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サンドイッチと黒魔術

 エルフの里からだいぶ離れた、ある大木近くの庵にナクの恋人は住んでいる。

「クロウ? クロウー」

 昼、太陽は頂点。のっぽの森にも、陽射しは存分に射し込み、光で満ちている。にも関わらずこの庵は、意識してそうしているようにしか思えない暗さを保っていた。少々のぞきこんだところで、中に誰ぞいるのかわかりはしない。

 勝手に入ると怒るしなあ。

 ちらりと手にしたバスケットを見る。

 まあ、さすがにもう起きてるよね。

  ひとりうなずき、庵の中へと侵入をはじめた。

「クロウ?」

「勝手に入るな」

「何度も呼んだよ」

「嘘をつくな。3回しか呼んでない」

 聞こえているじゃないか。呆れながら、けれど彼女は恋人の不機嫌に気づく。

「お昼、食べた? 持ってきたんだよ」

「いらない」

「食べないと、クロウ、なくなっちゃうよ」

 見たことはないが、分厚いローブに隠れたからだがとても痩せていることだけは知っている。

「うるさい。だまれ。おまえは僕がここに勝手に入られることが大嫌いだって知っているのに、たった3回返事がないだけで入った。最低だ。エルフも人間も、生きてるやつみんなクズだ」

 みんなクズならそれでいいだろう、とナクは思った。立派なもののなかにクズがいたら困ったりもするだろうけど、全部がクズなら比べて気にする必要もない。いや、もちろんそんなことは言わない。

 クロウはひとぎらいだ。初対面の相手に対して印象が「きらい」から始まる。そしてきらいな相手はなにをしても気に障る。つまりわりととりつくしまがない。

「入っちゃだめ?」

 時折こんな風にひどく機嫌が悪くなる恋人にどう接したら近づけるか、ナクは知っていて、そしていつもそのとおりにしようと決めていた。言い返さない。探らない。

 声はそう遠くないようだが、部屋が暗すぎてクロウがどこにいるかわからなかった。質問の答えはすぐに返ってこない。でもこれはクロウなら当然のこと。急かさない。

「そこで靴以外脱いで」

 そして、逆らわない。

 予想の内だ。彼の嗜好はいやというほど知っている。まだ色々と隠していそうな気もするけれど。ナクはバスケットを床におろし、胸の紐から解き始めた。このからだはクロウにもう散々見られ、触れられている。クロウはナクの嫌がることをしたいのだ。だから、恥ずかしがるだけ思うツボだ――、そう言い聞かせながらさっさと脱ごうとするが、どうしてもところによってためらった。

 闇に裸身を晒す。羞恥心は意識で消しきれなかった。心細くて、恥ずかしかった。助けを求めるように恋人の名を呼ぶ。すぐに返事はしてくれない。聞こえているくせに。見ているくせに。

「まっすぐ進んで」

 ようやく次の指示を得て、わずかにほっとしながら、バスケットだけを持って奥へ進んだ。服は持たなかった。心情としては持っていきたいけれど、自分から離れたところに置いておかないと、クロウになにをされるかわからない。執心を見せたらそこを攻撃するのだ。からだはともかく、服は困る。経験から彼女はそう判断する。

 クロウは部屋の中央の大きな机にいた。驚いたことにナクが立っていた入り口から10歩も離れていなかった。自分の来た方を振り返ると、あちらは漏れこむ光で多少明るいが、それでも自分の方から見えないという距離では絶対にないように思えた。これって、もしかして魔法なんだろうか。疎い彼女はせめてそういぶかしむ。

 黒髪のエルフの青年は、気だるそうにひじをつき、つまらない目線を投げかけている。ナクは、バスケットを机の上に置こうとし。

「そんなものをそこに置くな」

 びくっと動きを止める。迷って、また床に置いた。

「何度言ったらわかるんだ。この机は研究をする場所であって食べ物を置く場所じゃない。バカなエルフだな。エルフは知能が高いとか言うが、たとえ知能があろうが知識を詰め込もうが、知性はバカには身につかない。品性は持てるものにしか備わらないんだよ」

