第17話「王都目前、忍び寄る影」
クローネの宿を発ったのは、朝霧がまだ地表を包む時間だった。
馬車の軋む音と、蹄のリズムが林の小道に響く。
濡れた土の匂いと、冷えた空気に含まれる朝露の甘さが、旅の空気を静かに染めていた。
「ねえ、ユウト……王都って、もうすぐだよね?」
リアが、馬車のカーテン越しに問いかけてくる。
「ああ。この林を抜けて半日も進めば、王都の外郭が見えてくるはずだ」
「……なんだか、夢みたい。あの奴隷館にいたときには、こんな未来があるなんて思えなかったから」
リアの言葉は、明るく笑いを交えていたが、その奥には確かな“過去の痛み”があった。
それを否定せず、抱えたまま前に進もうとしている。ユウトは、その在り方を肯定するように言った。
「夢を現実にしたのは、お前自身だよ。……俺はただ、その横にいただけだ」
リアは少し照れくさそうに笑った。
そしてリゼもまた、小さく微笑みながら窓の外を見つめていた。
「王都って……高い塔とか、いっぱいあるの?」
「あるさ。世界で最も高い魔導塔と呼ばれる『蒼天の槍』、王城の“七つの尖塔”、中央広場の“石の大書庫”……見上げるだけで首が痛くなるくらいのがな」
「すごい……。でも、あの町には“わたしみたいな人間”は、どこに行けばいいのかなって……ちょっと不安」
その言葉に、ユウトはすぐさま答えなかった。
「……探せばいいさ」
少ししてから、そう答えた。
「見つかる場所を待つんじゃなくて、自分が“生きていい”と思える場所を、自分で選べばいい」
「……うん。選んでみたい。今度こそ、自分の意思で」
◇ ◇ ◇
昼前。
一行が林道を抜け、開けた丘陵地に差し掛かろうとしたときだった。
先頭を行く衛士が、手を上げて停止の合図を送った。
「……! 前方、異常確認!」
全員が馬車を降り、様子を確認しに前方へ進む。
道の先――獣道の合流点に、荷車が横倒しになっていた。
近くに人の姿はない。しかし、荷の一部が荒らされた形跡がある。
「……これは」
ユウトが地面に膝をつき、残された木箱の中身を確認する。
中には薬草の茎、乾燥前の葉、未分類の花弁が混ざっていた。
しかも――
「……この“セラス”と“ウィンドホップ”、それに“バリオン”……これは、すべて神経系に作用する植物だ。
身体を麻痺させたり、逆に神経伝達を促進したり……調合すれば、薬にも毒にもなる」
「つまり……誰かが意図的に?」
リアが声をひそめた。
「ああ。……これは、ただの盗難じゃない。明らかに“選んで持ち去ってる”」
護衛隊長が近くの木立を調べ、戻ってきた。
「……何者かが足跡を隠しながら北に抜けた形跡がある。人数は不明。だが、装備と動きからして盗賊ではない。おそらく、“訓練された一団”」
その言葉に、場の空気が緊張を帯びる。
「ユウト様、危険です。王都までは残り半日。護衛を倍にして、移動を急ぎましょう」
「了解。リア、リゼ、急ぐぞ」
「うん!」
「……はい!」
◇ ◇ ◇
夕刻。
視界の向こう、丘の向こうに――それは、現れた。
王都・グランネスト。
光を跳ね返す白銀の城壁と、七本の尖塔を擁する王城が見える。
都市は三重の円状構造になっており、外郭から順に職人街、商人街、王城区と続いている。
「……着いた」
リゼが、信じられないというように呟いた。
その目には、目眩すら覚えるほどの世界の広がりが映っていた。
「この町が……“始まり”でもある。終わりじゃなくて」
「そうだな。ここからが本番だ」
馬車が都市門を通過し、騎士の証と医術院の紹介状により、迅速に通過が許された。
リゼの療養先は、王都中央の高台にある静養院――王族縁者も利用する格式高い施設だった。
衛生、警備、静寂。すべてが整っているはず、だった。
しかし――門番の騎士が小さく眉をひそめた。
「……静養院の裏手で、先ほど“小規模な爆発音”があったと報告が入っています。
詳細は不明ですが、警戒態勢が敷かれております。案内には衛士をつけます」
またか――そう思った。
まるで何者かが、リゼの旅路のすべてを監視し、そして揺さぶっているかのように。
王都という舞台。
その中心で、何かが動いている。
見えない敵か、偶然の災厄か。
けれど、それは――確実に、“ただの旅”では済まない現実の始まりだった。