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運命の隷属  作者: 観月
プロローグ
2/62

木乃伊・2

 ◇


 次の日、仕事へと向かう父を見送ると、柊はさっそく木乃伊のもとに、足を運んだ。


 木乃伊のことを、もっと知りたかった。


 柊の父親である結城重盛は大変に忙しい人だったために、結城家には家の一切合財を取り仕切るハウススチュワードという役職が置かれている。


 重盛と同年代の、鏑木という名のハウススチュワードはとてもよく気のつく男で、内向的な柊の小さな心の内をいつもうまく汲み取ってくれた。


 彼ならば木乃伊についても知っているに違いないし、柊としても父以上に尋ねやすい相手である。


「ねえ、この子、何ていう名前なの? 僕と同じくらいの年かなあ?」


 しかし、鏑木は柊の問いに答えてくれることはなかった。


 いまだかつて、鏑木が柊の願いを聞き入れてくれなかったことはない。


その鏑木がこの件に関しては


「ぼっちゃん、彼のことは、あれこれ詮索なさらないでくださいね」


 と、にっこりと笑って言う。


 それはもう、反論の余地などないというように、静かな、けれどもきっぱりとした笑顔で。


 それで柊は、とうとう木乃伊の名前を知ることはないまま、その後もこの眠り王子のことを「木乃伊」と心のうちで呼ぶことになった。


 柊は自分の部屋から大切な宝物を木乃伊のいる客間にせっせと運んだ。


 秋とはいえ、木乃伊が結城の家にやってきたのは九月の五日のことだったから、日当たりの良い客間の日差しは暑いほどで、部屋には弱く冷房が入っていた。


「えっと……これはね、小さいときに拾ったきれいな光るもの」


 柊が手にしたのは、平べったくて丸みを帯びた単なる硝子の欠片で、入っていた箱のほうが、よほど高価に違いない。


「小さい頃これを見つけてさ、この硝子の向こうに別の世界があったら素敵だなあ……って、思ったんだ」


 木乃伊にそう語りかけて、柊は片目をつぶり、淡く緑に色づいた硝子の破片の向こう側を眺めた。そしてひょいっと肩をすくめると


「今はもう、そんなこと信じちゃいないからね!」


 と、唇を尖らせる。


「あとこれはね、父さんが僕に買ってくれたんだよ」


 次に取り出したのは、触れたら壊れてしまいそうなほど繊細で、キラキラと煌く蝶の硝子細工だった。


「揚羽蝶という虫なんだ。今はもう、絶滅してしまったのだけれど、昔は地球に……ううん、日本にもいたんだって」


 そうして柊は手にした硝子製の揚羽蝶をひらひらと空中で動かしてみせた。


 木乃伊からはなんの反応も返ってこない。手を握り返してくれたのも、昨日、最初に出会ったあの時だけだった。


 柊はこんもりと山になった自分の宝物の中から、一冊の絵本を手に取った。


 柊は膝の上に絵本を広げて、美しい絵や文字を目で追った。自分自身で一通り読み終えると、小さく小気味良い音を立てて本を閉じ、表紙を木乃伊に見せるように掲げた。


「これね、僕が子どもの頃、ああ、僕は子どもの頃は第三コロニーの中に住んでたんだけど、そこの図書室で見つけたんだ。虹みたいにきれいな表紙で、よく覚えていたんだよ。世界の終焉よりも前に書かれた作品らしくてね、それで、僕が初めて父さんにおねだりして手に入れてもらった絵本なんだ。ああ……いや、本当はなかなか父さんにお願いできなくて、鏑木が父さんに言ってくれたんだけどね……」


 絵本はかなり大きいもので、青いグラデーションの表紙には、虹のように色とりどりに輝く魚の絵が描かれていた。


 そんなふうにして、眠り続ける木乃伊のそばにいることは、柊にとってはまったく苦痛ではなかったし、できれば一日中でもついていてあげたかった。


 けれども周囲はそれを許してくれない。


「僕がいないときに目が覚めたらどうするの?」


 ものは試しとばかり食い下がってみたが


「柊ぼっちゃんのいらっしゃらない間は、私どもがきちんと看護をいたします。昨日も、急なアクシデントで、お勉強が途中で終わってしまったのではありませんか? 家庭教師の先生がいらっしゃいますよ? 宿題は終わってるんですか?」


 と、柊の倍の横幅があろうかという迫力のハウスキーパーに畳み込むようにまくしたてられれば、従うほかはなかった。


 ぼっちゃんなどと呼ばれているが、柊はこの家の中ではきっと誰よりも、思い通りに振る舞うことができないのだ。


 家庭教師の先生からの宿題を済ませ、武術の心得のある従僕を相手に稽古をする。その合間を縫って、少しでも時間ができると、木乃伊の様子を見るために客間へ急いだ。


 食堂じゃなくて、木乃伊と一緒に客間でご飯を食べたいと勇気を奮って申し出たものの、やはり


「いけません!」


 の一言で終わる。


 この結城の屋敷で暮らすようになってから、一日がこれほど長いと感じたのはこの日が初めてのことだった。


 スケジュールをこなし、ディナーは家庭教師の先生とともにとり、見送りをして、ようやく柊は木乃伊の隣でゆっくりする時間を持つことができた。


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