協力者・4
写真を見たときにかけていた野暮ったい、大きな黒縁眼鏡はしていなかった。あの眼鏡をかけていてさえ、惹きつけられるような、魅力を持った少年だった。
驚き戸惑いの表情を見せていた昴だったが、闖入者の中に怜生を見つけると、笑顔を浮かべて彼の名を呼んだ。
「怜生! あんたもいたのかよ?」
「おまえ、どういうわけだよ、一度は逃げたくせに、和眞と婚約だって?」
つけていた仮面をもぎ取りながら声を荒げた怜生に向かって、弓削昴は、今度は声を上げて笑った。
「やだなあ、怜生。しょうがないじゃん。あのときはさ、お腹の子が和眞の子じゃなかったんだもん。話し合いの場になんか引き出されて色々調べられたら、和眞が口裏合わせてくれたところで、すぐにバレちゃうだろ!」
早口で、はっきりとした口調だ。
服装も相まって、闇の世界から抜け出してきた美少年というイメージだったのだが、口を開いた途端に音を立てて崩れていく。
「じゃあなんで……」
勢いをなくす怜生の脇から、英治が身を乗り出した。
「逃げましょう。昴。迎えに来たんです」
一瞬、昴の表情が揺れた。
柊は昴が泣き出すのではないかと思ったのだが、そんな表情を見せたのは一瞬のことで、昴はまたすぐに笑顔を取り戻した。
「駄目だよ先生。俺決めたんだよ。俺が和眞と結婚すれば、もう逃げることもないし、和眞はめっちゃ理解のある夫だからさ、先生とか、美野里のことも、ちゃんと面倒見てくれるって言うし、俺が先生と美野里に会うことも、許してくれるって言うんだよ? そんな奴、この世の中どこ探したっていねえじゃん」
昴の言葉を聞きながら、柊は唖然とした。想像していなかったわけではない。それでも驚かずにはいられなかった。つまり和眞はすべてを知っていながら昴に協力しようというわけだ。
「いけません、昴……それから、鷹司くん!」
ソファ背中を預けていた和眞が、英治の呼びかけにゆっくりを顔を上げた。
「あなただって、こんなこと……いいわけないじゃないですか!」
めずらしく声を荒げ、和眞に詰め寄ろうとする英二を、昴が押し留めた。
「だってしょうがないじゃん。相手は等々力だよ? その後ろには、京極だっているわけ。わかんだろ? 逃げおおせるわけないんだよ。はじめは逃げようと思ってたけど、和眞に会って、逃げ切れないって言われて……そのとおりだなって思ったもん。だったら、みんなを守れてさ、最高の選択だろ?」
柊はなかなか混乱から立ち上がれずにいた。
ちょっと待て、と思う。
どうして、和眞のことを誰も考えないのだろうか。彼の利益は、その話の中の、どこにあるというのだろうか。
もちろん明日をもしれない昴と、綺族であり何不自由ない生活をする和眞と比較するのは間違っているのかもしれない。だからといって和眞に、自分が不利益を被ってまで昴を支える義理があるとも思えない。
それにしたって。
そこまで考えた時、柊は思わず大きな声を出していた。
「他に道はあります!」
仮面を外し、柊は昴に向かって一礼をした。
昴の視線が不信を顕にして柊に注がれたが、自己紹介をしている時間も惜しい。
「私が、弓削様と鳴海先生の逃亡先を手配しました」
「ちょっと、そんなの簡単に用意できるわけ無いじゃん。だいたいアンタ、信用できるの?」
昴は腕を組み胸を張り、のけぞるようにして柊を睨んでいる。
「できます! いえ、信用できるかという話ではなく……逃亡先は用意できているんです。黒川組所有のコロニー。あそこなら、等々力といえども、よほどの覚悟がなければ手が出せないはずです」
もちろん京極や、等々力ほどの権力を持った組織なら、黒川のコロニーに探索の手を伸ばすことも不可能ではないだろう。しかし、そうなった場合、黒川との仲は更に悪化する。今まで表立っての衝突はなかったが、全面的な抗争に発展しないとは限らない。そうなれば抗争に力を割くことになり、弱体化の危険も出てくる。等々力も、それは望んではいないはずなのだ。
「ふうん。俺たちごとき、そこまでして追いかけてこないってわけだね」
「いえ、そんな……」
否定しようとするが、語尾は口の中へと消えた。
悄然とする柊に、昴は声を上げて笑った。
「あは、やだな、気にすることないよ。いつだって俺は虫けらみたいに扱われてきたんだから。踏みつけにされてさ、それなのに、俺を踏んだ奴らはさ、ついでだよ……そこに俺みたいな虫けらがいたからついでに踏み潰しただけなんだよ。……いいね。いい案だと思うよ、逃げるっていうの……でもね、できないよ」
くるりと昴は柊たちに背を向けた。
「昴くん。わたしたちだってこうして乗り込んできた以上、ちゃんと逃亡の手段だって用意してるのよ? ほら、護くんがあなたの身代わりになってくれるわ! ちゃっちゃと、着替えて入れ替わっちゃってよ!」
佐奈が言い終わるのに合わせて、護が一歩前に進み出る。不本意そうに口元を膨らませているが、指を背中のジッパーへと伸ばした。
「僕だってねえ、こんな格好したくなかったよ。女装のほうがバレないだろうっていうんだからさ。僕の努力を無駄にしないでよね。ほら、入れ替わるよ!」
「駄目だよ! 無理!」
昴の発した掠れ声は、大きくはなかったものの、その場にいる者たちを凍てつかせる鋭さを持っていた。




