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運命の隷属  作者: 観月
プロローグ
7/62

木乃伊・7

 次の朝、柊は随分と早くに目が覚めてしまった。


 薄暗い部屋の中で手早く着替えを終え、忍び足で木乃伊の寝ている客間へと向かう。


 誰かに見咎められたりしたら困る。


 ひっそりとしているが、使用人の幾人かは、もう目覚めて仕事をしているはずだ。


 ひんやりとした朝の空気が乱れてしまわないように細心の注意を払いつつ、それでも極力急いで、柊は木乃伊の元へと向かった。


 結城家には、幾つかの客間がある。


 一階に数部屋と、二階に一部屋。


 結城邸は一階に比べると二階の床面積はかなり狭い間取りになっている。一階は客人を迎えた際の様々な部屋や施設が用意された、明るくきらびやかな空間である。それに対して二階は、プライベートな空間であり、一階に比べると色味や調度品も落ち着いたものが選ばれている。


 柊と父の部屋も二階にあった。


 木乃伊が寝かされていたのは、二階の客間だ。柊はその部屋の前までやってくると、呼吸を整えてからドアに耳を当ててみた。


 ドアの内側は、静かだった。呼吸を殺して耳を済ませると、耳奥でしーんという音が聞こえてきそうだ。客間の内側からは、何かが動いているような気配はしない。


 木乃伊はまだ眠っているのかも知れない。


 柊はゆっくりと扉を開けた。


 矢も盾もたまらずここまで来てしまったが、木乃伊を起こすつもりはない。ちゃんと彼がそこに存在しているのか。柊の知らない間にいなくなってしまってはいないか。それが確認できればそれでいい。


 彼のそばで、目が覚めるまで寝顔を眺めていてもいいし、一度自分の部屋に戻ってもいい。


 ドアは音もなくゆっくりと開いていく。


 木乃伊の横たわる寝台のある辺りに目を向けると、琥珀の瞳がこちらを見ていた。


「…………!」


 音を立ててはいけないと思っていたから、口は「あ」という形に開いてしまったけれど、柊はなんとか声を上げることをこらえた。


 視線の先で、木乃伊が微笑んだ。


 顔も包帯に巻かれているし、表情なんてほとんど読み取れるはずもないのだが、柊にはそう見えた。


 すぐにも木乃伊に声をかけたかったけれど、逸る気持ちを抑えて柊は一旦木乃伊に背中を向ける。そして、できる限り音を立てないように、ゆっくりと扉を閉めた。


 ドアラッチがしっかりと嵌る感触に、ほうっと息を吐き出す。


「おはよう、起こしちゃったかな?」


 振り返って声をかけると、木乃伊は瞬きをして、小さく頭を振った。


 木乃伊の手には、柊が幼い頃に拾って大切にしてきた、薄緑色の硝子の破片が握られている。


 角の丸くなった三角形のような形をした、全体的には平べったい硝子だ。拾った柊にも、それがもともと何だったのかはわからない。


 おそらくは清涼飲料水の入っていたボトルの破片ではないかと、今では考えている。


 他の宝物たちと比べたらあまりにもお粗末で、昨日その宝物についてだけは、木乃伊に見せていなかった。


 木乃伊は柊を見つめながら、硝子の破片を自分の目に当てた。


「緑色の世界」


 ポツリと言って、硝子の破片を柊へ差し出す。


「あ、うん。これ、僕がまだ小さかった頃にどこかの空き地の隅っこで見つけたんだ。地面に埋まっててさ。ちょこっと端っこが見えてね、僕、掘り起こして……」


 柊はベットサイドに近づき、木乃伊から硝子の破片を受け取った。


「宝物を見つけたみたいで嬉しくって、ただの硝子の欠片なんだけど、ずっと大事に持ってたんだ」


 結城の家にもらわれてくる前の、たった一つの柊の宝物だった。


 木乃伊の横たわるベットの脇の丸テーブルには柊の宝物の小山ができている。柊の手の中に収まる硝子の破片なんかとは比べ物にならないような美しい物ばかりだ。


 それでも柊にとって、この薄緑色の破片は特別なものだった。どんなに美しい宝物を手に入れたとしても、手放すことができなかった。


 かつての、幼く何も持ち合わせていなかった自分の、たった一つの拠り所だったのだ。


 なのにどうしてか、このとき柊は思わず木乃伊の手にもう一度このかけらを握らせていた。


「これ、僕のとっても大切な宝物だったんだけど、君、もらってくれるかい?」


 と。


 木乃伊は手の中の硝子の欠片をじいっと見つめる。


「あ……こんなの、いらない、かな? ごめんね……」


 柊が木乃伊の手の中の硝子の欠片に手を伸ばそうとすると、木乃伊の手は柊の手から逃れるように、横にスライドした。


「へ!?」

「ありがとう」


 柊の間の抜けた甲高い声と、木乃伊の掠れ声が重なった。


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