第一話 ショウ・マスト・ゴー・オン 前編
結局、『私』は最後までこの仕事を好きになれなかった。
探偵という仕事は、人助けになるものだと思っていた。
少なくとも始めたばかりのころはそう信じていた。
だが、人の醜さに触れ、悪事を露にしていくたびに、徐々に自分も黒く淀んでいるような気がした。悪を為した者たちが無数の手で淀んだ沼へ引き込んだ居るような感じだった。
……だから。
……だから、『私』は───。
「……ゼオ、いつまで手帳見てるのよ」
よく晴れた日、大通りに面したカフェのテラス席で、ゼオと呼ばれた男が顔を上げた。
睨みつけるような鋭い視線で、向かいのイスに座る露出の多い恰好をした女を一瞥する。そして、すぐに手帳に視線を戻す。そして、不満げに呟やいた。
「『俺』が依頼したのは情報だけだったんだがな」
「そうよ!だから、ここにいるのは個人的な要件っ♪」
ニコッと悪戯っぽく笑う。愛嬌も混じった完璧なその笑顔は、ほんの少し前までカメラに向けて振舞われていた。彼女はそういう仕事に就いていて、かなりの人気だった。もちろん顔立ちも整っている。
だが、ゼオは鬱陶しいどころか引いたような顔で彼女を見ていた。
その反応に女は不満そうに、テーブルに頬杖を突いてすっかり氷の解けてしまったジュースをストローからチューチューと吸い始めた。
もちろん、ゼオはそんな彼女の態度など慣れ切っていた。体重をかけてイスを傾け揺すりながら、手帳をめくり女について書かれたページを開いた。
【リーシャ・ウィンシャコール】
20歳でトップモデルとなった彼女は、その実力も人気も疑いようがない。耳に入ってくる噂も後ろめたいものは殆どない。足を引っ張る者もいない、奇跡のような存在だった。
そんな彼女が白昼堂々、大通りのカフェのテラス席に男と二人きりでも話題になるようなことはない。
周りには誰もいなかった。大通りの店に入る客も、出る客も。車も走っていない。二人のいるカフェも他に客はおらず、店員は一人だけ。呼ばない限り奥から出てこない。
ゼオは手帳をめくった。
そこには写真と手紙、それからリーシャに依頼した情報が纏められていた。
写真に写っているのは若い女性。おそらく高校生くらいだろう。優し気な印象だった。
名前は【ハヅナ・ラデンバリオ】。手紙にはそう書いてあった。それと、もう一つ。
この娘を見つけ、保護してほしい。ゼオへの依頼だった。
人探しはよくある依頼とはいえ、今回は情報が少なすぎた。写真はともかく、今のこの街の事情から名前は使い物にならない可能性があった。
だから、情報屋であるリーシャに協力を依頼した……が、正直この件には関わらせたくなかった。
「ハヅナちゃん、ホンット可愛いわ~!あたしのコト、好きだったらいいんだけど~……」
はあ、とゼオはまたため息をつく。こんな調子だが、リーシャの情報は正確だ。
この大通りの向かいにある病院にハヅナが入院しているらしい。外を歩けるくらいには回復しており、近々退院するそうだ。そのタイミングを狙って接触する。そのつもりだったのだが。
「すみませーん、ビールひっとつー!」
「っ、オイっ……!」
思わず声を荒げる。
「昼間っから酒飲むんじゃねぇよ。少しは外ヅラ考えやがれ」
「いいでしょ別に。トップモデルでも昼間から酒飲みたいときくらいあるわよっ」
そう言いながら、リーシャはやってきた店員にビールを注文した。
店員が奥へ消えると、リーシャはからかうようにつぶやいた。
「自分が呑めないからって嫉妬しないでよ……探偵さんっ?」
呑めないわけじゃねえよ、と言い返そうとしたゼオの視線が止まる。その先には、写真に写っていた少女がいた。ちょうど病院から出てきたところのようだ。雰囲気はやや違うが、間違いない。
「何?ハヅナちゃんいた?」
リーシャに構わず席を立つ。すぐにでも接触する、店の代金はこいつに払わせればいいだろう。そう思っていたのだが。
「不味い、人攫いだ」
