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運命の隷属  作者: 観月
プロローグ
13/62

秋茱萸・1

 鏑木創かぶらぎはじめは結城柊を腕に抱き、人気ひとけのない廊下を歩いていた。


 敷き詰められたカーペットが足音を吸収してくれるのだが、それでも鏑木は、なるべく静かに歩みを進めた。


 腕の中のまだ幼さの残る主は、小さな衝撃にも刺激を受けてしまうらしい。必死に押し殺そうとしているようだが、歩みに合わせて、堪えきれない吐息が漏れ出している。


 鏑木が歯を食いしばったのは、柊が重たいからではない。ベータの自分にすら感じ取れるほどになった柊の甘いフェロモンに溺れてしまわないようにするためだ。


 中庭をぐるりと取り囲むように設計された結城邸の奥には、裏口が二つあった。


 ひとつは住み込みの使用人が住まう寮へと続く通路へ出る扉。ハウススチュワードである鏑木とハウスキーピングである櫻井の二人は本館に部屋を与えられているが、それ以外の者たちは、この別棟に暮らしており、本館に残るのは当直のもののみになる。


 そしてもうひとつ。


 この館には、限られた者にしか入室を許されない離れへと通じる扉がある。その先へ自由に出入りができるのは、結城重盛と、鏑木のみであった。ハウスキーピングの櫻井も、この離れへのキーは所持しているが自由に出入りすることは許されていない。鏑木も出入りを許されているとはいえ、重盛に指示された案件を処理するために必要でなければ、むやみにこの離れに出入りすることはない。


 庭を手入れする庭師も、重盛の命を受けた鏑木の許可を毎回得なければ出入りすることができない。


 扉自体、重盛、柊、鏑木と櫻井の四名にしか反応しないようになっている。それ以外の者が先へ進もうとするならば、扉を破壊する以外にない。そうまでして侵入したところで、セキュリティに引っかかり、駆けつけた警備員に取り押さえられるだけのことだ。


 鏑木が柊を抱きかかえたまま扉の前のとある場所に立って暫くすると、ぴたりと閉じていた扉が左右に音もなく開いた。鏑木の身につけているPC(Personal circuit)チップと鏑木自身の生体を認証するようになっている。


 扉を出た途端、そこは木々の生い茂った森の中だった。


 美しく管理された、緑の楽園は、結城重盛ただ一人のための小さなテーマパークだ。


 森の中に、人二人が並んで歩くのがやっとと言うほどの、細いアプローチが続いている。曲がりくねった小径の先には、木々に溶け込むようにして、ログハウス風の建物が一棟建っていた。


 小さいように見えるが、結城邸が広すぎるためにそう感じるに過ぎない。ゆったりとした間取りと、快適に生活するための十分な設備を兼ね備えている。


「さあ、柊ぼっちゃん、着きましたよ」


 腕の中の少年のこめかみに、唇を寄せるようにしてささやくと、巻き付いてくる腕にいっそう力がこもった。


「柊ぼっちゃん、少し待っていただけますか」


 テラスに置いてあった椅子の上に一旦柊を座らせようとするのだが、柊はしがみついたまま離れようとしない。


「仕方ありませんね」


 鏑木はおもむろに柊の唇に自分の唇を重ねていった。


「ん、んむ」


 その途端、まるで腹をすかせた雛のように、柊は鏑木の唇をついばみ始める。


 細い肢体を、どこか痛めてしまわないのだろうかと心配になるほどの勢いで、こすりつけてくる。


 なにか安心できるような言葉をかけてやろうかと思ったのだが、息をつく暇もないほどの接吻だった。


 オメガの発情など、慣れていると思っていたが、その鏑木ですら正気を持っていかれそうになる。本人は相当つらいに違いない。


 ここまでの状態になってしまうと、抑制剤を投与したとしても効かない場合が多い。一旦性交をして、落ち着いたところで薬剤を投与する他ないだろう。残念ながら数日間続くというオメガの発情に最後まで付き合えるほどの体力は、ベータである鏑木にはない。


 しかし、それを補えるだけの経験と知識は兼ね備えているつもりだった。


 今でこそ、結城家のハウススチュワードなどというまっとうな職につく鏑木だが、かつては、非合法組織である黒川組所有の高級クラブを取り仕切っていたことがあるのだ。会員制のクラブでは、そこそこ金と権力を持つアルファを相手に、裏でオメガの斡旋を行っていた。


 その頃の鏑木は、基本的にベータ以外の性を心のどこかで蔑んでいた。彼らは自分の仕事上の顧客、もしくは商品でしかなかったのである。


 優秀な種でありながら、本能に翻弄されるアルファには、哀れみを感じる。ましてや性のはけ口として、または子どもを生む道具として売買されるオメガなど、同じ人間だとは思っていなかった。


 オメガを集め調教し、アルファに売る。もしくは貸し出す。


 結城重盛に初めて出会い、重盛がそういったオメガの非合法な売買をなくそうとしていることを知ったときには「バカじゃないのか? なくなるものか」と呆れたものだ。


 非合法な売買をなくすといっても、重盛の目指すものは最近流行りのオメガの人権を守るだの、オメガの社会進出を助けようなどといった、オメガ人権擁護運動などとは一切関係はない。オメガの斡旋を、裏で行うのではなく、公に取り仕切るシステムの確立を目的としているのだ。


 ベータの形成する非合法な社会から敵視されても仕方のない考えだったはずだが、重盛の立ち回りは上手かった。


 最終目的は心の奥底にしまい込み、決してベータの経営するクラブだの女衒だのと言った商売には真っ向から対立することはなく、そうしながら確実に、クリーンで安全なオメガ管理のためのシステム『ゼータ』を開発していった。


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