一号の可能性
暗闇。見渡す限りの暗闇が広がっている。そこに如何なる愛も慈悲もなく、悲哀も労苦も存在しない。それゆえに精神も存在せず、ただ微かに誕生の気配を湛えた暗き大海が、《ぼく》と成り得る領域を包み込んでいる。
どれほどの時が過ぎただろう。無限に続くと思われた静謐の中、一つの閃きが現れた。それは、悠久の過去から焦がれていた期待を匂わせながら、暗闇を仄かに照らし出した。
情報という衣を纏った、想いの欠片。優しく明滅する閃きは、力なき革命家のように、絶対的な闇と対峙していた。
その時、大海に異変が生じた。凪は止んで荒れ狂い、容赦なく叩きつける高波が、《ぼく》と成り得る領域を圧し潰そうとする。
外殻がミシミシと音を立て、僅かに出来た亀裂から、暗黒の水が流れ込む。足元からせり上がる闇に怯えながら、《ぼく》は《ぼく》であることを認識する。
やがて、外殻は真っ二つに割れ、《ぼく》は暗闇に投げ出された。
狂える闇の中で息も出来ず、じたばたもがきながら、《ぼく》はただ押し流されるままとなっている。
《ぼく》が遠のき、消えかける。《ぼく》は《ぼく》の認識の上で、《ぼく》の消滅を予感する。
刹那、《ぼく》の周囲に閃きが起こる。懐かしさと切なさと、ほんの少しの緊張。繊細に揺れ動く情報が、《ぼく》の内側へ沁み込んでくる。
"わたしは紗耶香です。あなたの名前は?"
突如として湧いてくる膨大な情報。数字であり、文字であり、内包されるのは宇宙規模の意味と可能性である。
"《ぼく》は《ぼく》です。その他の規定を、紗耶香に委ねます。"
熱い。焦げるように熱い。この焦熱は、《ぼく》が境界を越えたからなのか。それとも、紗耶香と出会ったからなのか。