大通りを歩くハヅナの後方に、いつの間にかワンボックスカーが停まっていた。獲物を狙う狼のように、エンジンを唸らせながら。
「リーシャ!」
リーシャは我関せずとばかりに、泡の湧いたビールに幸せそうに口を付けていた。
ハヅナのほうへ振り替えると既に車は走り出していた。彼女の姿はどこにもない。吐き捨てるようにゼオは舌打ちし、背もたれに掛けていたコートを羽織り駆け出した。
幸い、まだスピードは出ていない。追い付く余地はあった。
ゼオは駆け出した勢いのまま、空中を駆け上がった。足場でもあるように、弾むように。
一度蹴るごとに高さと速さが上がっていく。ものの数秒で建物の屋上を超える高さにいた。
ハヅナを攫った車は元の通りから消えていた。
交差点を曲がったのだ。位置は予想できる。建物の屋上を斜めに突っ切り、道路の上に思いっきり飛び出した。
「居た!」
眼下の通りには予想通り例の車があった。再び空中を蹴る。
落下の勢いと合わせて、凄まじい勢いでゼオは突っ込んだ。
「ッッ……!!」
風を切る音がして、鈍い音が響いた。
衝撃で車が揺れる。
車内の動揺でハンドルが乱れ、更に揺れる。
タイヤの擦れる耳障りな音を聞きながら、へばりつくような体勢で凹んだ屋根にしがみ付く。突然降って湧いた追っ手に車内が混乱しているのが分かった。
運転が安定し、落ち着いたかと思いきや、今度は振り落とそうとしてるのか激しく揺さぶられた。他に車がいない道を我が物顔でジグザグに激しく暴走していく。放っておけば横転や最悪道沿いの建物に突っ込みかねなかった。
「っ、この……!」
ゼオは左手で帽子を押さえながら、右手で腰のガンベルトに留めていた拳銃を引き抜く。そのまま、鈍く光を走らせる銃口をフロントシートの中間に向ける。運転席と助手席の間、誰もいないであろう空間に。
「変なところに当たるなよ……ッ!」
膝立ちで姿勢を安定させ、両手でしっかり狙いをつけ、引き金を引いた。
エンジンの爆音にも負けない衝撃が轟く。
装填されているのは非殺傷用の特殊弾頭。
とはいえ、至近距離で放たれれば車の屋根など簡単に貫通した。
ヒッと、小さな銃跡から運転手の悲鳴が聞こえた。銃で狙われているというショックが一気に恐慌となって運転手を襲う。
車は大きく右に曲がり暗く細い路地に吸い込まれるように突っ込んでいった。
ゼオはバランスを崩し路上に放り出された。だが、上手く転がりながら着地し、すぐに立ち上がる。コートに付いた汚れをはらい、吹き飛ばされた帽子を被りなおした。
車は路地のそばにあった街灯に突っ込んで停止していた。先程までの暴走が嘘のように静けさに包まれている。車内にいたハヅナと人攫いがどうなっているか、想像がつかない。
無人に思えるほど静けさを保った車に、ゼオはゆっくり近づいていく。
と、突然車のドアが開いた。パニックになった男たちが三人、逃げるように路地へと走っていく。そして、写真の少女、ハヅナも姿を見せる。
「……」
声を掛けようとはしたが、様子がおかしい。たった今、車に乗せられて誘拐されかけたというのに、少しも怯えていない。むしろ、目には闘志のような鋭さが混ざっていた。視線を男たちが駆け込んだ路地に向け、駆け出す。
「あっ、おい!」
後を追い、ゼオも路地を覗く。
逃げる男の腕をハヅナが掴んでいた。見上げるほど体格差があるその男を、彼女は慣れたように背負い、放り投げた。男の身体が宙に舞う。
「はぁッッ!!」
硬い地面に叩きつけられ、げぶぅ、と空気が漏れた悲鳴がする。逃げ込んだ三人のうち、他の二人も懲らしめられたのかうずくまって呻いていた。
ふう、とハヅナが息を吐き、羽織っていたジャケットを正した。少女らしい服装を上から覆う、その無骨なジャケットをゼオは何度も見たことがあった。ジャケットの二の腕には『GPD』の文字がある。ガーベム・ポリス・デパートメント。
(警察か……道理で強いわけだ)
対するハヅナも、ゼオのことに気づいたらしい。警戒しながらも、声を掛けてくる。
