企業との交渉が本格化する中での摩擦や、悠人たちが新たに直面する課題
第6章 試験プログラムの始動(続き)
24 企業側の本音
陽乃市役所の大会議室に、市内の主要企業の代表者たちが集まっていた。
「では、本日は『柔軟な働き方の試験導入』に関する意見交換の場としたいと思います」
真鍋市長の言葉で、会議が始まった。
悠人は、市側の担当者として席に着き、企業側の反応を注意深く観察していた。
「この制度が理想的なのは理解しています。しかし、実際に運用するとなると、やはり企業の負担が大きいのではないでしょうか?」
発言したのは、桜井社長だった。彼は昨日の議会では中立的な立場をとっていたが、今日は明確に企業側の懸念を口にした。
「たとえば、時短勤務制度を導入するにしても、代わりの人員を確保しなければなりません。しかし、採用市場は厳しく、人材を増やすのは容易ではない」
他の企業代表たちもうなずく。
「その通りだ。結局のところ、子育て支援を充実させるなら、そのコストをどう分担するのかが問題になる」
悠人は頷きながら、事前に準備した資料を開いた。
「確かに、企業側の負担が増えることは避けられません。しかし、市としては、これを単なる『負担』ではなく、企業価値を高める投資として捉えていただきたいのです」
「投資、ですか?」
「ええ。たとえば、この制度を整えれば、優秀な人材を引き留められるだけでなく、他の都市からの転入者を増やす効果も期待できます。特に、子育て世代にとって、柔軟な働き方が可能な企業は非常に魅力的です」
悠人の言葉に、一部の経営者たちは興味を示した。
「……確かに、人材確保の観点からは、メリットがあるかもしれないな」
悠人はさらに続ける。
「加えて、市としては企業側の負担を軽減するため、税制優遇措置や補助金の制度を新たに設けることを検討しています」
桜井社長が目を細めた。
「具体的には?」
「たとえば、柔軟な働き方を導入した企業に対し、法人税の一部軽減や、人材確保のための補助金を支給する案を考えています。また、市内限定の企業向け福利厚生制度を導入し、従業員の生活支援を強化することも可能です」
会議室に沈黙が広がった。
「なるほど……そこまで具体的な支援策があるなら、話は違ってくる」
「とはいえ、財政の問題もあるだろう? 市がどこまで支援できるのか、詳細を明確にしてもらいたい」
悠人はうなずいた。
「それについては、市と企業の間で継続的に協議を行いながら、最適な形を探ることが必要です。行政が一方的に決めるのではなく、企業の皆さんと協力して進めていくことが重要だと考えています」
桜井社長が小さく笑った。
「なるほど、まるで交渉上手な商社マンのようだな、深澤さん」
「……前職がそのようなものだったので」
悠人が軽く肩をすくめると、会議室に少し笑いが広がった。
その空気を感じながら、悠人は思う。
「少しずつだが、前に進んでいる」
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25 水面下の動き
一方その頃——。
田村議員は、市役所とは別の場所で、数名の議員たちと会っていた。
「試験導入は通過してしまいましたが、まだ終わりではありません」
田村は、落ち着いた口調で語る。
「実際に運用が始まれば、必ず問題が出てきます。その問題点を指摘し、改革の名のもとに制度を縮小させることは可能です」
集まった議員たちはうなずいた。
「確かに、企業の負担や財政の問題が噴出すれば、市民の不満も高まるでしょう」
田村は静かに笑った。
「その通りです。つまり、本当に重要なのは、ここからの動きです」
彼らの視線の先には、陽乃市の未来を左右する大きな戦いが待ち受けていた。
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26 葵の葛藤
その夜、葵は自宅で双子を寝かしつけた後、一人リビングに座っていた。
試験導入が決まったとはいえ、まだ安心できる状況ではない。
「本当に、この制度は上手くいくのだろうか?」
不安が頭をよぎる。
もしも制度が頓挫すれば、期待している子育て世代の人々を裏切ることになる。
しかし、悠人たちと共に動く中で、葵は自分が変わりつつあることにも気づいていた。
最初は「子どもたちのために」という気持ちが強かった。だが今は、それだけではない。
「家族とは何か」
「社会はどうあるべきか」
そういった大きな視点で考えるようになった自分がいる。
彼女は、スマートフォンを手に取り、悠人にメッセージを送った。
「今度、時間がある時に少し話せませんか?」
数分後、悠人から返信があった。
「もちろん。今度、少し落ち着いたら話しましょう」
彼の言葉に、葵は小さく微笑んだ。
——まだ、すべてが決まったわけではない。だが、進むべき道は、少しずつ見えてきている。
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【第6章 続く】
次回は、
✅ 企業側との本格的な交渉
✅ 田村議員の妨害が動き出す
✅ 悠人と葵の対話
などを描き、物語をさらに深めていきます。




