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運命の隷属  作者: 観月
プロローグ
6/62

木乃伊・6

 せっかく父から木乃伊の世話を頼まれたというのに、きちんと役目を果たせなかった。


 そんな思いに囚われてうつむいた柊の前に、包帯だらけの手が差し出された。


 いったいどうしたのだろうと、不思議に思っている間に、どんどん近づいてきた指先が、柊の頬に触れた。


「おまえ……、また、来る?」


 頬に触れたまま、木乃伊が尋ねた。


 柊を見上げる視線には、特にこれといった表情は浮かんでいない。


 でも。


 また、来る?


 その言葉が、柊の心に温かな灯火を灯す。


「来るよ、またくるよ。僕、父さんから君の様子を見ていてねって、頼まれてるんだ」


 柊の言葉を聞いた木乃伊の眉が僅かに寄り、眉間に小さなシワを刻む。


「おまえの父親って、誰だよ」


 答えようとした柊の頭の中に、疑問符が溢れ出した。


 木乃伊はどうしてこんなに傷だらけなんだろう。どうして結城家に運び込まれたのだろう。父と、どんな関係があるのだろうか。


 もし木乃伊が結城と縁もゆかりもない少年なのだとしたら、父はわざわざ自分の屋敷に運び込んだりはしないだろう。


 それに、普通ならこんなにひどい怪我をした人間は、病院に入院させるに違いない。


 結城邸のあるコロニーの中にだって、小さいけれども病院はあるし、医者もいる。


 セントラルイレブンと呼ばれる大コロニーの中の総合病院に入院させることも、重盛には簡単にできるだろうに。


「僕の父は、結城重盛って言うんだよ……」


 木乃伊の瞳が、暗く光ったような気がして、柊ははっとした。


 父の名を、木乃伊に告げても良かったのか? 自分はまた失敗してしまったのではないか?


 しかしどんなに記憶をさらってみても、父や鏑木から、何かを口止めされたという記憶はない。木乃伊について詮索をするな。そう言われただけだ。


 見下ろす木乃伊の目は、既に凪いでいて、もうなんの情報もその瞳から読み取ることはできなかった。


「おまえは?」


 名を聞かれたのだと、気がついた。


 琥珀色の瞳が、柊を見上げている。


 安易に名を告げても良いものか。そこでも小さな逡巡が生まれた。

 

 けれども、魅入られるように琥珀の玉を見つめながら


「結城 柊」


 と告げる。


 なぜだろうか。この瞳に見つめられると、胸がドキドキと脈打ち始める。


 やはりこの少年は、木乃伊のような、なにか不可思議な力を秘めているのではないか。


 ――馬鹿な。


 喉の渇きを覚えて、柊は初めて目覚めたばかりの木乃伊に、水のひとつも飲ませていなかったのだと、思い至った。


 自分はなんて気が利かないのだと、またもや落ち込んでしまう。


「ごめんね。僕、自分のことを話すばっかりで、君、目覚めたばかりで、喉が渇いてたんじゃない?」


 木乃伊の瞳が、ベットに横たわった自分自身を見下ろそうとするように下を向いた。


「うるさくしちゃって、ごめんね」


「うるさく、ない」


「え?」


 すうっと、木乃伊の瞳が閉じていく。


「謝る必要はない、おまえは、うるさくない」


 柊の中に、ほっと安堵が広がった。


「柊」


 木乃伊に名前を呼ばれてはっとした、その瞬間に、部屋のドアが再び開いた。


「患者が目を覚ましたそうだね」


 白衣の(ぼたん)を留めながら、ドクターが足早に入ってくる。


「悪いんだけれど、柊くん」


 ぽちゃっとした体型で眼鏡を掛けたこのドクターは、柊のことを「ぼっちゃん」や「ぼっちゃま」ではなく、柊くんと名前で呼んでくれる数少ない存在だ。


「患者の診察をしたいんだけど……」


「あ、はい!」


 柊は木乃伊の枕元に運んだ大きな椅子からあわてて飛び降りた。


「あの、ぼく、もう寝ます」


「ああ、うん」


 ドクターはちらりと出窓に飾ってあった置き時計に視線を走らせる。


「もう十時過ぎだね。うん、柊くん、もう寝たほうがいいね」


「あの……」


 部屋を出ていこうとしながら、柊は木乃伊になんと呼びかけたらいいのか迷った。


 別れの挨拶がしたかった。


 そんな気持ちが届いたのかもしれない。木乃伊の顔が、ゆっくりと柊を向く。


「また、明日」


 自分にできる、精一杯の笑顔で伝えた。また、会おうねと。


「またな」


 木乃伊の返事が嬉しくて、柊は思わず頬が緩んでしまうのを、どうしても止めることができなかった。


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