身勝手・12
「へえ……それって……だれ?」
四人は自然と前傾姿勢になり、顔を突き合わせるようにして、密やかに声を出す。
「京極」
京極家。
綺族であり、大きな企業グループを形成する財閥の家系だ。
家の格式でいえば鷹司と同等かそれ以上。あやぎぬ会に入らない綺族の中ではトップクラスの財力と格式を持っている。
「京極って言ったら、和眞の母方の実家だろ? なんでそんなこと……?」
怜生の言葉に、柊は少なからず驚かされた。
これまでの柊の陣内怜生への評価は「多少品位に欠けるものの、アルファとしては平均的高校生男子」というものだ。家柄も大したことはない。勉強も運動も平均値。
しかし、さして親しくもないであろう友人の、母方の実家の家系まで知っているなんて、なかなかに侮れないのかもしれない。
同時に、自分の予備知識の少なさに歯噛みをする。
知ろうとすれば和眞の母方の実家が京極であることなど、簡単に教えてもらえただろう。
和眞の生活態度を改めさせるという依頼をこなすために、まさか和眞の家系図が必要になってくるなどと、思いもつかなかった。
「え? 母方の実家っていったら、おじいちゃんとかおばあちゃんがいる家、ってこと? 親戚なんじゃない? なんでそんな陥れるみたいなことするわけ?」
護の疑問はもっともだ。
何故和眞の母方の実家が孫の和眞を相手に人的諜報活動まがいなことを仕掛けなければいけないのか。
しかし、それについての答えを持つものは、この場にはいなかった。
柊がこの尚英高校の校医である鳴海英治から聞いた話から知り得たことは、英治と弓削昴は確かに愛し合っており、子どもの父親は、英治であるということ。理由はわからないが、弓削昴は京極家から和眞を誘惑するようにという命を受けて、尚英学園に入学してきたということ。更に理由はわからないが、その誘惑に、和眞は自ら引っかかった振りをし、鳴海英治と弓削昴の仲を取り持ったのだということ。
「昴はね、鷹司くんにフェロモンアタックを掛けたんだよ。噂通りにね」
英治から教えてもらった真実に、三人は息を呑んだ。
フェロモンアタック。
抑制剤を摂取せず、ヒート状態でアルファを誘惑すること。
仕掛けられて回避できるアルファはそうはいないだろう。
「それじゃあ、どうしてお腹の中の子が先生なんですか? フェロモンアタックかけられたんなら、鷹司くんだって、拒めないでしょ?」
「いや、いざ鷹司君がラット(アルファの発情状態)状態に入った途端に、昴が拒絶したらしい」
「ひえー」
目をむいた怜生を護が睨んだ。
「本当だったら、鷹司くんを誘惑、妊娠して、ジ・エンドだったはずなんだ。京極の依頼はクリア。鷹司が責任をとってくれて、うまく嫁に行ければ、昴だって一生安泰。でも昴は土壇場になって、それを投げ出したんだ。鷹司くんから連絡をもらって、僕が現場に駆けつけたときにはヒート状態で朦朧とする昴しかその場にいなくてね……だから、子どもはその時の子だよ」
ヒートやラット状態に陥ってから、性的衝動を抑え込むのは、どれほどの大変なことであるか。一度だけ、発情を経験したことのある柊にはよく分かる。自分で自分が何をしているのか、それすら判断できないような衝動に襲われる。
自分は目の前の鏑木に助けを求めることしかできなかった。
それにしても。
「京極からの報酬はなんだったんでしょうね?」
弓削昴が京極の依頼で和眞にハニートラップを仕掛けたというのなら、それ相応の報酬があるはずだ。
「昴の妹、彩乃ちゃんの身の安全です」
「なんですって?」
柊の中で、怒りの箍が、ピシリと音を立てた。
「昴の妹は、難病を患ってたんですよ。京極の息のかかった総合病院で何から何まで面倒を見てもらっていて……」
だから言うことを聞け。ということか。
「じゃ……じゃあ、弓削君の妹って……どうなったの?」
護が恐る恐る問いかけると、はじめて英治は笑顔を見せた。
「大丈夫。彩乃ちゃんは、僕が逃したし、ちゃんと逃した先に今もいる。確認したよ」
「へえ」
怜生と護と柊の三人の声が重なった。
頼りなげに見えるが、そういう芸当ができるのかという、称賛の「へえ」である。
「昴も彩乃ちゃんと、それから春に生まれた子供と一緒に僕を待っていくれていたんだ……」
「こども!」
声を上げたのは護だったが、柊も驚きを完全に隠すことはできなかった。
妊娠をしていたのだから、子どもが生まれていて当たり前なはずなのに、三人ともすっかりその可能性を忘れていたのだ。
「昴は彩乃ちゃんと美野里……その時の子どもなんだけどね……を残して、消えてしまったんだそうだ。探さないでくださいという書き置き一つ残してね。僕のことを待てなくなったと言うだけならわかるんだけど……。二人ををほっぽりだして逃げるなんて、考えられないよ。だから僕は心配してるんだ……」
「すいません……」
腕組みをして考え込んでいた怜生が、話しに割って入る。
「先生と昴は離れ離れで暮らしていくつもりだったんですか。それとも昴を匿っていた場所って、ここから近いんです?」
英治は小さく笑った。
「そんな近くには、怖くて置いておけないなあ。本当なら、二人で一緒に逃げたかったけどね……一緒にいなくなるわけにはいかなかった。僕まで疑われたら、見つかる可能性が非常に高くなる。だから、僕は頃合いを見て……実は今年度に入ってもう、退職願は出しているんだ。佐渡にある実家の医院を手伝いたいという名目でね」
佐渡。日本国の中では、比較的汚染の少ない地域で、風向きによっては風力による障壁を使用する必要のない日も、多いのだと聞く。住民はほぼベータが占める、特異なな地域だったはずだ。
「先生。私たちなんかにあっさりと話してしまっていいんですか?」
嘘がつけないにしても、あまりに情報を開示し過ぎではないか。過多な情報開示の裏に、嘘が潜んでいる場合も少なくない。
「いいや。昴が姿を消した今、僕にはもう隠すものはなにもないよ。そんな僕に興味を持つものもいないだろう」
「先生、弓削昴を匿っていた場所はどこです」
柊の問に、さすがの英治も多少戸惑いを見せた。しかし、意を決したように口を開く。
「ああ、さっきも言った、佐渡にある僕の実家だよ」
「そこに、彩乃さんや美野里ちゃんも?」
顎を引く英治。
口元、目元、答える間合いやスピード、声の大きさ。指の動き、目線の動き。
柊が英治と会話をしたのはこれが最初なので材料は少ないが、持てる知識を総動員して観察する限り、嘘をついているようには見えない。




