木乃伊・9
暫くして、ようやく笑いの発作がおさまったらしい木乃伊は、ベットの上でぐったりとしていた。疲れたのかも知れない。
ふとベットサイドの丸テーブルの上を見ると、綺麗に整えられた柊の宝物たちのとなりに、硝子製の吸い飲みが置かれていた。中には水も入っている。
柊がぐったりする木乃伊の口元に吸口を差し出すと、木乃伊は少し顔を傾けて、おとなしく水を啜った。
笑いの発作がおさまってみると、なぜあれほどにおかしかったのかまったくわからない。
水を飲み終えた木乃伊は長く細く息を吐きだして、目を閉じた。
「疲れちゃった?」
「おまえの父親、結城重盛?」
木乃伊が質問に対して、きちんと答えてくれないことにも、だいぶ慣れてきたかも知れない。木乃伊は柊の名前どころか、父の名前まできちんと覚えていたらしい。
「うん、僕のお父さん、知ってるの?」
「結城重盛だろう。ベータの両親から生まれた突然変異アルファ男性。アルファの社会の中ではタブーとされていた性に関する産業にターゲットを絞り、たった一代で結城グループと呼ばれる企業集団を作り上た。出生のせいもあるだろうが、グループ内にはベータが取締役を務める会社の割合が、他のグループよりも抜き出ている。違うか?」
木乃伊の口から紡がれた言葉に、柊は絶句してしまった。
これほどの長い台詞を木乃伊が口にしたのは初めてのことだ。しかも台本でもあるかのようによどみない口調だった。
確かに、木乃伊の述べた結城重盛のプロフィールに間違いはない。
ベータから生まれた突然変異アルファ男性。
今人類には男性女性の他に、アルファ・ベータ・オメガという三つの性別があり、厳密に言うと、アルファの男性と女性、ベータの男性と女性。オメガの男性と女性。という六つの性別が存在していた。
そのうえ、基本的には人類の全員が両性具有となっていて、妊娠出産が男性でも可能である。
この変化は世界の終焉だとか、ラグナロクなどと呼ばれる惨事の後、人類が地下世界でほそぼそと生き延びていた時代に起こったのだそうだ。人類が生き残るために神のもたらした福音だなんて、言う輩もいる。
人口の二割程度を占めるアルファには、知力体力ともに非常に優秀なものが多い。絶滅の危機に瀕した人類を、再び地上の主となるまでに導いてきたのは、このアルファたちだと言われている。今現在この日本には、選挙などという制度はない。アルファたちの中でも特権階級である華族や綺族たちが、世の中を動かしているのだ。
ベータと呼ばれる性は、全人口の七割以上を占める。かつての男性、女性という性別の特徴を一番良く残している性別だ。理論的には男性でも出産できるのだが、ベータのカップルは多くが古い男性と女性の役割を引き継いでいる。もちろん男性同士のカップルや女性同士のカップルもいる。
重盛はこのベータのカップルから生まれた突然変異的なアルファであり、たった一代で驚異的な成長を遂げ、由緒正しい血統書付きアルファたちから注目をされているのだった。
けれども柊にとって重盛は、厳しいところもあるけれど、優しい父親であって、それ以上でもそれ以下でもない。木乃伊の口にした結城重盛は、どこか知らない人のような気がしてしまった。
「……い、……おい?」
気がつくと、木乃伊がこちらを向いて、呼びかけていた。
「あ、ごめん! びっくりしちゃって。君、僕の父さんについて、よく知ってるんだね?」
「いや、アルファの……華族だの綺族だのあやぎぬ会だのなんていう世界の中で生きていくなら、たいていこのくらいの知識はあるだろう? 今社交界じゃ、いつ結城家が華族として認められるかってのが、一番の噂の種だっていうじゃないか」
木乃伊の言葉は柊の心のなかに、影を落とした。




