秋茱萸・7
成人したオメガは、八割方家庭に入ることとなる。職に就く者もいるが、勤め上げる者は皆無に近い。
発情という定期的に訪れる生理状態を抱えるオメガは、それだけで就職には不利である。その上、両性具有体でありながら、生む性とみなされ、たいてい生涯に多くの子どもを産む。
原因はまだ解明されていないが、100%に近い確率で、アルファはオメガからしか生まれてこない。ベータから生まれた重盛などは、例外中の例外である。アルファたちは自分の家系を存続させていくためにも、オメガに優秀なアルファの子どもを生んでもらいたいと願う。
つまり、外で仕事などする暇があるのなら、家にいて、どんどん子どもを産めという風潮があるのだ。
更に厄介なことに、オメガの人口は、全体の二割に満たない。通常あぶれるアルファが出てくるわけだが、下位のアルファにも、オメガを所収したいという本能がある。
そこで、一人のオメガを複数のアルファで共有することが許されている。一オメガ多アルファ制、とでも言ったら良いのだろうか。特定のオメガと番うことのできなかったアルファが子孫を残すため、オメガの貸し借りをするわけだ。たいてい同じ一族や親類縁者の中で行われるのだが、オメガ人権擁護派などにとっては、許しがたい制度となっている。にも関わらず、今でも世間一般に認められ、公然と続けられている。
このような社会情勢の中で、オメガの養子を経営陣として迎え入れるなどという考えは、かなり突拍子もない話なのだ。鏑木が目をむくのも、至極まっとうな反応と言える。
しかし、当の重盛の表情にも声音にも変化はなく、瞬きもせず大きく目を開いている柊に向かって、淡々と話を続けた。
「もちろん簡単な道ではないと思うけれどね。その道に進もうとするなら、今よりも更に努力をしなければいけないだろうし、いろいろなものを切り捨てなければいけなくなるだろう。それに、傷つくこともたくさんあるに違いない」
「僕は……!」
父の言葉を遮るように声を発しながら、それでもそのまま柊は絶句してしまった。
興奮のために、柊の頬は赤く染まっている。
先ほど父親からもらった首輪の鍵を胸の前で握りしめ「僕は……」とあえぐように繰り返した。
「僕は、父さんの役に立ちたいです。なんでもいい、僕にできることがあるのなら、父さんのそばで、結城のために働きたいです。結婚なんて、したくありません……!」
きっぱりと言い切る。結城柊という少年が、自分の意見を前面に押し出す姿を、鏑木ははじめて見たのではないか、と思う。
「柊」
しかし、呼びかける重盛の表情には、影が差す。
「いいかい柊。オメガがのし上がっていくというのは、簡単なことではない。いかに私の息子だと言っても、いや、息子だからこそ風当たりが強いということだってあるかもしれないよ」
「わかっています」
「いいや、君はわかっていないよ。綺麗事だけでは生き抜いていくことはできないだろう。柊、君は自分の性を武器にすることができるかい? 相手を魅了し、感情ではなく理性で、必要とあれば己の体を使うことができるかい? プライドを捨てることができるかい?」
「重盛様!?」
思わず鏑木は一歩前に踏み出し、主人であるはずの重盛の言葉を遮ろうとしていた。自分が出すぎた行動をしているという自覚はある。しかし、たった二年と数ヶ月のことではあったが大切に守り続けてきた柊のことを思えば、思わず口を挟まずにはいられなかったのだ。
「鏑木」
身を乗り出した鏑木をたしなめたのは、重盛ではなく、柊本人だった。
「鏑木、ありがとう。僕、大丈夫だよ。ずっと僕、誰かの役に立ちたいと思って生きてきたんだ。守られているだけじゃなくて、皆から……父さんや鏑木やハウスキーパーの櫻井さん、僕の勉強を見てくれている先生や絵本を読んでくれたり、武道の稽古に付き合ってくれる家の人たちに、なにか返せるものを持てるようになりたいんだ」
鏑木を仰ぎ見る柊の顔は、これまで見たことのないほど、生き生きとしたエネルギーに満ちて見えた。未来への不安も逡巡も、そこに見出すことはできない。しかし、この少年は、本当に自分の未来をわかっているのだろうか。
「柊、そうなれば君のそのオメガという性は、君の武器となる。武器は研がねばならない」
重盛の言葉に、柊は首を傾げた。
「研ぐ?」
「そうだ。鏑木」
「はい」
「おまえにも協力してもらわねばならない」
「私が……ですか?」
意外だという体を装いながら、鏑木は重盛の提案の意味を、悟っていた。
「黒川にいた頃は、優秀な調教師として有名だった。そうだな」
返事をするまでもない。そんなことはお互いに百も承知な話なのだから。おそらくこの会話は、柊に聞かせるためのものなのだろう。
「鏑木……が?」
案の定、柊は唖然とした様子でこちらを見ている。
「もう、私の知識など、時代遅れかと……」
閨房術。
まさか柊にそんなモノを教える日が来るだなんて、昨日までの自分であったなら、考えつくこともなかっただろう。胃の底に重く冷たい澱が生まれる。
「勉強と武術に加え、立ち居振る舞いも覚えなければならないな。私の考えうる最高の指導陣を用意しよう」
あの優しげだった柊の表情が、きゅっと引き締まるのを、鏑木はただ見つめることしかできない。
なにも、自ら苦労を背負い込まずとも、生きていくことができるというのに……。この結城邸という城の中で、ふわりと優しい羽毛にくるまったまま、一生を送ることができるというのに……。
「鏑木」
柊がこちらを見ていた。
「はっ……」
複雑な思いで、小さな主に頭を垂れる。
「僕、頑張ります。よろしくお願いします」
柊は深々と頭を下げた。
「柊。オメガは女王だと言われているが、実際はどうだろう? 女王という名の奴隷だといっても間違いではないだろうと、私は思っているよ。柊、君は本当の女王になるといい。どんなアルファにも屈せず、誰の手の平の上でも踊らない。そんなオメガに……」
柊の瞳の奥に、小さな炎がゆらりと灯る。
重盛の人差し指が、柊の心臓の上をとんと軽く突いた。
柊の切れ長の目がその指先を見つめ、そしてゆっくりと目の前の父へと視線を移す。
「身体は構わない。だが、女王でありたければ誰とも番わずに生きていくんだ。そして、この胸の内は君のものだ。誰にも渡してはいけないよ」
部屋の中には茜色の光が深い傾斜で差し込み、長かった一日の終わりを告げようとしている。
鏑木は部屋の明かりを灯し、カーテンを引くために窓際へと向かった。ふと見やると、窓の外の秋茱萸が実をつけていた。
痩せ地でもよく育つ力強い樹木だ。あの世界の終焉を生き抜いた古くからの種である。
小さな丸い粒は幾つも集まり、細い枝を覆い隠してしまうほどにびっしりと螺旋を描きながら、赤く色づき始めようとしていた。




