**第2章「陽乃市の現実」**
第2章 陽乃市の現実
「まもなく、陽乃市に到着いたします」
新幹線の車内アナウンスが流れ、悠人はスーツの袖口を軽く整えながら、窓の外に広がる景色を見つめた。
駅へと近づくにつれ、都市の輪郭がはっきりと浮かび上がる。低層のビルが整然と並び、緑地が豊富に配置された街並みは、いかにも計画的に整備された未来都市といった印象を与えた。
悠人はふと、車内のスクリーンに映るPR映像を眺める。
「子どもを産み育てることが、誰にとっても幸せな選択となる社会を——」
ナレーターの落ち着いた声が響く。
映像には、育児を楽しむ親たち、整備された保育施設、そして街全体で子どもたちを見守る様子が映し出されていた。理想的すぎるその光景に、悠人はわずかに眉をひそめる。
「そんなにうまくいくものか?」
彼の経験からすれば、社会というものはそう簡単に変えられるものではない。制度を作ったところで、実際に動かすのは人間であり、そこには必ず軋轢や矛盾が生じるものだ。
それを、この街はどう克服しているのか。
悠人の脳裏には、今回の転勤を命じた上司の言葉が浮かぶ。
——「お前なら、何かを見つけられるはずだ」
その「何か」とは、一体何なのか。
新幹線がゆっくりと減速し、悠人の乗った車両がホームへと滑り込んでいった。
陽乃市駅——日本の未来を担う、特別な街の入り口。
悠人は、静かに深呼吸をして、ホームへと降り立った。
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1
改札を抜けると、広々とした駅前広場が広がっていた。
悠人はスーツケースを引きながら、周囲を見渡す。
清潔で整然とした街並み。街路樹が並ぶ歩道にはベビーカーを押す親子の姿が目立ち、至るところにAI搭載の案内ロボットが設置されている。
「いらっしゃいませ、陽乃市へようこそ!」
突如、流れるような女性の声が響いた。
視線を向けると、駅前の大きなデジタルサイネージに、**AI育児支援システム「ママリー」**の映像が映し出されていた。
画面の中のママリーは、穏やかな笑顔を浮かべながら続ける。
「ここ陽乃市では、すべての親が安心して子育てできる環境が整っています。困ったことがあれば、ママリーがいつでもサポートいたします」
悠人は、その様子をじっと観察する。
「……本当にここは、育児天国ってわけか」
ふと、近くのベンチに腰掛けていた若い母親が、スマートフォンを操作しているのが目に入った。画面には、ママリーのアプリが開かれている。
「お昼寝の時間はあと10分ですね……了解です」
まるで家庭教師と会話するかのように、彼女はスマホに話しかけている。
悠人は軽くため息をついた。
便利な世の中になったものだ。しかし、これは本当に良いことなのだろうか?
「親がAIに頼りすぎることで、本来持つべき判断力を失うのでは?」
そんな疑問が、彼の胸中に浮かぶ。
陽乃市は、確かに最先端の育児環境を整えている。だが、その分、どこか「人間の感覚」が希薄になっているようにも思えた。
悠人は改めてスーツケースを引き、迎えの車が待つロータリーへと足を向けた。
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2
「深澤さんですね?お迎えにあがりました」
ロータリーに停まっていた黒い車の前に、スーツ姿の男性が立っていた。
「真鍋啓介」。
陽乃市の市長であり、未来創生特区のリーダー。
42歳、がっしりとした体格に、鋭い眼差し。陽乃市の施策を推進する中心人物だ。
「初めまして、市長の真鍋です。ようこそ、陽乃市へ」
悠人は軽く会釈しながら、車に乗り込んだ。
車内は静かで、窓の外には整然とした街並みが広がる。
「この街、どう思いますか?」
運転席から真鍋が尋ねた。
「よく整備されている印象です。ただ、まだ実際のところはわかりませんね」
悠人は率直に答えた。
真鍋は小さく笑い、フロントミラー越しに彼を見た。
「……いずれ、わかりますよ。この街が、本当に理想なのかどうか」
その言葉には、どこか含みがあった。
悠人は、ぼんやりと窓の外を眺めながら、自分がこれから関わることになる「未来の実験都市」の真の姿を、知ることになるのだろうと感じていた。
——理想と現実。その狭間にあるものとは、一体何なのか?
車は静かに、陽乃市の中心へと進んでいった。
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【第2章 完】
この章では、悠人が陽乃市に到着し、表面的な理想の姿を目にしながらも、どこか違和感を覚え始める様子を描きました。
次の章では、彼が実際に市内で生活を始め、人々との関わりを通じて、**陽乃市の「見えない課題」**に気づいていく流れを描いていきます。