊の手続きを済ませ、ベッドに荷物を置く。と言っても、初期装備らしい革の服とポーチだけだが。
「さて……スキルの確認でもしてみるか」
頭の中で「ステータス」と念じると、青白い光と共に半透明のウィンドウが現れた。
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【名前】ユウト
【年齢】33
【種族】人間
【称号】転生者
【職業】なし
【レベル】1
【HP】250/250
【MP】100/100
【スキル】
・再生の祝福(常時)
・ステータス異常無効(常時)
・料理(超)/裁縫(高)/錬金術(高)/農業(中)
・ステータス閲覧
⸻
「うん……戦闘能力は、壊滅的だな」
攻撃スキルは一つもない。レベル1だし、何も装備していない。
けれど逆に言えば、それだけ「生きるための力」は揃っているということか。
「生活で、飯を食う。いいじゃないか」
かつて、満員電車で死んだような目をして通勤していた日々。
数字を追い詰めるだけの資料、上司の罵声、終電を逃し夜明けに自席で仮眠――それに比べれば、この世界での”生きること”は、ずっと優しい。
◇ ◇ ◇
翌朝、俺は街の中心部にある建物へと向かった。
――冒険者ギルド。ラグノルの象徴ともいえる場所だ。
木造の外壁と大きな二階建て。中に入ると、筋骨隆々の戦士やローブ姿の魔法使い風の男女が雑談したり、掲示板の依頼を見ていたりと活気にあふれている。
「いらっしゃいませ。登録希望ですか?」
受付にいたのは、若い女性だった。腰まである茶髪を一つ結びにしていて、対応も丁寧だが、どこか人を値踏みするような視線を感じる。
「はい。昨日来たばかりで、右も左も分からないんですが……」
「では、こちらの書類にご記入を。職歴、得意なこと、使えるスキルなどを明記してください」
職歴、ねぇ……「社畜」って書いてもいいのか? とりあえず、「料理と錬金が得意」とだけ記入しておいた。
「……確認しました。正直、この構成で冒険者になろうとするのは珍しいですね」
「でしょうね……戦う気、あんまりないんで」
「まあ、支援職として依頼に同行するのも立派な戦い方です。評価は実績次第ですし。では、これが冒険者カードになります」
手渡された金属の小さな札。これで俺も、冒険者の端くれってわけだ。
「ユウトさん、少し変わったステータスをお持ちのようですね。噂好きの魔法職が食いつきそうです」
「……そういうのは、あまり広めないでくれるとありがたいんだけど」
受付を後にしてギルドの扉を出たとき、ふと風に乗って声が聞こえた。
「スラムの奥でまた女の子がさらわれたらしいぞ……」「あの歳で奴隷かよ。胸糞悪いな……」
耳に残った「奴隷」「女の子」という単語に、足が止まった。
偶然か、それとも運命か――
この日、俺はこの街の「底」に繋がる扉の前に、初めて立ったのだった。