らくだ
地蔵の供物を盗んだ。それはいけないことだと咎める。なぜか平然としている。まともではないのは自分であるのか、釈然としない。
五円玉は鈍く光る。歳月が錆として刻まれている。蜻蛉が飛び交う季節となった。肌寒いはずなのに、歩いているだけで気が紛れる。
「嘘だよ」
え。息を飲む。これまで組み立てていたのは、どこにいたのか忘れてしまった地蔵の元へと戻る計画であり、冗談に愛想笑いを浮かべる余白は残されていなかった。
「嘘なの?」
どうしても信じられない。言い換えるなら盲信することに酔っていた。彼女の犯した過ちを、訂正することで、正しい道へと導く。それは僕の宿命であり、神との対話でもあった。
「嘘なら、いいんだけど」
撫で下ろした胸にはわだかまりが存在している。黒くて艶やかな髪を肩まで伸ばした彼女の後ろ姿がぼやけている。
古民家が立ち並ぶ一角は、僕たちを世界から切り取っている。柔らかな木漏れ日に、大きな手をかざして、あっちへ行こうと呼んでいる。
促されるままに、納屋を覗き、井戸を確かめ、水車の連動する農具の巧みさを学ぶ。
落ち葉を踏みしめる。心が軽くなり、もしも地面に開いた落とし穴にはまったとしても、きっと彼女は救ってくれる。躊躇いなく走り回る。
案の定、小さな川が流れている側溝にはまる。捻りはしなかったものの、淡く痛む。
「つかまってよ」
ぐいっと引っ張られる。存外に力のあるのは知っていた。訊けばバレーボールで鍛えているらしい。
昔遊びのコーナーで、竹馬が置いてある。
「やろう、これ」
恐る恐る足をかける。右足でバランスを取り、左足を宙へ浮かせる。きゃあ、と転ぶ彼女の上気さえしない無垢の表情の、なんと美しいことだろう。
本当は上手なはずなのに、僕のあまりにへっぴり腰なものだから、合わせてくれる。
弱さを発揮していることに、まったく自覚はない。実はまだ、生まれたてのキリンのように、欺く術を持っていなかった。
竹馬が乗れるようになった。拍手をして喜んでくれる。風化していく景色が、塵芥に帰してしまう。その前に、精神の幾つもの胃袋で反芻しよう。そうしよう。
たくさん味わい。しゃぶりつくしたら、とことん大きなげっぷして。恥ずかしがればいいじゃない。布団に潜ればいいじゃない。
いつか誰かの夢に溶けて、新しい悩みの種を互いに育もう。芽生えても、そうでなくても、まず蒔くことを諦めずに、つまらなく叫ぶ。
(了)