秋茱萸・3
重盛が通っていたのは、日本でトップの高大一貫校だ。生徒の半数近くがアルファであり、卒業生からは、企業や政府内で重要な地位を占める人物を幾人も排出している。だからだろう、写真に写る若者たちは皆小綺麗な、自信に満ち溢れた顔をしている。
何枚かの写真に、明るい髪色の綺麗な顔をした少年が、重盛とともに写っていた。
さらりとした癖のない髪。切れ長の目に、小さめの鼻と口。
おそらくオメガだ。
この学校ではオメガの比率も一般より高いと聞く。なにしろその学校に通うだけで、優秀なアルファと出会うことができる。アルファに依存しなければ生きていくことの難しいオメガにとって、願ってもない環境なのだ。
男女ほどはっきりとではないが、アルファ、ベータ、オメガという性別も、なんとなく見分けられるものだ。子ども時代には区別することは難しいのだが、成人を迎える頃になると、かなりはっきり差が出てくる。特にオメガは線が細くて妙に美しい容姿をしている。もちろんアルファやベータにも美しい者はいる。だが、オメガの美しさはまた一種独特だ。どこか儚げでありながら妖艶な魅力がある。
この部屋に入ることを許されていた鏑木は、何度もこれら写真を目にしている。この綺麗な顔をしたオメガを始め、重盛の友人と思われる人物の顔は、全員頭の中に記憶されていた。
◇
黒川組を抜けてはいたが、鏑木のもとには今でも黒川組から、新しく入手したオメガのデータが定期的に送られてきている。
黒川は、かつての名うての調教師であった鏑木の眼力を借りたがったし、結城にとっても黒川とのパイプを太くしておくことは悪いことではない。鏑木にしてもいい小遣い稼ぎになる。
時として、黒川で入手したオメガを、鏑木の口添えにより結城で高く買い取ることもあった。
あれは、今から二年半ほど前のことになるだろうか。
送られてきた画像を次々に表示している最中に、鏑木の脳内に小さな漣が立った。
再生を止め、画像を戻していく。
また違和感を感じた部分で巻き戻しを止め、今度はゆっくりと再生を進めていく。
幾度かその操作を繰り返したところで、ディスプレイには一人の少年が写っていた。
なぜこの少年が気にかかるのか。脳内をさらっていく。と、ディスプレイに映し出された少年の顔に、あの明るい髪色をしたオメガの顔が重なって見えた。
身を乗り出して、じっくりと確認する。
瓜二つ、というわけではない。そうであればもっと早くに気がついただろう。
だいたい、あの写真の少年はかなり明るめの髪色で、瞳の色も写真の中のことではあるが琥珀色に近いような気がした。このディスプレイに映し出された少年はそれとは逆で、今どき日本人としても珍しいほどの黒髪黒目だ。しかし、さらりとしたストレートの髪質。切れ長の目に、小さい鼻と口は、似てなくもない。
それより大きいのは、全体的な顔立ちと、雰囲気かもしれない。
見るものが見れば、この二人のオメガはどことなく印象が重なるのだ。
美形であるがゆえに、妖艶で冷たい印象の者が多いオメガだが、この二人にはどこか優しげな雰囲気がある。
悪くない素材だ。
ペーパーベースのデータにも目を通す。名前は平良柊。かなり悲惨な家庭に育ったはずなのに、ひねた雰囲気がない。それどころか、ともすると育ちが良さそうにすら見える。仕込めば金持ちに可愛がられるタイプのオメガになるだろう。番として嫁にほしいというアルファだっていそうだ。
何百人。下手をしたら千人以上のオメガの行く末を見てきた鏑木だ。はじき出した予想が、そうそう外れることはない。
黒川のクラブに出すにはもったいない。それにこのオメガの存在を知った時の、結城重盛の反応を確かめてみたい。
ふと、そんな誘惑に駆られた。
だからこのオメガのデータを重盛に渡したのだ。ものになりそうなオメガを見つけたと言って。
それがまさか、こんなことになるとは、あの時の自分はまったく考えていなかった。
重盛が気に入るというところまでは、大いに想定内だ。予想が的中したと言っていい。
かつての友人にどことなく似たオメガ。うまく仕込めば「YU-kiのオメガ」としての駒となるだろうと思われる逸材。
黒川に金を払って買い取る。おそらくそうなるだろうと踏んでいた。
それがどうしたことか、重盛は、このオメガと一度面接をしただけで、自分の息子として籍に入れてしまったのだ。
ありえない。
鏑木にとっては、青天の霹靂、開いた口が塞がらない、耳を疑う……知り得る全ての驚きを表す言葉を連ねても追いつかない……ほど信じられないことだった。
もし重盛が、このオメガを自分の愛人にしたいと言いだしたのなら、多少驚きはしただろうが、予想し得ないことではなかった。ずいぶんと無茶をするとは思っただろうが。
それが、結城の屋敷に迎え入れるというのだ。しかも単なる囲い者ではなく、戸籍上も自分の子として。
オメガなど、事業の跡取りにもならないだろうに。しかも子どもとして引き取ってしまえば、発情後、妻として迎えることもできなくなる。
鏑木が指摘などせずとも、重盛にだってそのくらいのことはわかっているはずだ。それでも指摘せずにはいられなかった。
子どもとして迎え入れてしまえば、妻や愛人としてあなたの子どもを産ませることはできないのですよと。
『私の妻の席には、誰も座らせるつもりはない』
重盛がそう答えたのは、この部屋ではなかったか。
そうだ、ちょうど二年半前。
「鏑木……っ!」
寝台の上で、柊が身を捩り始める。
抱いてやらねばならないのだろう。
柊に関しては発情の徴候が見え始めれば、抑制剤の投与を始めることになっていた。一度の発情も経験せずに、穏やかに暮らせるように。
けれども、万が一発情をしてしまった時は、鏑木が柊の相手をすること。
結城重盛から言い渡された、命令だ。
「まだこんなに幼いと言うのに」
「や……鏑木……な……に?」
「いいえ」
服を脱ぎ捨てて、柊の上に覆いかぶさっていく。
すでに、自分のものはこれ以上ないほどに猛っている。
「柊様、わかりますか?」
「うん……うん……」
柊の声音はもう、涙混じりだった。
「お可哀そうに」
小さな声は、おそらく柊の耳には届かなかっただろう。それでなくとも発情の渦に飲み込まれ、冷静な判断など、もうできなくなっているに違いない。
『なぜ、結婚なさらないのです?』
二年前の鏑木の最後の問に、重盛が答えることはなかった。
視界の隅を、写真の中の、柊とよく似たオメガがかすめていった。
彼は、誰です。
何故、番にしてしまわれなかったのです。
彼と似ている少年を、思わず自分の息子として引き取ってしまうほど、憶っていながら。
「あああっ……かぶら……っぎ……っ!」
柊の声が、鏑木を呼ぶ。
鏑木は、飾り棚の写真から意識を外し、深く深く、柊の中へと沈んでいった。




