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運命の隷属  作者: 観月
第二章 運命は密やかに立つ
35/62

身勝手・10

「ありがとう」


 英治は礼を言って手を差し出す。しかし怜生は、その手に書類をなかなか置こうとしない。


「じ、陣内くん?」


 呼びかけにも答えないまま、怜生は手にした書類をじっと見つめ、薄っすらと笑みを浮かべた。


「先生、これ弓削昴ですよね?」


 掻き集められた書類の一番上に、恥ずかしげに微笑む可愛らしい少年の写真が乗っている。


 野暮ったい太い黒縁のメガネを掛けているが、それでもその少年は充分に魅力的だった。



 可愛らしいと、妖艶が、同居しているような不思議な顔立ちだ。


 それぞれのパーツは大きく、顔の下側によっているために子供っぽく見えるのだが、何故か妙に艶めいている。


 長く濃いまつげに縁取られた瞳のせいだろうか。左の目元にある泣き黒子が、寂しげだからだろうか。


 明るいようでいて、淋しげなようでいて、尊大にも気弱にも見える。光に透かすと七色に変化する硝子玉のような雰囲気を持った少年だ。


 これが、弓削昴……。


 柊は、脳内に、弓削昴の顔立ちをしっかりと刻みつける。


 聞く気はなくとも耳に入ってきた、事件についての噂話を思い出す。


 子供の父親は和眞ではないのではないか。いや、妊娠自体が、玉の輿を狙っての狂言だったのではないか。そんな、どちらかと言うと和眞を養護し、昴を非難するような内容が多かった。


 実のところ柊としても、噂は真実に近いところを突いているのではないかと考えていた。そうでなければ弓削昴が姿を消す意味がわからない。


 そして数分前、怜生がそのことを後押しするような証言をしてくれている。お腹の中の子供の父親は、校医である鳴海英治なのだと。


 しかし、そうだとしても解せないことが残る。


 和眞の意志だ。


 妊娠騒ぎが大事おおごとになった一端は、和眞がその噂を否定しなかったことにもある。


 和眞はアルファなのだ。セックスをしている相手が発情しているかどうかは、判断することが可能だ。ベータを騙すことならできるだろうが、フェロモンを感じることのできるアルファが騙されることなどまず無い。なにしろ、オメガは発情期以外の妊娠の可能性は殆どないのだ。


 和眞が一言「自分には見に覚えがない」といえば、そこまで大事にはならなかったはずなのだ。


 お腹の子の父親が英治だというのなら、和眞は昴の偽装を知っていながら、それに異を唱えず、受け入れていたことになる。


 何故か。


 それを想像すると、柊は気が重くなる。


 事実でもない事件の責任を取る。それは和眞が昴を憎からず思っていたからではないか。嘘でもいい、そう思うほど昴を思っていたからではないのか?


 とすれば……今現在の和眞の無気力さも理解できる。


 ただ和眞がそのことについて口を拭っている以上、全ては憶測でしか無いし、憶測をいくらこねくり回したところで意味はないだろう。


 だから敢えて、妊娠事件についても、弓削昴という人物についても、詳しい説明を柊は受けずに今回の仕事を引き受けた。


 片がついた事件に興味はない。そう思っていた。


 けれど、弓削昴がこれから先も和眞に関わってこようとしているのなら、そうも言っていられない。


 すっかり消し止めたと思っていた炎は、黒い炭の内側でじくじくと燃え続けていたのかもしれない。そしてまた、周囲を巻き込みながら、大きく燃え上がろうとしている。


 「あ、ああああ。それ、それね……」


 英治の声が聞こえて、柊は目前に広がった炎の幻影を振り払った。


「昨年、よく彼は保健室を利用してくれていたからね、書類の間に写真が挟まっていたのを見つけたんだけど……何しろ渡すこともできないし……どうしたものだろうと……」


 別に写真の一枚くらい、処分してしまっても誰も文句は言わないだろう。昨年度何枚か撮ったうちの一枚だと言うなら、アルバムにでも貼っておけばいいのだ。早口で、言い訳を重ねれば重ねるほど、怪しさが増していく。


「先生」


 怜生が英治に迫った。


「ごまかさなくてもいいですよ。俺、先生と昴のことは知ってるんですよね」


 とにっこりと笑う。


 柊はこんなに楽しげに笑う怜生をはじめて見た。


「え……」


 怜生の表情と反比例するように、英治の顔色がみるみる青ざめていく。

 これでは弓削昴との間に何かあったと白状しているようなものだ。


「君……僕と弓削君のこと……知ってるって……?」


 おずおずと尋ねる英治に、怜生は笑ったまま、何も答えない。


 護が入口の鍵を閉める、小さなカチリという音が聞こえた。


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