第11話「薬草の館と、眠れぬ令嬢」
メルディナ領は、ラグノルから山道を抜けた先にあった。
丘陵と森に囲まれた静かな土地で、外敵からの被害も少ないという。
広大な薬草園を中心に発展した村と、石造りの館がその象徴だった。
石畳を抜けて丘を登ると、乳白色の壁に囲まれた建物が見えてくる。
「……あれが、メルディナ家の館か」
リアが立ち止まり、館の外壁を見上げた。
「……貴族のお屋敷って、初めて見る」
「俺もだな。せいぜい、社長室しか入ったことがない」
「しゃちょうしつ……?」
「なんでもない。異世界語に翻訳できなかった」
門の前には屋敷付きの門番が立っていたが、ギルドの紹介状と推薦状を見せるとすんなりと中へ通してくれた。
◇ ◇ ◇
屋敷の中は静かだった。
装飾は控えめながら清潔に保たれ、光を取り込む設計がなされている。
香草の香りが漂い、まるで薬草園の中を歩いているような感覚だった。
「ようこそ、遠路はるばるいらしてくれましたね」
廊下の奥から現れたのは、柔らかな表情を浮かべた老女だった。
背筋は伸びており、上品な口調と動作から、長年仕えてきた侍女であることが伺える。
「私はレナ。お嬢様付きの侍女長をしております。あなたがユウト様、そして……」
「リアです。はじめまして」
「ふふ……どうやら礼儀もきちんとお教えになったようですね」
「いえ、育ちは俺のほうが怪しいです」
「まあ。そういうところも含めて、評価されているのだと存じますよ」
案内されたのは屋敷の裏手にある温室のような部屋だった。
薬草棚が並び、乾燥ハーブの香りが濃く漂っている。
「お嬢様は昼夜逆転が続いており、日中はほとんど起きておられません。
けれど……きっと、あなた方に会えば何かが変わると。そう仰っていたのです」
しばらくして、再びレナが姿を見せたとき、傍らにいたのはひとりの少女だった。
――白金の髪。青磁のような瞳。薄手のドレスの下からでも分かるほど、身体は細く、肌は透けるように白かった。
「……あなたが、ユウト様?」
「ああ、はじめまして。ギルドの推薦で来た、ユウトです。こっちは俺の……リア」
「……こんにちは。お会いできて、光栄です」
少女――メルディナ家の令嬢は、ゆっくりと微笑んだ。
「私はリゼ。リゼ・メルディナ。……あまり外に出られないので、今日はちょっと緊張してます」
リゼは、椅子に腰を下ろすとすぐに疲れたように肩で息をした。
だが、どこか無理をしている風でもあった。
「お体、大丈夫ですか?」
リアがそっと問いかけると、リゼは目を細める。
「大丈夫。慣れてるから。……それより、あなたの顔、好き」
「えっ……?」
「傷があっても、綺麗に見えるって……あ、びっくりさせちゃった?」
リアの頬がかすかに紅潮した。
「リゼお嬢様は、生まれつき体が弱く、日中は起きているだけでも負担になります」
レナが補足するように言う。
「薬だけで保っている状態なので、依存を減らすため、生活改善と自然療法を模索しているのです。
料理や香草の知識をお持ちの方を、ぜひと推薦を受けまして……」
「なるほど……なら、やれることはあります」
「うれしい。わたし、ずっと“出会いたかった”の。……誰かに、じゃなくて、“未来”に」
その言葉が妙に胸に響いた。
リアもまた、何かを思い出すようにリゼを見つめていた。
◇ ◇ ◇
初日は短い面談だけで終わり、俺たちは客室に案内された。
石造りの内装は重厚だが、窓から差し込む光と風が心地よく、館全体に自然との調和を感じる。
部屋には専用の机と小さな本棚があり、薬草学や料理の本が所狭しと並んでいた。
「……すごいね、ここ」
「ああ。まるで“薬草の図書館”だ」
「……ねぇ、ユウト」
「ん?」
「……リゼさんって、どこか、私に似てる気がした」
「俺も、ちょっと思った。……自分の“限られた世界”の中で、ずっと息を潜めて生きてきたところとか」
「でも、きっと……あの人も、変わりたいって思ってるよね。だって、“未来に出会いたかった”なんて……そんな言葉、なかなか言えないよ」
リアの声には、共鳴するものがあった。
彼女自身が、“変わるために”この世界で一歩ずつ歩き出したように。
「リア、お前はどうしたい? この館で、何ができそうだ?」
「……わからない。でも、ひとつだけ決めた。
“自分のため”だけじゃなくて、“誰かのため”に覚えるって、決めた」
「……なら、大丈夫だ。お前なら、きっとできる」
夜が更けても、風はやさしく吹いていた。
“自由になった少女”と“未来を待つ令嬢”が出会ったこの館で、
また新たな“誰かを思う物語”が、静かに始まろうとしていた。




