天邪鬼・4
薄緑に萌えだした新芽が春の日差しに光り、歩道に沿って植えられた馬酔木が可憐な花を咲かせていた。
放課後、好きな本でも持って訪れたのなら、気持ちのよい空間なのだろうが、今の護にはそんな周囲の様子を楽しむ余裕はなく、ただひたすらにレンガ敷きの曲がりくねった小径を分け入っていく。
すると大きな松が曲がりくねった枝を伸ばし、隧道のようになっているている場所へ出た。
その先に、遊歩道中央部のあずま屋がある。
護が松の隧道を抜け出ると、小さな池に突き出したような場所に建つあずま屋が見えてきた。見る角度によっては、池の中にぽつんと浮かんだ島のように見える。
あずま屋をぐるりと取り囲む柵に手をかけ、池を眺めている生徒の姿を見つけた。
「怜生!」
高揚した気分のまま、いくぶん乱暴に呼びかけたのだが、ゆっくりと振り向いた怜生は、大した感慨もない様子でちらりと肩をすくめただけだった。
「入学式、もう始まってる!」
「へえ」
それがどうしたと言わんばかりの気のない返事は、護を苛立たせた。怒鳴りつけたい欲求にかられるが、そんな子どもじみたことをしたからといって、問題は解決しない。護は息を整えるふりをして数度深呼吸をする。
先程の鷹司和眞ほどではないが、陣内怜生もなかなかに背が高い。護が陣内の目を見ようとすると、見上げるほかはない。
「遅かったじゃないか」
その一言に、ようやく落ち着き始めていた護の心の内が、またふつふつと沸騰し始めた。
「君、僕が風紀委員だって知ってるよね? 入学式前は忙しいって、知ってるよね? そんな時に、来れるわけないでしょ?」
食って掛かる護から目をそらし、怜生はまた肩をすくめてみせた。
「だったら、来れないってメッセージをよこせばよかったんじゃないか?」
そう言われてしまうと、そこは謝らざるを得ない。悪かったと言おうとしたのに、怜生は護の言葉など聞かずに「弓削昴」と一言つぶやいた。
「は?」
「弓削昴。あいつ、どうなったのかおまえ知ってるか?」
思いもかけない言葉のような気もしたし、怜生が聞きたいのはきっと『弓削昴』のことだと、最初から予想していたような気もする。
唯一つはっきりしているのは、護は一ミリたりとも思い出したくない、そう思っている人物の名前だった。
「……はっ!」
唇から、嘲りのこもった笑いが漏れる。
「そういう……。呼び出したのって、そういうこと?」
「うるせえよ。なんか知ってるのか?」
「さあね、陣内、君も知らないってことは、そういうことでしょ? あんなあばずれのオメガに一度や二度相手をしてもらったからって、追いかけ回すのやめたら? あっちはなんとも思ってないんじゃないの? だから君になんの連絡もないんでしょ? あいつなんて、たぁっくさんのアルファと寝まくってるんだからさ。できた子どもの父親だなんて言われた鷹司君だって、迷惑だよね。どうせあいつのことだから、フェロモンアタックでもして、財閥出身の彼を狙ったんじゃないの? 僕ら、発情期じゃなくちゃ妊娠しないんだもん。発情期は寮から出ることが禁止されてるんだしさ。アフターピルだってあるんだよ? 子どもができたってことは、わざわざ狙ったってことだよね。でなきゃ財閥出身のお坊ちゃんがあんな奴と子ども作ろうなんて思わないでしょ?」
堰を切り、とめどなく流れ出す悪意は、どこか他人の言葉のようだった。壊れてしまった機械人形のように、どうしたって早口でまくしたてることを止めることができないのだ。
「ばっかみたい。財閥のアルファなんて、何をしたって守られてるのにさ。どうなったのかなんて知らないけど、あっちは退学、鷹司くんはお咎めなし。自分の身体はって頑張ったのに、ほんと可愛そう」
そう言って、大げさに目頭を押さえる演技をする。
「退学?」
怜生に掴みかかられて、我に返ったが、もう後戻りなんてできない。
「そうだよ、た・い・が・く!」
怜生を睨みつけたままそう言った。
「あんなオメガ、追いかけ回す君の気がしれないね。誰にでも媚を売って、アルファにしなだれかかってさ。発情期以外のセックスなんて、減るもんじゃないんだから、そんなのどうでもいい相手なんだよ」
怜生の腕から逃れようとするが、びくともしない。だんだん護の中に恐怖が生まれるが、それでももう、強がりをやめることができなかった。
「おまえも同じだろう?」
地を這うような、怒気を含んだ囁きが、耳元でした。
ぞわりと震えが身体を駆け抜けて、小さく声を上げてしまいそうになる。
「おまえだってそういうオメガの一人じゃないか」
完璧に怜生を怒らせたのだと思っても、後の祭りだ。
怜生はもともと暢気な雰囲気のアルファだ。こんなふうに心からの怒りを向けられるのは、幼い頃から知っている護にとってもはじめてのことだった。
胸ぐらをぐいと引き寄せられ、ワイシャツのぼたんが数個飛んでいく。
「や! 何する……!」
「発情期以外のセックスなんて、減るもんじゃないんだよな?」
抱きすくめられたまま首筋に噛みつかれた。
「いや……!」
まだ発情期は来ていない。
けれどもそこは……、そこに噛みつかれるということはオメガにとって特別の意味を持つのだ。




