59 現場の声
59 現場の声
悠人と葵は、試験導入を進めている企業の一つ、森山製作所を訪れた。
この会社は陽乃市に本社を構える中規模の製造業で、自動車部品を中心に扱っている。試験導入企業の中でも比較的早く柔軟な働き方を取り入れた企業の一つだった。
「本日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます」
会議室に通されると、すでに数名の社員が待っていた。
対応してくれたのは、総務部長の高橋と、実際に制度を利用している社員たちだった。
「こちらこそ、お越しいただきありがとうございます」
高橋が穏やかな口調で応じる。
「早速ですが、今回の柔軟な働き方の試験導入について、現場の社員の方々の意見を伺いたいと思っています」
悠人が本題を切り出すと、社員たちは少し緊張した面持ちになった。
「では、まず実際に制度を利用している方の声をお聞きしたいのですが」
悠人が視線を向けると、一人の女性社員が口を開いた。
「私は製造ラインの管理を担当している佐々木麻衣と申します。現在、育児と仕事を両立するために時短勤務制度を利用しています」
「実際に使ってみて、いかがですか?」
「とても助かっています。今まではフルタイムで働いていたのですが、子どもが生まれてからは時間のやりくりが大変で……。でも、この制度が導入されたおかげで、仕事と家庭のバランスを取りやすくなりました」
「それはよかったですね。具体的には、どのような点が助かっていますか?」
「一番は、勤務時間を調整できる点です。例えば、子どもの体調が悪いときは早めに帰れるし、逆に仕事が忙しいときは少し延長することもできます」
「フレキシブルな働き方が可能になったということですね」
「はい。ただ……現場では、まだ理解が十分に進んでいない部分もあります」
「どういうことでしょう?」
佐々木が少し申し訳なさそうに視線を落とした。
「一部の同僚から、『時短勤務の人が増えると、他の社員の負担が増える』という声が出ているんです。特に、独身の社員や、子育てが終わったベテラン社員からは『なぜ自分たちがフォローしなければならないのか』という不満も聞こえてきます」
「なるほど……」
悠人はメモを取りながら、葵と視線を交わした。
「確かに、育児支援が進むことで、そうした不満が生まれるのは避けられない問題ですね」
葵が静かに言葉を紡いだ。
すると、別の男性社員が口を開いた。
「すみません。私は生産管理部の山口といいます。私は独身ですが、正直なところ、現場では業務の負担が一部の社員に偏っていると感じることがあります」
「なるほど……それは具体的にどのような形で?」
「例えば、時短勤務の社員が帰った後の業務を、他の社員がカバーする形になることが多いです。その結果、残業が増えてしまうこともあります」
「確かに、それは大きな課題ですね……」
「もちろん、育児支援そのものには賛成です。ただ、現場の負担が公平になるような仕組みを作らないと、長期的には不満が溜まってしまうと思います」
「貴重なご意見、ありがとうございます」
悠人は深く頷いた。
育児支援制度の拡充は、多くの親にとって大きな助けになるが、その一方で現場の負担が増えることで、制度そのものへの反発が生じる可能性がある。
「この問題に対して、何か具体的な改善策を考えていますか?」
悠人が高橋部長に尋ねると、高橋は少し考えてから口を開いた。
「現在、社内で業務の分担を見直す取り組みを進めています。例えば、一部の業務を外部委託したり、チーム制を導入して特定の社員に負担が偏らないようにすることを検討しています」
「それは素晴らしいですね。ただ、現場の不満を解消するには、それだけでは不十分かもしれません」
「と、言いますと?」
「育児支援の恩恵を受ける人だけでなく、すべての社員にとってメリットのある仕組みを作ることが必要だと思います」
悠人は、自身がこれまで企業と向き合ってきた経験をもとに、具体的な提案を続けた。
「例えば、時短勤務だけでなく、誰もが柔軟な働き方を選べるようにすることはできないでしょうか? 育児中の人だけでなく、介護や自己研鑽のために働き方を調整できる仕組みを作れば、より多くの社員に受け入れられるはずです」
「なるほど……」
「また、チーム制を強化して、特定の個人に負担が偏らないようにすることも有効だと思います」
「確かに、そういった工夫をすれば、社員の不満も軽減されるかもしれませんね」
高橋が感心したように頷く。
葵もまた、真剣な表情で言葉を添えた。
「大切なのは、制度を作るだけでなく、現場の声を聞きながら改善を続けることですね」
「ええ。だからこそ、今回のようなヒアリングを定期的に行い、現場の意見を反映させる仕組みを作ることが重要です」
悠人の言葉に、社員たちは改めて頷いた。
こうして、森山製作所でのヒアリングは大きな成果を得る形で終わった。
しかし、これはまだ試験導入の第一歩にすぎない。
今後も、さまざまな企業と向き合いながら、制度の実現に向けて歩みを進めていくことになる——。
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