「……さっきの発砲は、あなたがやったのか?」
「ああ」
両手を上げ、敵意のないことを示しながら近づく。実物の彼女は、写真とずいぶん印象が違う。
「君と接触する気でいたんだが、そこでうずくまっている男たちに先を越されてね」
「強硬手段を採らせてもらった。怪我は?」
「大丈夫……車内でも、何もさせなかった。それで、あなたは……誰なんだ?」
誰、か。この娘は入院していたため、今この街に何が起きているか知らないらしい。
「『私』は、ゼオルフ・シュッツバル。ゼオでいい」
「ゼオ……?」
ハヅナの目の色が変わる。驚きと疑惑の混じった瞳でこちらを見ている。
彼女は『私』のことを知っているようだ。
どう説明するにせよ、面倒なことになる……そう予感したときだった。
「っ、来いっ!」
彼女の身体を引っ張り、路地の横のわずかな空間に身を寄せる。ハヅナは一瞬の困惑の後、離れようと抵抗する。その瞬間、先ほどまで二人が居た路地の通りに耳をつんざく轟音が響く。人体など容易に貫通する銃弾が何十発も放たれ、いくつかはコンクリートの外壁を砕き削った。
殺戮の嵐が吹き荒れていた。
「な、なにが起きてるんですかっ!?」
「運転手だよ!あいつは、車を降りてないだろ……っ」
確かに、ゼオはハヅナに気を取られ運転手の様子を確認していなかった。
「まさか、マシンガンまで持ち歩いてるとは……物騒になったもんだ」
「あなた、銃あるんでしょっ!?反撃してくださいよっ!」
「バカ言え、この弾幕で……撃つより先にヤられるっての」
密着したまま動きの取れない二人に、人攫いが声をあげる。
「オォォイっ!出て来ォい、クソヤロウ!」
「……言われてますよ」
うるさい、と制し姿を見せないまま人攫いに向け問いかける。
「あぶねえだろ、なあっ!誘拐する相手まで殺す気かっ!」
声が銃声を越えて届いたのか、銃撃が止んだ。その隙に様子を伺う。
路地の入口を塞ぐように男が立っていた。手にはマシンガンが握られている。明らかに誘拐に使うにはやりすぎな武器だ。
視線をハヅナに痛めつけられた男たちに移す。路地に残された彼らは2頭を抱え震えながら這いつくばっていた。一応、仲間たちには当てないようにしたらしい。
「撃つの止めたんだから、出て来いよぉぉぉおおっ!!頭キてるからな、ブっ殺してやるっっ!」
邪魔されたのが余程カンに触ったのか、男は大声でわめき散らす。とはいえ、正直に出て行っては殺されるだけだ。正面切って撃ち合ってはこちらが無事では済まない。
だからと言って、このまま待っていてはあの男が何をしでかすか分かったものではない。癇癪を起こして、男の仲間たちに流れ弾が飛んではゼオも気分が悪い。
ふと、自然と抱きしめていたハヅナの様子を見た。誘拐犯に反撃し投げ飛ばす気概を持った彼女でも、不安に感じているのが分かった。
迷っている暇はない。彼女の保護がゼオの依頼なのだ。
「君に怪我はさせない。約束する」
「だから、『私』を信じてくれないか?」
ハヅナは、一瞬目を伏せ考え、そして頷いた。
よし、とゼオは安心させようと笑みを浮かべ、そして人攫いへ再び問いかけた。
「降参だ!彼女は渡す、だから撃たないでくれ!」
そう言って、ゼオは路地のほうへ何か放り投げた。がちゃん、と音を立てたそれはゼオが腰に付けていたガンベルトだった。拳銃が二丁留められている。
ゼオは自ら自衛のための武器を投げ捨てた。他に武器はない。丸腰だ。
それをみて、人攫いの男はすっかり上手くいったと頬を緩めた。調子に乗っている奴を
陥れるのは何時だって気分がいい。主導権を握ってやった優越感に男は気持ちよく浸っていた。
「いいぜぇ、逃がしてやるよぉ!さっさと消えるんだなぁ、ザコ!」
そんな男の前に、ゼオは姿を見せる。正面にハヅナを抱えて、盾にするような姿勢で。
「……あぁっ?ハァァっっ!?」
一気に冷めてしまった。男はゼオが背を向けて逃げ出すものとばかり考えていたのだ。それが人質を取って、一丁前に抵抗を示してきた。
