犬の鳴き声
この子は集中力がありますね。積み木をするときはそう、話しかけても効果がありません。でも、トランプなんかには、微塵も反応しないんですよ。
どうも積み木である必要が、その直方体や、穴の空いた球に、あるんでしょうきっと。
高ければいいってものではないです。それに幾ら頑張ったところで結局は天井にぶつかってしまうのですし。
砂場に打ち捨てられたロケットの残骸は、城やバケツと共に沈んでいた。りんごの木に咲いた花は、とうに枯れ果てており、写真に鮮やかな時計塔は解体工事が進められている。
道の真ん中に横たわる空き缶が風に吹かれて女の足元に転がっていた。ベビーカーを押す指は極めて細い。
「あれが電車よ」
線路伝いに歩いていると四角い顔の車両が向かってきたり、或いは去っていったりする。
病院と式場のそばを通り過ぎるのは、お決まりのパターンだ。
もしも明日世界がなくなるならば、女は最後の晩餐に、式場で食べたチョコレートパルフェを選択するに違いない。
ほんの数秒後には、意思が変動して、夫の手作り煮込みハンバーグになる可能性は否定できない。
道端に群生する水仙の黄色はどこまでも続いていて、きりがない。種が蒔かれた季節へと働かない想像力を凝らしてみる。咲く時期は目に明らかなのに、その起源を知る由がない。
恥ずかしい。突如として女を見舞った。
鼓動の高鳴りに耳を済ませる。どうしようもなく、恥ずかしい、わけもなく顔が赤らむ。
大きな門扉の奥には青々とした葉が繁り、花弁のくびれた薔薇の群生が中央の噴水を囲み彩っていた。
イングリッシュローズが立派に咲き誇り、ふいにローズヒップという単語が脳裏に浮かぶ。
甘い香りのする、琥珀色のティーポットから注がれる湯気の伴った感動を、初めてマロウブルーを飲んだときと照らし合わせて微笑んでみる。
わずかな段差でベビーカーのタイヤはつまずき兼ねない。今さっきのように、考えごとをしながらは軽薄な散歩であった。
電信柱の葬列はかつてこの辺り一帯に住宅が犇めいていた証で、けれど銅線が運ぶのは細波の振動の追憶だけで、それだけなので、葬列。
折れた木の裂け目から、淡い緑の芽がほとばしる。でも虫や鳥に食べられてしまう。仕方のないことで、連鎖の証左で、営みを禁じられるのは神。
どことなくムラのある空に、空以外の名前を与えたら、どんなに素敵なんだろう。
この子は集中力があるから、浮かぶ雲の凝視をする結果として、すべてが青に染まる。映す眼の透き通る青さが溶けていっそう青くなる。
この弱々しい光を、鳥はゆうに越えていく。紫外の領域まで飛ばせる。じゃあ鳥は慈悲があるかどうか。
「かわいそうね、あなた、この色が分からないの」
紫の先に、また異なる世界があって、それを女は知ることがかなわない。女はもちろん、親しい友や伴侶であろうが、すれ違う人々もみな等しい。
そういった意味で、人とくくるのは面白い。確かに、細胞壁を容易く貫通する光線を浴びながらにして熱以外で自覚するのは難しい。
逆に、翻る翼の大いなる標よ、他に誰が確率的な放射の軌跡を辿れると言うの。
ひとつが二つになるのに数日かからない。例えば君に送るプレゼントはチョコレートパルフェを。半分ずつに分けて食べたのはあっという間で、しかしその記憶を舌にのせて反芻することができる。
ひとつが二つになるまでに、骨と骨の狭間で軋む声を聴こう。肉の片割れ、襞の内側にこびりついた悪魔は、鳥であっても探ることが不可能。
これを不可侵と呼ぶならば、神のみぞ、何をするでもなく。拠り所はベビーカーを満たす。
極小の砂粒は、踏む。踏まれると擦れる。摩擦が熱となり音となる。
車輪の轍は海にのまれる。消ゴムでサッとするみたく。海の青さが消失をなぞらえる。船は防波堤よりも遠くに浮かんでいた。
虹色の干渉模様が美しく、子どもは目を輝かせる。一体どちらがより綺麗だなんて、くだらない選別はよそう。
乳房に噛みつくのは、生にしがみつくことと同義である。大人になった子どもは、忘れてしまう。
ひたすらに、無条件に、反射的に、欲していた。誰もがそうしていた。手に入らないのに、もう流れてしまえば。
水は等しく潤し、また、あらゆる渇きを呼び覚ます。
再生される苦しみの輪廻より解き放たれし勇敢なるそれぞれに、与えられん。
手にすっぽりとおさまるくらいの、落としてもいい、ずっと幻影を眺めていられたなら或いは。
(了)