秋茱萸・6
重盛の執務用のデスクの前には応接用のソファーセットが設えてあり、重盛は幅広のそれに柊を座らせた。
テーブルの上には天鵞絨貼りの楕円の箱が一つ置かれていて、艷やかな漆黒に輝いている。
重盛は自分も柊の隣に腰を下ろすと、その箱をゆっくりと開いてみせた。
中から現れたのは透けるような素材の肌色をした首輪だ。
少しでも力を込めたらちぎれてしまいそうなほど薄くて繊細に見えるが、おそらく鋼にも匹敵するほどの強度を持っているのだろう。
発情期を迎えたオメガが、不慮の事故により意に染まぬアルファと番になってしまわないための物だ。ちょっとやそっと力を込めたくらいでは千切ることも外すこともできないに違いない。
番というものは、発情中にアルファがオメガの首筋に歯を立てることによって、成立してしまう。オメガは一人のアルファとしか番うことができないから、どのアルファと番うかということは、一生を左右するほど大切なことなのだ。
それを避けるために、オメガは発情を迎えると自衛のために首輪をする。
デザイン性の高いものもあれば、重盛が今回選んだような、肌なじみの良い目立たないタイプのものもある。
重盛はゆるりとした手付きで、首輪を取り上げた。
一本のリボンのように広がったそれを、柊の首に巻き付けると、柊の手のひらに小さなピンのような形のものを握らせた。
「うん。サイズもぴったりだ。……柊、これは大人になった君に、私からのプレゼントだ」
柊は右手で渡されたピンをしっかりと握りしめ、左手で自分の首元に触れていた。
「今渡したのは、その首輪の鍵だよ。君が管理するんだ。そして、君が番になっても良いと思ったアルファ以外には、その鍵を渡してはいけないよ。もう一つある合鍵は、この家の金庫に保管しておくからね」
柊は呆然とした様子で、幾度も首に巻かれた布の手触りを確かめていたが、重盛の言葉にはっと我に返ると、弾かれたように父の首に腕を回した。
「お父さん、ありがとう!」
重盛も柊の背中を軽く叩き、息子の感謝を受け入れる。
しばらくの抱擁の後、重盛は柊の肩に手を置き、じっと瞳を見つめながら「大切な話がある」と、切り出した。
大人になった柊は、自分の将来について考えなければいけないこと。どのような未来を選び取るかは柊に任せること。そしてどの未来を選び取ったとしても……「私は君の父親として、協力を惜しまないつもりだ」ということ。
「僕の、未来?」
「そうだよ柊。もし柊が今までと同じようにこの屋敷で静かに暮らしたいと思うのなら、それもいいだろう。今回は間に合わなかったが、君の身体に一番合う抑制剤を投与し、穏やかな暮らしができるようにしよう。私のほうが先にこの世から消えてしまうだろうが……」
身動ぎした柊を制して重盛は先を続けた。
「君一人が死ぬまで安泰に過ごせるくらいの蓄えは充分に残すことができる。君はオメガとしては非常に賢い子だよ。毎年受けている学習進度診断テストでは、下手なアルファにも引けを取らないほどの成績を残している。努力も厭わない、とても好ましい性質を有しているね」
話を聞いている柊の目には、光るものが盛り上がり始めている。
重盛がこのように柊に対して自分自身の心の内を話して聞かせることは、おそらく今までになかったことだ。物言いは穏やかだが、重盛は有無を言わせない言い方をすることが多いし、自分自身の心の内を誰かに吐露することもまずない。
「君ならば、私が残した財産を、賢く使うことができるだろう。会社の経営なんていうものは、優秀なものが引き継げばいい。私の代わりなど、いくらでもいるんだ」
重盛の言葉に柊は小さく頭を振った。
確かに、重盛の代わりとはいかなくても、事業が軌道に乗ってしまえば、後は適当な人物がトップに座り、会社は回っていくだろう。
ゼータシステムも国の公共のシステムとして取り入れられ、登録者も安定してきている。
「もし君が結婚をして子どもを生み育てるという未来を望むなら、結城のシステムを総動員して君にピッタリの……優秀で心優しいアルファを見つけよう。もちろん今すぐにとは言わないで欲しい。花嫁修業の間は、父さんのそばにいてくれたら嬉しいと思う」
今にも零れ落ちそうな涙をたたえた瞳で、柊は今度は大きく頭を振った。
「嫌です。僕、結婚なんて考えてません。父さんのそばにいます!……この家よりいいところなんて、ありません!」
ついに涙が一滴、耐えかねたように瞳から転がり落ちた。
表情を和らげた重盛が、柊の肩を優しく叩く。柊は「ごめんなさい」と言いながら、いくぶん乱暴に自分の顔を拭った。
柊がもう少し幼ければ、重盛にすがりついていたのかもしれない。しかし、なんとか柊はその衝動を抑えているようだった。
柊が落ち着いてきたところを見計らい、重盛は先を続ける。
「柊、ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいよ。それと後もう一つ、君には選ぶことのできる未来がある」
柊の赤くなった目と、重盛の丸眼鏡の奥の目がお互いをしっかりと見つめ合っていた。
「それだけ賢い君のことだ、もし望むのなら、結城グループの経営に携わることも不可能ではないだろう」
その言葉を聞いたとき、入り口に控えた鏑木は、思わず声を出しそうになった。