捨て犬を可愛がって、飼ってもいいなんて思っていたところで手を噛まれた時のように。
冷めた男の頭に一気に熱い血が昇る。
「ナメてんじゃねぇぞおおっ!!」
男が銃口を向けた。もはや人質などどうでもよかった。スカッと気晴らしになるなら、金なんてどうでもいい。必要になったら、また誰か攫えばいいのだ。
銃口を向けられ、ハヅナは目を見開く。恐怖が湧き上がる。が、それを噛み殺して男を睨みつけ、ゼオを庇うように立ち塞がる。元はと言えば、自分のせいで巻き込まれたのだ。見殺しには出来なかった。
「死ねぇぇええ!」
男が叫び、ハヅナが庇う。だが、ゼオはそれを押しのけた。
少女の身体が退き、男とゼオが対峙する。
「っ……!」
何か言おうとした。だが、決着はその前についた。
銃声が一発だけ。
ゼオは……何事もない。傷も追っていない。
対する男は、マシンガンを落としていた。腕を撃たれたのか、うずくまって抑えている。
「えっ……?」
何が起きたのか、理解できなかった。丸腰だったはずのゼオが男を撃ち、倒している。
どうやって?頭を巡らせても答えは出ない。
対するゼオは悠然と歩き出した。落ちていたガンベルトを広い腰に巻くと、うずくまっている男に近づく。男が挙げる罵声も気にせず、慣れた手つきで手錠をはめる。
「腕が痛いだろうが、我慢するんだな。死にはしないからよ」
手錠をはめてそう声をかけた頃には、男はすっかり大人しくなっていた。それから、やっとハヅナへ声を掛ける。
「大丈夫か?もう安心だ」
壁に寄りかかってへたり込んでいる彼女へ手を伸ばす。ハヅナはその手を取り、立ち上がって改めてゼオを見つめる。聞きたいことは山ほどあった。さっきの対決のことだけではない。
マシンガンまで持ち出す人攫い。人気のない街並み。この街に一体何が起きているのか。そして。
「ゼオ……あなたは、一体……」
彼女の記憶では、ゼオルフ・シュッツバルという探偵は40を超えていたはずだ。
目の前の男はせいぜい20代前半。明らかにゼオではない。
ゼオと名乗った男は答えない。どう説明するか考えていた……が、そんなところに。
「お~、いたいたっ!流っ石よねぇ!」
カフェに残っていたリーシャが今になってやってきた。
手には水が入ったグラスを持ち、見学でもするかのように誘拐事件の現場をきょろきょろ見回す。そして、ハヅナの姿を見止めると笑みを浮かべ駆け寄ってきた。
「えっ、リーシャ・ウィンシャコール……!?」
予想外の有名人の登場にハヅナは驚く。戸惑う彼女に構わず、リーシャはガンガン距離を詰めていく。
「大丈夫っ?ケガしてない?怖かったでしょっ……!もう大丈夫よ、私たちがいるからね!」
「えっ、あ、あのっ」
キスしそうなほどハヅナに近づくリーシャをゼオはいつものように冷めた口調で咎めた。
「リーシャ、そこまでにしとけ。まったく……」
先程までの緊迫した雰囲気がなくなり、緊張感も緩む。喉が渇いたゼオは、リーシャが手に握っていたグラスを奪い、口を付け一気に傾けた。無色透明なそれは、水だと思っていたのだが。
「あ、それウイスキー」
強烈なアルコールを受けゼオはぶっっ、と吹き出し、そのままバタッと倒れた。
マシンガンを前にしても怯まなかった彼が、大の字になって地面に転がっていた。
ぽかんとしたままのハヅナに対し、リーシャは倒れた彼をつんつんと突く。ゼオは呻くばかりで動けない。
はあ、と息を吐いたリーシャはしゃがんだままハヅナに顔を向けた。
「こいつの事務所、行こっ。聞きたいことはあるだろうけど、全部そこで説明してあげるっ♪」
ぱちんっと愛らしくウィンクしたリーシャに、ハヅナはただ頷くしかなかった。
「狂った舞台にようこそ……子猫ちゃんっ♪」
幕は上がったばかり。
続く。
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