天邪鬼・3
女生徒は、二年C組のクラス委員長である。
「先生は知ってるの?」
「いえ、ホームルームの時はいたんです」
委員長の隣に立ち、じっと二人の会話を聞いていた護の脳内で、閃くものがあった。それと同時に心臓がやたらと騒ぎ出す。
「あの……その生徒の名前は……」
護は思わず委員長の影から一歩踏み出して直接女生徒に問いかけていた。
跳ねる心臓が、喉元から外へと飛び出してきそうだ。
突然食いついてきた護に驚いたのか、女性は少しばかり驚いたような素振りを見せたが、すぐに返事を返してくれた。
「陣内怜生です」
「あぁ……」
やはりそうだった。
「なに? 貝瀬、知り合い? 心当たりある?」
委員長が素早く護を振り返る。
護は曖昧に頷きながらも、目の前がすうっと暗くなるような気がした。
『話がある。朝のHRが終わったら、遊歩道中央のあずま屋で待つ』
朝、読んだばかりのメッセージが護の頭の中に浮かんだ。
迷った末に開封したメッセージだったが、読み終えた途端に、護の中に広がったのは、怒りにとてもよく似た感情だった。
護の状況なんて、きっとまったく頓着していないのだ、陣内怜生という男は。護が風紀委員であることは、知っているはずなのに。入学式前の忙しいさなかにのんびり遊歩道になんて、出向けるわけがないのに。そんな思いが、むくりと頭をもたげた。
だから、返信すらせずに、そのまま放っておいたのだ。
返事くらいしておけばよかったのかもしれないと、今になって思う。
「はい、多分。……すぐに連れてきます!」
あやふやな罪悪感にかられて、護は踵を返した。
「あ! 貝瀬! 単独行動するな……ってば!」
背中から聞こえる委員長の声を振り切るようにして、全力で走りだした。
◇
陣内怜生と護は赤子の頃からの付き合いだ。
幼馴染、なんて世間一般ではいうけれど、高校生になってからの二人の関係は、そんな気安い雰囲気ではなかった。
いや、高校になってからではない。中学生の頃から次第に、二人の間はぎくしゃくとしていった。
陣内家と貝瀬家は、家の格式も同等であり、同じコロニー内に住んでいたこともあって、親同士の仲が良かった。赤ん坊だった二人が、同じ布団に寝かされている写真が残っているくらいだ。
地方の研究者の多く集まる小さなコロニーには、学校と呼べるような施設は一つしかなかったから、二人はもちろん一緒にその学校へ通っていた。小学校の頃は、登校するのも一緒だったし、放課後も一緒に過ごした。そのことになんの疑問も持っていなかった。
しかしだ。
幼い頃は親同士の仲がいい、なんてことで友情も育つだろうが、年齢を重ねていくと、そうもいかない。昔は昔、今は今なのである。
怜生はお世辞にも真面目とはいい難い人物だった。護にとっては許せない部分が多すぎる。
護と怜生。幼い頃から、何でも早くできるようになるのは護だった。真面目に成果を上げる護と、ぐずぐずと何をするにも遅い怜生。鉄棒でも、掛け算九九の暗証でも、怜生は大体において級友の中で最後の最後まで、マスターすることができずに、教師を手こずらせるような生徒だった。
一生懸命に努力した結果できないのならまだしも、たいていの場合怜生は、最後の最後になると、きちんと出来る。
何故最初から頑張らないのか?
護からすると、怠けているようにしか見えない。
怜生の怜は怜悧の怜だなんて、まるで皮肉みたいだと思っていた。
それでもあの頃の護は、それほどそのことを気にしていたわけではなかった。自分が怜生を叱咤激励し、怜生のやる気を引き出してやろう。だなんて生意気なことを考えていたのだ。
なのに。
怜生がアルファ性であったことの驚きと、自分がオメガ性であることを知った時のなんともいえない苦い感情を忘れられない。
怜生といい和眞といい、恵まれているくせに、どうして問題ばかり引き起こすのだろうか。
そんな奴らと、仲良くしろというのは無理な話だ。
仲良くするつもりはないが、ひとこと『行けない』と、メッセージを送っておかなかったのは、自分にも非があるかもしれない。そんな思いが護の背を押していた。
外履きに履き替えて校舎を飛び出せば、清々しい春の空気が、髪の毛を揺らして通り過ぎていく。
怜生が指定してきた遊歩道は、校舎から校舎西の山側にある寮へと向かう通路の北側にあり、生徒たちの憩いの場であった。あちこちに生い茂る木々や小さな池、休憩にもってこいのあずま屋やベンチが設置され、校内にいながら里山を散歩しているような気持ちになれる場所だ。
校内にあるからといって、授業中に許可なく立ち入ることは禁じられている。
護は寮へと向かう通路の途中から茨のアーチをくぐり、遊歩道内へと入っていった。
四月にしては暑いくらいの日差しに、護はもう全身汗ばんでいる。
鳶の声が聞こえた。ふと空を見上げると染みるほどの青空だったが、鳥の姿は見えなかった。




