悪食鬼熊
翌朝はなぜかネルルファが不機嫌だった。
理由を聞いたところ、どうやら私は眠ったあと無意識にネルルファの尻尾を触りまくっていたようだ。
普通に怒られてしまった。
これは反省しなければならないな。
「――――きゃッ!」
「おっと、大丈夫か!?」
ゴジ山に入ってから半日が経った頃、ネルルファが木の根に足をとられ転びそうになった。
咄嗟に手を掴み、ことなきを得たが。
今日はろくに休憩もせず半日歩きっぱなしだったし、さすがに疲れが出てきたか。
「あ、ありがとう」
「ここらで一旦休憩しよう。そろそろお腹も空いただろ?」
むしろよく泣き言ひとつ言わずに歩いたものだ。
「わ、私はまだ大丈夫だから。先を急ぎましょう!」
「急く気持ちはわかるが、焦って怪我でもしたら余計に遅れてしまう。休む時はしっかり休むんだ、いいな?」
そう言いながら頭を撫でる。
ああ、やっぱり耳がフサフサしてて気持ちいい。
ネルルファは撫でられながらこっちをジトリと睨んでいるが。
昨日改めて思ったが、昔のキュウラに似てるんだよな。
この目付きとか、小生意気なところとか。
だからだろうか、余計に放っておけない気持ちになるのは。
◇
その後も、ひたすら歩き続けては休憩を繰り返して、進めるだけ進んだ。
途中ネルルファが何回も転びそうになってはいたが、それでも前へ進んだ。
里の皆を思う気持ちが強いのか、元々負けん気が強いのか、相変わらずネルルファは一切の弱音を吐かない。
「ねぇセイフィール、 何か聞こえない?」
今日は暗くなってきたので、これ以上進むのを止めて夕飯の準備をしようかと話していた時だった。
ネルルファの耳がピクピクと動いた。
「ん? 私には何も――――」
――――聞こえない。
そう答えようとした直後だった。体の底に響くような雄叫びが聞こえたのは。
「グルルルルルルゥゥアアアッッ!!!!」
雄叫びに怯え、木上に隠れていた鳥種の魔物が何百何千と逃げるように飛び立っていく。
この雄叫び、まだ距離はあるが、凄い速度でこちらに近付いてきている。
「ネルルファ!! 私の後ろから動くなッ!!」
余りの大きな雄叫びに、頭上の耳を押さえて踞るネルルファの前に立ち、剣を構える。
そして周囲の大木を軽々と薙ぎ倒しながら、そいつは現れた。
逆立つ茶色の体毛、鋭く覗く巨大な牙と爪、大木を腕の力だけで薙ぎ倒せる程の発達した筋肉、そしてこの魔物の象徴とも言える二本の尖った角。
私たちのまえに姿を見せたのは、二足歩行の熊種魔物【悪食鬼熊】という、全長10メートルに届こうかというAランク指定の怪物熊だった。
「まったく、ついてない」
こいつに遭遇しなければラッキー。出発前はそんな風に考えてはいたが、運が悪かったか。
「セ、セイフィール、に、逃げましょう、無理よこんなの……」
腹を空かしているのか、その口元からは大量の涎が溢れ出ている。
逃げたいと思うネルルファの気持ちも理解できる。
だが、こいつは一度獲物を見つけると死ぬまで追い続けるしつこい魔物だ。
倒した方が早い。
「逃げる必要はない。こいつはここで仕留めていく」
「な、なに言ってる、の……こんな怪物に、か、勝てるわけ……」
想像以上に怯えて取り乱してるな……【悪食鬼熊】よりもこれから相手にするヴァンパイアのほうがずっとやばいのだが。
ネルルファにとって、見た目的には【悪食鬼熊】のほうがわかりやすく恐ろしいのだろう。
「グルルルルアァァッッッ!!」
【悪食鬼熊】が鋭い爪をその馬鹿げた腕力に乗せて、力任せに振り下ろしてきた。
あまりに単純な攻撃。
こいつは生まれながらの強者だ。このゴジ山でこいつより強い魔物は存在しない。
故に命の危機に陥ることなんて滅多にないのだろう。
その証拠に並の冒険者なら、こんな単純な攻撃にもなすすべなくミンチになってしまう。
――――ガギギィッ!!
刀と爪とが合わさり、嫌な音が山に響く。
私は愛刀で正面から【悪食鬼熊】の爪を受け止めた。
衝撃で足が地面に10センチほどめり込んだ。
さすがはAランク指定の魔物、攻撃が重い。
「悪いな、私も力には少しばかり自信があるんだ」
「……グルァ?」
何が起きたのか理解できてない様子の【悪食鬼熊】の爪を横に凪払う。
【悪食鬼熊】はバランスを崩しそうになるが、何とか立て直そうと必死に足掻いている。
長引かせるつもりはない、この隙に終わらせてもらおう。
「――――今晩は熊肉のステーキだッッ!! 《光ノ断罪斬首》」
魔力を練り、光を纏った剣を振り下ろす。
それとほぼ同時に【悪食鬼熊】の巨大な首が転がった。
振り下ろすことに成功したということは、もう終わったということだ。
私の《光ノ断罪斬首》は何より素早く斬ることに特化した魔法。
剣を振りきった時にはもう光の刃が対象の体を両断している。
私が目指してるのは光をも越える速度。
まだその域には到達していないとはいえ、それでも【悪食鬼熊】は自分が斬られたことにすら気付いてないだろう。
「怪我はないか、ネルルファ?」
「え、ええ。大丈夫、――――って痛ッ」
【悪食鬼熊】討伐後、無事を確認しようと振り返るとネルルファが首元を押さえている。
まさか、さっきの攻撃で木の残骸でも飛ばしてしまったか?
「見せてみろ」
「ええ、ここがなんかチクッとしたの」
見るとネルルファの首筋には小さな虫刺され穴があって、その周りが赤黒く腫れてしまっている。
これは……毒持ちの虫か魔物にやられたか。
「そのまま動くなよ?」
――――カプリと私はネルルファの首筋に口をつけ、
「え、え、ちょっと、なにするのよッ!? え、や、やめなさい、わ、私とあなたはまだそんな関係じゃ――――」
――――ちゅう、っと思いっきり吸った。
「キャアァーッッ!!」
山に響いたネルルファの叫び声は【悪食鬼熊】に負けないくらいうるさかった。
◇
「そろそろ機嫌をなおしてくれ。ほら肉が焼けたぞ」
先ほど倒した【悪食鬼熊】の肉を調理して、不機嫌なネルルファへと手渡す。
食べれる部位は限られているが、そこそこ旨い。
「……別に怒ってないわよ」
「あれは毒持ちの魔物か虫の仕業だ。いくら《浄化》の結晶があるといっても、毒を吸出してからのほうが効き目は早い」
あのあと暴れるネルルファの首筋から毒を吸出し、《浄化》の結晶を使った。
首の腫れも引いてるし、顔色もいい。
毒は無事浄化されたようだ。
「それもわかってるわよ。高価な結晶まで使ってもらって感謝もしてるわ」
「やっぱり何か怒ってるだろ」
「怒ってないわ!!」
んー、どうみても怒ってるが。
まぁ本人がこう言ってるし、そっとしとくか。
「……これじゃまるでキスマークみたいじゃない」
「ん、なにか言ったか?」
「なんでもないわッ!!」
まったく…………この年頃の子供は扱いが難しいな。
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