52 現場の声を聞く
---
52 現場の声を聞く
翌日、悠人と葵は再び陽乃市の各所を訪れ、市民の声を直接聞くことにした。政府との交渉を踏まえ、新たな評価指標の精度を高めるために、より詳細なデータを集める必要があった。
最初に訪れたのは、市内の子育て支援センター「ひだまりハウス」。ここは、育児に悩む親たちが自由に集まり、専門家のアドバイスを受けられる施設だ。
「こんにちは、高瀬さん、深澤さん」
センター長の**三浦紗枝**が笑顔で迎えてくれた。彼女は40代半ばの温和な女性で、保育士として長年の経験を持つ人物だった。
「お忙しいところすみません。今日は利用者の方々に直接お話を伺いたくて」
葵が丁寧に頭を下げると、三浦は「もちろんです」と頷き、奥のフリースペースへと案内してくれた。
そこでは、数組の親子が和やかに過ごしていた。赤ちゃんを抱っこしながら話し込む母親たち、絵本を広げる父親の姿も見える。
「では、何人かにインタビューしてみましょう」
悠人は葵と共に、まず一組の夫婦に声をかけた。
「すみません、少しお時間よろしいですか?」
「はい、大丈夫です」
答えたのは、30代前半の母親、**森川美咲**だった。隣には1歳半ほどの男の子がちょこんと座り、好奇心旺盛な目で悠人たちを見上げていた。
「森川さんは、こちらの支援センターをよく利用されていますか?」
「ええ。夫は仕事で忙しく、私はほぼワンオペ育児なので、ここに来るとすごく助かるんです」
「ワンオペ……」
悠人は思わず表情を引き締めた。陽乃市は育児支援が充実しているが、それでも“個々の家庭の実情”はまた別の話だ。
「保育園には預けていないのですか?」
「今は週に二日だけです。でも、もっと柔軟に利用できたらいいのにって思うこともあります。たとえば、急に体調を崩したときや、少し休みたいときに、気軽に預けられる制度があれば……」
美咲の言葉に、葵が深く頷く。
「確かに、緊急時の育児支援はまだ課題が残っていますね。行政としても柔軟な対応が求められます」
「そうなんです。陽乃市はとても助かる制度が多いけど、もう一歩踏み込んでくれたら、もっと安心できる気がします」
美咲の意見をメモしながら、悠人は考え込んだ。
(緊急時の育児支援か……現在の制度は、確かに計画的に利用することを前提に作られている。だが、育児に“予定通り”なんてことはほとんどない)
次に話を聞いたのは、20代後半の父親、**小林翔**だった。彼は1歳の娘を抱っこしながら、やや疲れた様子で微笑んでいた。
「僕は育休を取ったんですが、実は職場復帰後が不安なんです」
「どういう点が?」
「今は陽乃市に住んでいて、すごく育児がしやすい環境です。でも、もし転勤になったら……ほかの自治体に同じ制度があるわけじゃないですよね?」
「なるほど……陽乃市の制度が“限定的”であることが問題というわけですね」
「そうです。せっかく育児しやすい環境を経験しても、いずれ普通の社会に戻ったら、結局負担が増えるだけかもしれない。それが怖いんです」
小林の言葉に、悠人は改めて考えさせられた。
陽乃市の成功は、あくまで“特区”だからこそ成り立っている側面もある。だが、それを全国に広げるには、どのような方法が考えられるのか?
「貴重なご意見をありがとうございます」
悠人は小林に礼を言いながら、改めて課題を整理した。
1. 緊急時の育児支援の強化(病気や突発的な事情に対応できる体制)
2. 陽乃市のモデルを全国に広げる方法の検討(転勤者への配慮や、他自治体との連携)
「……やるべきことは、まだまだ多いな」
悠人は葵と目を合わせる。
「でも、方向性は間違っていないと思います。こうして現場の声を聞くことで、より具体的な形が見えてきました」
「ああ……俺たちは、もっとリアルな解決策を模索しないとな」
二人は改めて決意を固めた。
---




