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運命の隷属  作者: 観月
プロローグ
17/62

秋茱萸・5


 ◇


 幸い柊は一度の抑制剤投与で落ち着いたらしく、重盛が帰ってくるまでにすっかり覚醒し、軽く食事をとることもできた。


 鏑木が柊の様子が安定したと連絡を受け、駆けつけたのは、柊が食事中のことだ。


「柊様。もう、起きても大丈夫ですか? ふらついたりすることは?」


 今すぐにも、この場で柊の体に直に触れ、彼の体調を確かめたい。そんな思いを押し殺し、少し離れたところから一礼をして声をかける。


 柊がどんな反応を返してくるのか、多少の懸念を抱きながら。


「大丈夫だよ。ドクターにも、見てもらったし。鏑木、あなたにも迷惑をかけちゃったね」


 柊はそう言って笑顔を見せた。


 今まで見たこともないような、儚げで静かな笑顔に、鏑木の胸は痛みを感じる。


 無邪気な、子どもの時間は幕を下ろしてしまったのだ。柊自身もそのことを感じ取っているだろに、鏑木との情交の印は、心にも身体にも残っているだろうに、それには一切触れなかった。


 子どもながら、彼の中にオメガとしての覚悟はできていたのだろう。


 それが痛ましいのだ。


「ねえ、鏑木?」

「はい」

「あの……ね」


 聞きづらそうにする柊に、鏑木は何を言われるのかと身構えた。だが、次に柊が発した言葉は、身構えるほどのこともない、ほんの些細なものだった。


「なんで僕のこと、柊様って呼ぶの?」


 思いがけない質問に、虚を突かれる。


 確かに鏑木はこれまで柊のことを『ぼっちゃん』もしくは『柊ぼっちゃん』と呼んでいた。柊様と読んだことはなかったように思う。だあら違和感を持っても不思議ではない。しかし……。


 柊が口元に手を当てて笑った。ため息のような笑い声が漏れる。


「鏑木の驚いた顔って、珍しいね。いつもの糸目が今、すごく大きなったよ?」


 柊の顔には、まだ笑顔が消えずに残っていた。


 鏑木は別に、この質問自体に驚いたわけではない。今出てくる質問がこれだった、ということに驚かされただけだ。もっと感情的になられても、なじられても仕方ないと思っていた。柊は元来心優しい少年であるから、鏑木を責めるようなことはないかもしれないが、自分自身を嘆く言葉の一つくらいは、聞かされることを覚悟していたのだ。だから、柊の落ち着きは驚きの対象だった。


「は……ええ。これは柊様がこの結城の家にいらしてからすぐに、私の中で決めていたことなんです」


 柊の目が瞬いて、小さく首を傾げた。


 その仕草を思わず可愛らしいと思ってしまった自分を、鏑木は心のなかで叱責する。


 一度床をともにしたくらいでよろめくなんて、自分らしくもない。相手は自分の主であり、オメガなのだ。


「発情を迎えられたら、もう一人前の大人と言ってもいいでしょうからね、そうしたら、呼び方を変えようと決めていました。他の使用人にも、言い渡しましたから、今日から柊ぼっちゃんと呼ぶものはいないと思います」

「そんなの……」


 絶句して、その後柊は口の中でもごもごと何やら反論めいたことを言っていたが、結局そのまま有耶無耶に会話は終わった。


 ◇


 重盛の帰宅が告げられたのは、柊が食後のお茶を楽しんでいる時だった。


 鏑木は柊を伴って、重盛の自室へと向かう。


 発情期を迎えてしまった柊に対して、重盛がどう対応するのか。それは鏑木にとって、きわめて好奇心を掻き立てられる事柄だ。


 もしかしたらこの二年と少しの間、自分の中に存在し続けた疑問が解き明かされるのではないかという期待がある。何故柊を自分の養子にしたのか?


 もしあの写真立てに収まる琥珀色の目をしたオメガが、かつての重盛の想い人だったとする。その面影を漂わせる柊をそばに置いておきたいと思う。それはわかる。そこまでは鏑木の理解の範囲内だ。が、何故養子なのか? そこがわからない。


 結城というグループのことを考えたら、早急に後継について考えなければいけないだろう。それぞれの会社の複合体である企業グループのトップには、男性も女性もいるが、アルファ以外の性別のものが座った前例はない。


 重盛がそのことに思い至らないわけはない。


 とすれば重盛がしなくてはいけないのは、オメガの妻を迎えてアルファの子を産ませるか、優秀なアルファの養子を迎えるかの二択だろう。


「重盛様、柊様をお連れしました」


 重厚なマホガニー材のドアを開けると、重盛は柔らかな生地のシャツに薄手のカーディガンを羽織るというラフな服装で、息子を待ち構えていた。


 結城重盛はけっして周囲を圧するような外見ではない。経営者というよりは、学者のように見える。少し長めの白髪をオールバックにしているのだが、きちんと撫でつけられていることは少なくて、額にハラハラと髪が落ちかかっている。こけた頬は不健康そうに見えるし、細い丸型の銀縁眼鏡は、神経質そうなイメージを与える。


 もともと経営者ではなく、ゼータシステムの開発者であったわけだから、それはそれで致し方ないのかもしれない。しかし鏑木としてはもう少し見た目に気を配ってもよいのではないかと常々思っている。


 自分が見てくれに頓着しないのならば専属のコーディネーターでも雇えば良いのにと進言したこともあるが、実現には至っていない。


 大事な会合に出向く場合などは、テーラーで勧められた一式をそのまま着込んで出席するらしい。


「お父さん、おかえりなさい」


 柊はいつもと変わらぬ様子で、デスクから立ち上がった己の父親に近づいていく。


 ――さて、どうなるか。


 鏑木は珍しく高揚する気持ちを抑えつつ、部屋の出入り口近くに控えた。


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