身勝手・8
歩道には緑が多いとはいえ、間断なく降り注ぐ太陽光を完全に遮ってくれるわけではない。早足であるきまわる内に汗が流れ落ち始める。
しかし柊は、その汗を拭うことも忘れていた。足は機械的に動き続けていたが、脳内は全く違う作業のために最大出力で回転している。
受話器の奥から漏れ聞こえてきた助けてという言葉。
その声を聞いたであろう貝瀬護と陣内怜生の反応。
取るものもとりあえずといった様子で去っていった和眞。
そんな小さな事実の破片を、柊は頭の中に並べていく。しかし、全体像を掴むには、あまりにもピースが少なすぎる。
どうしたらもっと情報を集められるだろうか。学園生活などをのんびりと送っている暇はない。どうにかして寮に戻り、結城に……鏑木に、連絡を入れたい。彼ならば柊の未だ知り得ていない情報を揃えてくれるに違いない。
「おい、結城」
背後からの声に、思考は途切れた。振り返ると、困ったような顔をした怜生と、護がこちらを見ている。
「はい」
いつもどおりに返事をしたつもりなのに、ガシガシと音を立てて頭をかいた怜生は「あぁ、おまえ、なんて顔してんだよ……」と、柊から視線を逸らす。
そんなに変な顔をしていただろうか?
「結城君、そんなに心配なら、君も電話をしてみたら?」
「え? あ……ええ。そうですね」
柊は和眞の婚約者という触れ込みなのだから、今のこの状況は、たしかに第三者の同情を買うのに充分な場面かもしれない。
実際のところ二人に恋愛関係はなく、柊の物思いの原因はそんな甘ったるいものではないのだが、別にそれを訂正する必要はない。
それどころか、二人の心配は柊にとってかえって好都合だ。
もともと、見回りを終え一人になった段階で、電話なりメッセージを送ってみるつもりだったのだが、そう指摘されたのなら、今試してもいいだろう。
柊はリストウォッチタイプの端末をタップして、携帯電話機能を呼び出した。
登録してある和眞の名前を選ぶ。
予想どおり、電話は繋がらないどころか、呼び出し音さえしなかった。
柊は暫く無音の端末を見つめてから、二人に困ったような視線を投げかける。
「ああ、端末を切断してるんだな」
怜生の声に申し訳無さそうな気配が滲む。
「位置情報を絶対に確認されたくなければ、端末は身につけていない可能性もあるか……」
柊も同じことを想定していた。
PCチップを携帯していれば、それとつながっている端末を置いていったところで最終的に位置情報を把握することはできるはずなのだが、そこまでできる機関というものは限られている。少なくとも学校にその権限はないし、親だったとしても、チップを利用した位置情報や個人情報を引き出すには、それなりの手続きを踏まなければ不可能だ。よしんば手続きを踏んだとしても、許可が降りなければ、PCチップを利用した個人情報にアクセスすることはできない。
まあ、それほど落胆するようなことではない。想定内だ。
和眞と生活してみて気がついたことだが、和眞はあまり携帯端末を利用しない。柊のようにウェアラブル端末も持ってない。少なくとも柊は、見たことがない。和眞が平素使用している端末は、折りたたみ式のモバイルPCが専らだ。
これまでもそのせいで連絡がつかなかったことはある。
「仕方ありません。ちゃんと連絡をすると言ってましたから……それを待つしか……」
そういいつつ、柊はふらりとよろめいてみせた。
「結城君っ?」
護が声を上げて、柊の体を支えてくれる。
「君、大丈夫?」
「ちょっとふらっとしてしまって。貧血かもしれません」
うつむいて、額に手を置く。
「よし、保健室だな」
腕を鷲掴みにしたレオは、そのままずんずんと柊を引きずってあるき出す。
「え! ちょ……ちょっと……待って……」
ぎょっとして、声を上げたが、怜生は歩みを緩めるどころか、振り返ってすらくれない。
「ちょっと怜生! 結城君、具合が悪いんだから、乱暴に引っ張らないで!」
慌てて後を追ってきた護の声に、柊の腕を引っ張っていた怜生の足が、ようやく止まった。
「結城君、君、腕痛くない? 怜生、乱暴なことしないでよ!」
こんなときではあるが、言い合う二人に、入学式の日のわだかまりは見えない。それどころか、いくぶん護のほうが怜生に言いたい放題、のように見える。
入学式の日、柊は護を襲おうとしている怜生を思わず投げ飛ばしてしまったが、あれは『馬に蹴られて死んでしまえ』的な行為だったのかもしれない。目の前の二人を見ているとふと、そんなふうに思ってしまうのだった。