 軽蔑しきった声で吐き捨てる。今日はまた、ずいぶんとささくれている。ナクがクロウに感じるのは、怒りを押しのけた哀れみと愛しさだった。

「なんでなにも言わない? 返す言葉も思いつかないか」

 クロウの元へ通うナクを頭がおかしいとかマゾヒストだとか言うひともいるけれど、彼女は決して蔑まれることを悦ぶわけではない。ひとを蔑むことは往々にして軽率な行為だと思うから、こんな浅はかなクロウの台詞を情けなく聞く気持ちもある。

 でも、クロウは本気でこう思っているわけじゃない。言葉はなんでもいいのだ。ただ相手を傷つける言葉をぶつけられればそれで。そのために損なわれる自分の品位など、ひとに好かれる必要を感じていないクロウにはどうでもいいこと。

 答えないナクにクロウも黙りこみ、本を開いて目を落とした。ナクはどうにもできず、ただじっと立ってクロウを見つめる。屈辱的といえる姿で。

 この沈黙と無視がクロウの試しなんだということは骨身に染みている。なにか尋ねたり動いたりすれば、失格だ。クロウの機嫌は落ちるところまで落ち、この庵を追い出され、しばらくは口も聞いてもらえないしここにもいれてもらえなくなる。

 クロウは時々こんな風に、癇癪と言うのか不機嫌と言うのか、どうしようもない苛立ちの波に襲われる。普通に生活していればたいていおだやかに居るナクには理解できない。ただ、その状態の時というのは、当たり散らされる人間にはまちがいなく最低なわけだが、クロウ自身が苦しいのだということにある日気づいた。幼い頃クロウが気に入っていたカラスの置物を、クロウ自身が壊してしまったときに。

 とてもわかりにくいし、だいたいの人間は理解したいとも思わないだろうけれども、この庵に入れてくれている時点で、いつもぴったりと閉ざされている彼の窓はほんの少しだけ開けられている。だから、クロウのしびれが切れるのをナクは待つ。

 初夏なのにクロウの庵は涼しい。湿気もそこそこにしかない。ナクの肩が冷えだした頃、クロウは本を閉じ、さきほどより不機嫌にナクを睨みつけた。この不機嫌はナクが折れないから自分が折らされたことに対するもの。

「ここに寝て」

 机を指す。クロウの庵はものであふれているものの、それなりに整頓されている。机にもさほどのものは置かれていなかった。ひとひとりが余裕で寝転がれる大きな机に、ナクはおずおずと横たわった。一瞥し、クロウは机とナクに向かってなにか、粉を振りかけた。少し口に入る。かすかな甘さ。匂いも甘い。両手を合わせたクロウが低い声で呪文を紡ぐと、見る間、机に不可思議な光で魔方陣が描かれていく。魔法を知らないナクは身を縮こまらせた。

「手足、伸ばして」

 命令が下される。ナクは二回すばやく深呼吸をして、意を決して手足を伸ばした。クロウは足首、手首に軽く触れていく。暖かくも冷たくもないのに、そこに鎖が打たれたようにナクのからだは動かなくなった。未知のおそろそしさに耐え切れず、クロウを見上げて尋ねた。

「なに、を、するの?」

 ナクが見せた本物のおびえにクロウは機嫌をよくする。意地悪く口端をあげた。

「どうしようかな。合成と召喚、どっちがいい?」

「ごうせいと、しょうかん?」

「そう。合成はね……ナクのからだと動物のからだを掛け合わせるんだ。たとえば、ほら、あそこにワイバーンの翼があるだろ? あれをナクの背中にくっつけるとかね。合わせる片割れが死んで時間の経ったものなら簡単だ。翼としては機能しないけどね」

 ナクの半身ほどの大きさの飛竜の翼を見る。魔術に使うらしいが、ここには動物の一部がたくさんあった。

「ネコのしっぽは? 下劣でいやらしいナクにぴったりだ。クマの手足はどう? 今の手と取り替えたら、指先が使えなくなっちゃうか。まあ僕は困らないけど」

 本当にそんなことをできるのかは知らない。けれども、ナクは昔に一度だけ森を襲った、奇妙な魔物を思い出した。猫の体に鳥の羽。合成獣だと賢者は言った。襲ったといっても、合成獣は苦しそうに泡を吹きながら、里を少し走り回っただけで死んでいった。あの悲しい生き物をクロウは言っているのだろうか。首を振る。

