第15話「旅立ちの選択と、静かなる覚悟」
翌朝、リゼの部屋には穏やかな日差しが差し込んでいた。
窓辺の椅子に腰掛ける少女の手には、一枚の便箋が握られている。
それは――王都からの正式な“提案文”だった。
「療養兼調査を目的とした短期滞在――か」
ユウトが低く呟いた。
ソリルが昨日の夜遅くに残していった文書。そこには王都の医術院からの正式な書面として、こう記されていた。
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『リゼ・メルディナ嬢の王都滞在を希望いたします。
対象者の自由意思を最優先とした上での環境提供、ならびに当該療養法の医学的再評価を目的とするものとします』
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紙の端には王都医術院の封印。
形式としては丁寧だが、その裏には“中央の眼差し”がはっきりと込められていた。
「……やっぱり、あの人たち、私を“症例”として見てるんだね」
リゼがぽつりと漏らす。
声は震えていなかったが、どこか冷たく乾いた響きを帯びていた。
「でも、断ることもできるんでしょう? “本人の意思を尊重する”って――そう書いてあるし」
リアが横から声をかける。
リゼの頬に張り付いた髪を、そっと指先で払うように。
「うん。でも……」
「……でも?」
「もし、私が“ここにいるだけ”で守られていたら……
それはきっと、前の私と何も変わらない気がするの」
その言葉に、リアは息をのんだ。
そして、ゆっくりと頷く。
「……怖くないって言ったら、嘘になりますよ。私だって、初めてユウトと旅に出たとき、手も足も震えてた。
でも、“あのときの一歩”がなかったら、今の私は絶対にいなかった」
リゼは、リアの横顔を見つめる。
「ねえ、リア。……あなた、変わったよね」
「うん。変わりたかったから」
二人の間に、沈黙が流れた。
けれどその沈黙は、“何も言えない”静けさではなく、“言葉の奥で通じ合う”静けさだった。
◇ ◇ ◇
館の庭園――
ユウトはひとり、薬草棚の前に立っていた。
陽光の下で、リンドレアの花が小さく揺れている。
「……考えごとか?」
声をかけてきたのは、レナだった。侍女長として、日々リゼを支えてきた女性。
「ああ。……王都に行くかどうか、リゼ嬢にとって正しいのか、まだ迷ってる」
「“正しい”かどうかは、時代が決めるものです。
でも“意味があるかどうか”は、あなたたちが今、作っているのですよ」
「……意味」
「ええ。ユウト様の施療が、たとえ医学的に“再現性がない”と切り捨てられても……
“この子が笑った”という事実があれば、それはもう充分に意味がある」
ユウトは、ゆっくりとレナに頭を下げた。
「……ありがとうございます」
◇ ◇ ◇
夕方、館の応接室。
ユウト、リア、リゼ、そして再び姿を現したソリルが向き合っていた。
「結論をお聞かせ願えますか?」
ソリルの声は、決して押しつけがましくはなかった。
むしろ、淡々とした“確認”の響きだった。
リゼは、まっすぐに顔を上げた。
「……王都に、行きます」
リアが一瞬、表情を硬くしたが、すぐにその手をリゼの肩に添えた。
「……一緒に行くよ」
「……ありがとう」
ソリルはわずかに微笑み、頷いた。
「では、移動の準備は三日後。護衛付きの馬車を手配します。
ユウト殿、あなたも同行を?」
「当然です。俺がいなきゃ、あのふたりの食事管理も崩れますしね」
「頼もしい。……それでは、王都でまたお会いしましょう」
ソリルが退室し、残された三人は、静かに目を合わせた。
「本当にいいの? 王都って、ここよりもずっと大きくて、ずっと……複雑な場所だよ」
ユウトの問いに、リゼはゆっくりと頷いた。
「うん。……でも、“今の私”が歩いていけるなら、それで十分だと思う」
リアもまた、リゼの隣でまっすぐ前を向いた。
「私たち、もう“守られるだけの側”じゃない。……自分の足で未来を選べる」
その夜、空には雲ひとつなかった。
星たちの瞬きが、まるで彼女たちの決意を見守るかのように、静かに降り注いでいた。




