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夕餉のひととき

作者: そしじ 杏仁

「お帰りなさい、お父様」

「おう」


 定町廻り同心の仕事を終え組屋敷へ帰ると、すでに夕餉の仕度を整えた娘の美鈴が明るい笑顔と共に出迎えてくれる。そして、湯気の立ち上る膳の前に俺を座らせ、


「はい、お父様」

「ありがとよ」


 猪口に並々と酒をつぐ。それを一気に飲み干してから、二杯目以降は塩を肴にしてちびちびとやる。下戸の美鈴はしょぼくれた親父の顔を肴に、おかずへと箸を運ぶ。


 これが我が家の夕餉の習慣。妻が流行り病で死んでから男手ひとつで育ててきた愛娘もいつの間にやら二十歳。その間、大波小波を幾度も乗り越え、今日まで父娘水入らずなんとか仲良くやってきた、つもりだ。


「お父様は再婚されないのですか?」


 娘の口からそんな話題が振られたのも無理もない。明日からひとりで暮らす父親の身を案じているのだ。そう――娘は明日、嫁に行く。


「そうだなあ、おめえが赤ん坊を産んだら考えてみるか」

「まあ」


 美鈴は恥ずかしそうに頬を桜色に染めた。そこに妻の面影を見つけ、俺は生涯独り身だろうなと己の人生を悟るのだった。


「今までお育てくださりありがとうございました」

「大事にしてもらえよ」

「そこのところはお父様とよく似ている方ですからご安心を」

「何を生意気な!」


 憎まれ口と共に不覚にも涙がこぼれ落ちる。それを誤魔化すために酒を呷りたいところだが、どうせ美鈴にはすべてお見通しなのだろう。俺は十五年間の慣例通り、ちびちびと猪口を傾けた。そんなみみっちい父親に美鈴は嬉しそうな笑みを向け、空になった盃に酒をつぐ。



 おめえが嫁に行ったら寂しくなるなあ――。



 本音もろとも酒を飲む。


 間もなく終わる穏やかな夕餉。父娘水入らずの至福のひとときがもう少しだけ続けばいいと、俺は儚い願いを抱くのだった。

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