「じゃ、召喚にしようか。ナクのからだを媒体に、悪魔を呼び出す」

 ナクの白い腹をそっとなでる。

「ここに宿らせるんだ」

 気づけば夢中で首を振っていた。

「ほら、選んで」

 クロウは本当にそんなことをしたりはしない。欲しいのはナクの反応だ。彼を満足させるような反応。もしくは、気に入らないと追い出し突き放す理由とできる反応を。彼はいつもナクを試す。そしていつもなら、ナクもそれなりに耐えるのだけれども、この眼前に突きつけられた歪んだ魔術はナクの嫌悪感を著しく刺激した。吐き気すら催した。

 涙がこぼれた。自分でそう気づいたとき、耐え切れなくなったナクは嗚咽をもらして泣き始めた。クロウは顔をしかめ、落ち着かない挙動で何度かよそを向く。しかし、ああ、忌々しげにつぶやき、ナクのからだの上空を手でなでた。不可視の鎖がはじけて消える。

「ごめん。悪かった。やりすぎた」

 顔を覆って泣く冷えたからだを起こし、抱き上げた。寝室へ連れて行き、ベッドにすわらせる。靴を脱がせる間、ナクはクロウにすがって小さくしゃくりあげ続けた。

 クロウのベッドは、いつもハーブのいい匂いがする。クロウ自身もたいていそうだ。落ち着いていく自分を感じながら、ナクは目を開けてクロウを見た。怒った顔をしている。これは、わたしに折れなきゃいけないことが悔しい顔。もう大丈夫だとナクは思った。彼の最悪なご機嫌は去ってくれた。

「クロウ」

 名を呼ぶ。彼女の声がねだるものに気づき、クロウはしまったとばかりに眉をひそめ、逃げようとした。腕をつかむ。

「クロウ、好き」

 言葉をくちびるに載せれば、想いがあふれる。うかがいながら、その薄いくちびるに近づく。ほんのすこしだけ下がった眉尻に、彼が観念したことを確信する。

「クロウ」

 高まる気持ちそのままに、くちびるを食み、舌を絡ませた。ナクはキスの間ずっと、クロウを見つめる。耐えたような苦しそうな表情。与えられる快楽に身をゆだねるなんて彼の矜持は許せない。それでも、いつしか血の気のない顔がほんのわずか赤らみ、漏れ出る吐息にも熱が加わっていく。彼はまだ逃げようとした。ナクは力の抜けたその手首をつかんで、彼に乗りかかった。ベッドに倒れこむ。

「は」

 拍子、短くこぼれた彼の声にナクはめまいに似たものを覚える。大好き。もっと、もっと。さらにくちづける。脚をすりよせて、クロウのかたさを確認した。わたしがいやらしいことだけは本当だ。それについての罪悪感はないが、クロウに申し訳なくは思う。ナクに攻められるなんて、クロウにはとても情けなく、耐えがたいことのはずだから。

 でも、自分のキスでクロウがこんな風になってしまうことが、たまらなく甘い。

「クロウ。すき。すき」

 夢中で名を呼ぶ。切なくて涙がにじんだ。クロウは褒められた人間じゃない。でも、そんなことはナクにはどうでもよかった。この冷たい色のひねくれた青年が、自分にだけは触れることを許す、そのことが大事だった。クロウの世界には誰もいない。誰もいらない。でも、ナクにだけはこうしてそっと扉を開けてくれる。そんな彼に恋をしている。もう長いこと。

 おそらく自分は、まわりが思うような心やさしい娘ではない。確かに他者のすることに寛大で、多少の実害を被ることがあってもおうおうにしてさらりと許すが、それは彼女がたいがいのことに興味がないからだ。やさしさと似て、ちがうものだと彼女は思う。

 でもナクはクロウには興味を持った。おそらく、クロウがカラスの置物を壊したあの日に。クロウが見ているもの、クロウが心惹かれるもの、彼の言葉の意味、行動の意味に興味がわいた。ひとつ、ふたつと知るたび、ナクはひとりささやかに喜んだ。気難しくてデリケートでわがままな彼を解き、解し、そうするうち彼がだんだんとナクに心を許していくことがうれしくてしかたなかった。


