木乃伊・10
「でも。うん、華族にはなれるかも知れないけど、綺族になるには、一代だけのアルファじゃ駄目なんだよね?」
「……そうだな。アルファの家系として持続可能かどうかは問われるだろう。綺族は、伝統が大切らしいぜ」
そこで言葉を区切った木乃伊は、軽く鼻を鳴らした。
琥珀の目が、すっと細められる。
「アルファの後継者がいなければ、もし華族になれたとしても、ゆくゆくはまた特権階級から結城家は外されることになる。けど、これだけの大きなグループになったんだ、周りが放っておきゃしないさ……」
そこで言葉を切った木乃伊は苦しげに息を吐き出した。
「……あ」
木乃伊の額に薄っすらと汗が浮き出している。
「大丈夫? さっき大笑いなんかしたから……、やっぱりどこか痛いの?」
木乃伊の唇から乾いた笑いが漏れた。
「すまない、疲れた……」
木乃伊の頬に触れてみると、しっとりと熱を持っている。
「もう、なんで謝るの? 早く寝て! 僕、冷たいタオルをもらってくる」
なにか木乃伊が話しかけてきたような気がしたが、柊はすぐに踵を返して部屋を出ていってしまったので、彼が何を言おうとしたのか聞くことができなかった。
柊はすぐに台所へ入っていくと、氷水の入った洗面器とタオル数枚をワゴンに乗せてもらう。
台所にいた料理人たちがハウスキーパーやハウススチュワードに連絡を入れようとしているのを横目に、木乃伊の待つ客間へと急いだ。
ノックをするのも忘れて、部屋へ入ると、木乃伊は苦しそうな顔をしながらも、柊に向かって目を細めてみせた。おそらく、笑顔を浮かべているつもりなんだろう。腫れ上がり、紫になった目元と口元で。
「柊……」
話しかけてこようとする木乃伊の口元を、柊は人差し指で押さえた。
「駄目。静かに寝てて」
白いタオルを氷水に浸して絞る。
包帯の隙間から、木乃伊の汗を拭ってやる。
ふうっと、音を立てながら息を吐きだして、木乃伊の身体から力が抜けていく。
ぬるくなったタオルをもう一度絞って額に乗せてやった。
「柊」
呼びかけながら差しだされた木乃伊の手を、柊は握った。指先からエネルギーを分け与えることができたらいいのにと、願いながら。
「さっき、氷とタオルを貰ったときに、料理人たちが騒いでたから、多分もうすぐ鏑木がくるよ。ドクターは結城家に住み込みじゃないから、少しあとになると思うけど。大丈夫? もう少し、待っててね」
「鏑木って、だれだよ……いらない、ドクターなんて」
「駄目だよ、君。傷だらけなんだもの。鏑木は、家のハウススチュワードだよ。有能で、優しいんだ」
どうしてこんなに傷だらけなの? どうして、誰も君のこと……お見舞いに来ないの? どうして、君は結城の家に預けられたの?
すべてを飲み込んで、柊は木乃伊の手を握った。
――詮索してはいけません。
いつまでこの木乃伊を、結城の家で預かるのだろうか。そしていつ、木乃伊は結城の家から別の場所へ移されてしまうのだろう。
――詮索してはいけません。
そうしたら、きっともう二度と会えないのだ。
「ねえ。君。僕と君は、友達だよね?」
自分だけではなくて、木乃伊にもそう思っていてもらいたかった。
目をつぶっていた木乃伊の顔が、ほんの少し和らいだように見えたのは、肯定してくれているのだろうか。
「柊と一緒にいると……ほっとする」
「うん」
僕も。
友達だよね? 名前を知らなくても、この先会うことがなかったとしても。今この瞬間は、消えることがないんだよね?
心のなかに、不意に痛みが広がって、涙が出そうになってしまう。
と、柊の手を、木乃伊が引いた。
木乃伊は柊の手の甲を自分の鼻をあて、深く息を吸い込んでいた。「いい匂い」がするのだろうか。
「おまえ……もしかして……」
眉間に小さく縦じわを作った眉の下で、琥珀色の瞳が開く。
どくん。
と、腹の奥そこで何かがうずいたような気がした。
手の甲に木乃伊の唇が当たっている。
「はう!」
変な声を上げて、思わず木乃伊の手の中から自分の手を引き戻してしまった。
体中が、燃えるように熱い。
アルファだ。
柊の中の本能がそう告げていた。
木乃伊は、きっとアルファなんだ。




