70 シンポジウムの開幕
70 シンポジウムの開幕
陽乃市の中央ホール——。
会場内はすでに多くの人で埋め尽くされていた。
行政関係者、企業の代表者、研究者、そして市民たち。様々な立場の人々が、このシンポジウムに注目していた。
ステージの中央には、**「未来創生特区・陽乃市の挑戦」**と題された大きなスクリーンが設置されている。
登壇者として名を連ねるのは、陽乃市の市長・真鍋啓介、プロジェクトの推進責任者である深澤悠人、そして育児支援の現場を担う高瀬葵だった。
葵は壇上に立つ前、悠人にそっと声をかけた。
「大丈夫……かな?」
悠人は軽く微笑んで言った。
「君なら大丈夫だよ。僕もフォローする」
葵は深く息を吸い込み、うなずいた。
——そして、シンポジウムが始まる。
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まず、真鍋市長が登壇し、陽乃市のプロジェクトの概要を説明した。
「現在、日本の出生率は1.0を下回り、このままでは国の存続そのものが危機に瀕すると言われています。この状況を打破するため、私たちは“未来創生特区”を立ち上げました」
ホール内が静まり返る。
「このプロジェクトの目的は、子育てしやすい社会を実現すること。経済的支援だけでなく、ワークライフバランスの改革、地域ぐるみの育児支援、育児テクノロジーの導入など、あらゆる角度から少子化問題にアプローチすることを目指しています」
スクリーンには、陽乃市の各種支援制度の紹介が映し出される。
●育児支援AI「ママリー」の導入
●完全無料の保育・教育システム
●企業と連携した柔軟なワークスタイルの導入
●地域コミュニティによる育児支援ネットワーク
会場からは、感心する声や疑問の声が入り混じる。
そして、真鍋市長はこう続けた。
「しかし、この改革には賛否両論があります。今日は、私たちの取り組みを詳しく説明し、皆さんの意見を伺いたいと思います」
場内が静かになる。
次に、悠人が登壇した。
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「私は、陽乃市のプロジェクトに関わる前、育児とは無縁の生活を送っていました」
悠人はゆっくりと話し始めた。
「仕事が最優先で、結婚も育児も考えたことはありませんでした。しかし、陽乃市での生活を通じて、“家族”や“社会のあり方”について考えさせられるようになったんです」
会場の一部がざわつく。
「例えば、育児支援AI『ママリー』を活用すれば、親の負担は軽減されます。でも、それだけでは不十分です。結局のところ、育児を支えるのは“人”なんです」
スクリーンには、陽乃市での育児支援の様子が映し出される。
地域の人々が協力して子どもを見守る姿、企業が社員の育児を支援する取り組み——。
「社会全体で子どもを育てる仕組みを作ることで、“育児は親だけの責任”という固定観念を変えることができる。それが、私たちの目指す未来です」
悠人の言葉に、会場の雰囲気が少し変わった。
そして、最後に葵が登壇する。
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「私は、双子を育てるシングルマザーです」
葵の第一声に、会場の一部がざわめく。
「夫を事故で亡くし、一人で子どもを育てることになりました。最初は、不安しかありませんでした。でも、陽乃市の支援があったからこそ、私は仕事を辞めずに子どもを育てることができています」
スクリーンには、葵が子どもたちと過ごす映像が映し出される。
「皆さんにお聞きしたいことがあります」
葵は会場を見渡し、ゆっくりと言葉を続けた。
「もし、あなたの娘さんや息子さんが子どもを持つことを不安に思っていたら、あなたは何と声をかけますか?」
会場の一部が、静まり返る。
「“なんとかしろ”と突き放しますか? それとも、“社会全体で支えるから安心して”と言えますか?」
葵の言葉は、会場の一人ひとりに問いかけるようだった。
「私たちは、社会全体で支え合うことができる未来を作りたい。子どもを持ちたいと思う人が、“産んでも大丈夫”と思える社会を作りたいんです」
葵の瞳には、強い意志が宿っていた。
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その瞬間——。
会場の後方で、一人の男性が手を挙げた。
「質問してもいいですか?」
全員の視線が集まる。
立ち上がったのは、先ほどのデモ隊の男性だった。
「あなたの話を聞いて、少し考えが変わりました。でも……やはり不安があります」
「不安、ですか?」
「財源の問題です。結局、この支援を続けるためには莫大な予算が必要になる。将来的に持続可能なのか?」
鋭い指摘だった。
陽乃市のプロジェクトは理想的に見えるが、長期的な運営が可能かどうか、疑問を持つ人は多い。
悠人は、ゆっくりとマイクを握った。
「それについては、私が説明します」
次の瞬間、スクリーンに新たなデータが映し出された——。
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次回:持続可能な育児支援のために——悠人が示す、新たな経済モデルとは?