 本当は、もっと触れたい。触れたいんだよ、クロウ。

 行為自体は何度もある。でもクロウは服を脱いだことがなかった。汚れても、他の場所で着替えてしまう。それがさみしかった。彼の肌に自分の肌を触れ合わせたいと、ナクはいつも願っていた。腿と片手を上下に動かして、クロウのそれを煽る。

「っ……」

「クロウ」

 首筋にキスをして、ローブを脱がせるため留め具に手をかけた。と、クロウがその手をつかむ。

「だめだ、……っ…」

 どっち? 言葉からではなく、声の色から抵抗と受諾の割合を探る。クロウがくちびるを噛むのを見て、ナクはあきらめた。手を引く。クロウは詰め通しだった息を吐き、肩を上下させる。その表情には明らかな安堵があった。

「ごめんね、クロウ」

 謝ったとたん、弱々しいながらも睨まれる。

「泣き真似か。最低だ。下衆だ」

「ちがうよ!」

「いつもそうだ。ナクはしおらしい振りをして、本当はいつも僕の隙を突こうと狙ってる!」

 確かにそうとも言えるかもしれない。ナクは申し訳なさそうな顔を作った。クロウが与える辱めはしょせんふたりの間だけ、それも決してナクのからだを傷つけることはない。クロウはナクのことが好きだ。ナクはそれを知っていた。それに、彼が生き物をむやみに傷つけないことも。証拠に、この庵には動物達の、散歩やひとやすみのあとがいくつもある。レンジャーの彼女の目が見つけていた。

「なんでいつも僕を脱がせようとするんだ。こんなからだ出したところでなにもおもしろくないのに。痴女め、ナクは痴女だ」

「どこでそんな言葉覚えたの?」

 驚いて、思わずぽろりとこぼしたそれが失言だと気づいたときにはもう遅い。落ち着いていたクロウの顔にまた血が集まる。

「……まだ僕を子供扱いしてるのか……!」

「ごめん、ごめんってば!」

「謝ったな!? やっぱり自覚があるんだ、おまえは本当に最悪な女だ、もう僕に近寄るな!」

「ちがうよ、だってほら、クロウはひとと関わらないのに、どこから知るのかなあって前から不思議だったんだよ、それだけだよ!」

 あわててしがみつき、謝る。本当に子供扱いしてるつもりはない。クロウがナクよりも幼かった頃なんて、もうずいぶん昔のことだ。たまにその頃の名残りが出てしまうだけで。いや、でも、クロウを可愛いと思っているしクロウに欲情するんだから、やっぱりクロウの言っている通りなのかもしれないと一瞬考える。ナクは確かに、まだクロウが自分より背の低い少年だった頃から彼に触れたいと思っていた。

「ごめんね? クロウ、機嫌なおして」

 首に抱きつき、頬にキスをする。腰に手をしのばせる。

「そのままでいいの?」

「……本当に、最低だ」

 ナクをベッドに倒すと、おおいかぶさりシーツをかぶる。ほら、こんなところが。かわいいんだ。いくら涼しい庵でも、今は夏。シーツをかぶる必要なんてローブを着ているクロウにはない。ナクのからだが冷たいから、そうするのだ。クロウはナクのからだにくちびるを当ててその冷たさを確かめながら、くちびるの熱をナクに与えようとしている。なにも持たない子供のように。腰紐を解きおえたクロウを受け入れながら、ナクは何度もクロウの名を呼んだ。最後にクロウは一度だけ、ナクの名をささやいた。

 起きたら、一緒にお昼を食べるんだ。ナクは恋人を強く抱きしめた。



◆◆◆

ここまでお読み下さった方、ありがとうございました。

まさかの野郎受け。クロウの鬼畜を期待された方がいらしたら申し開きのしようもごにゃいませぬ……が、わたしは俺様や鬼畜は受けの始まりだと信じてやみません。それにしてもナク無双。

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[一言] ゼルーとアイシャのアマアマに誘われ、こちらの作品にも遊びにきました。神崎と申します。 「そんな話なんだ…」 やっぱりびっくりしました。 こちらの投稿が今年の1月と言うことは、もう「なろう」様…
2010/10/08 23:51 退会済み
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