1.好みはそれぞれ
色々書き直して漸く更新。
「きゃぁぁぁああああ!!」
自由落下の末に感じる衝撃は、覚悟していた痛みを早夜に与える事は無かった。
ただボスンと、何か柔らかい物の上に落ちた事は分かる。
しかし、少なからずその衝撃にほんの少しの間、気を失ってしまっていたようだった。
そして、誰かが覗き込んでいる気配を感じ、恐る恐る目を開けば、そこは今までのような真っ暗な空間ではなく、ちゃんと色彩もはっきりとした明るい場所であった。目を慣らす為にゆっくりと目を瞬く。
そして、仰向けになっているのだから当然、天井が目に入った。
(あ、あれって呪印?)
目に映る先には、呪印がびっしりと書かれている。なにやら封印の呪である事は、早夜の中の知識が教えてくれた。
けれども、それが何を封印する物であるのかは、一部分しか見ていない為はっきりとした事は分からない。
他の部分も見ようと視線を移した所、自分は今、柔らかなベットの上にいる事がわかった。
とても広く上等なベットの上。まるでナイール王子の寝室にあるような……。
そんな事をぼんやりと考えていると、自分を見下ろしてくる人物の事を思い出した。
(ハッ! もしかして、私を攫った人!?)
そう思って、其方を見て早夜は目を見開いた。
鮮やかな水色。澄んだ泉のような瞳の色……。
早夜の記憶の中にある、その瞳の持ち主の名を早夜は知らずに呟いていた。
「……ナイール王子?」
しかし直ぐに違うとわかる。何故なら目の前にいる人物の肌は透き通るように白く、この国特有の褐色の肌ではなかった。それどころか、この人物は女性だ。それも明らかに異界人であろう。その証拠にその細い首には、鈍く輝く銀色の輪っかが存在する。
女性は早夜の言葉を聞くと、目を見開き、少々驚いた顔をした後、キッと早夜を睨みつけた。
何故この女性はそんな表情をするのか分からないまま、ただ女性を見上げるしかない早夜。
彼女は不機嫌さを露わにして早夜に言い放つ。
「あなた誰? ムハちゃんの何!?」
「はい? ムハ?」
思わずポカンと口を開けて女性を見上げてしまう。
(ムハって誰?)
もしかして自分を攫った者の名前だろうか。
そう思っていると、女性がボスンと拳をベットに叩きつける。
「しらばっくれないで! あなた、ムハちゃんの新しい恋人!?」
「へ?」
何だか間抜けな声が出てしまった。暫し間を置いた後、恋人という言葉を認識すると共に、
「えぇぇぇ!?」
と声を上げていた。
「私、恋人にされる為に攫われたんですか!?」
目の前に立つ女性の眉が顰められる。
「攫われた? ムハちゃんに?」
「いえ、そのムハちゃんっていうのが誰だか分からないんですけど……あなたは何も聞いていないんですか?」
この女性も何か係わっているのだろうかと訊ねたのだが、女性か苦い顔をしたかと思うと、フッと笑って肩を竦める。
「ムハちゃんは何も教えてはくれないわ。いつも一方的になんだから。まぁ、それは私からも何も言わないからなんでしょうけど……」
何処か諦めたように溜息をつく女性に、早夜は肝心な事を訊ねる。
「それで、ムハちゃんって?」
「ムハちゃんはムハちゃんよ。このクラ……クラジ……なんだったけ? とにかく、この国の王様の事じゃない」
それを聞いた途端、早夜の思考は停止した。
(えっと……この国って事はクラジバールの王様……ムハちゃん……ムハ……)
「ムハちゃんって、ムハンバード王の事ですかぁ!?」
あの醜く膨れたムハンバードと、今のムハちゃんという可愛いらしい呼び名は中々結びつかない。そもそも王様をちゃん付けするなんてと、早夜は目の前の女性を唖然とした顔をして見上げた。
すると女性はポンと手を打って、
「ムハン……? ああ、そっか! そういえばムハちゃん、そんなに長い名前だったわよね」
ウンウンと何度も頷いている。
如何やら彼女は、長い名前を覚えるのが苦手のようだ。
それから、腕を組んで、早夜の事を難しい顔をして見下ろす。
「全く、前から冷酷非情で鬼畜な所がある男だとは思っていたけど、まさかこんないたいけな幼女にまで手を出すなんて……」
「っ!!」
(よ、幼女!?)
ガーンと酷くショックを受ける早夜。
(確かに、この人に比べれば、私なんて背も低くて胸もちっちゃいけど……でも……)
いくらなんでも幼女はあんまりだと、早夜は頬を膨らませて女性を睨みつけた。
「幼女なんて酷いです! こう見えてももう直ぐ17です!」
「え? 17? あちゃ~、もしかして怒らせちゃった? ごめんなさい、背もちっちゃいからてっきり……ここにもう長い事居るものだから、人の年齢とか見分けるの難しいのよ。ムハちゃん以外会わないんだもの」
「長い事って……ムハ…ンバード王以外会わないって……それってどういう事ですか?」
「どうしたもこうしたも、私、ここに閉じ込められてるのよ」
「え!? 閉じ込められてる?」
「そう、ここは出口が無いの。まぁ牢獄みたいな物ね」
「牢…獄……?」
早夜はハッとして周りを見回す。
広いベット。豪華で煌びやかな家具たち。
一見すれば、高級ホテルの一室かと思いこそすれ、牢獄なんて言われてもピンと来ないだろう。しかし、早夜は壁に描かれている呪印や陣を見て納得した。
(これは封印する呪だ。まだ詳しくは全部見ないと分からないけど……)
試しに目を瞑って魔力を出そうとしてみるが、全く出る様子は無い。
先程の真っ暗な部屋も、魔力を封印できる部屋であったらしいが、あの部屋よりも強力であると分かった。
あの部屋はまだ、無理をすれば何とか多少なりの魔力は出せただろうが、この部屋に限っては、自分の中の魔力を感じ取る事さえ出来ないようだ。
それに、早夜と同じような露出度の高い服に、銀色の枷をつけたこの女性は、随分とこの空間に馴染んでいる様に思う。
それは結構長い時間ここで暮らしているという事に他ならない。
「一体、どれ位ここに閉じ込められているんですか?」
人の年齢を見分けられない位、こんな封印の呪の施された部屋の中で……しかも出口の無い牢獄……それに、ムハンバード王以外には会わないのだと言う。
すると女性は、天井を見上げて寂しそうに笑った。
「さぁ? ここには夜も昼も無いから分からないわ。数年程にも思うし、何十年も経っているようにも思うし……」
「でもあなたは、私の見た所、20前後に見えます……」
自分の思ったままの年齢を女性に告げると、彼女はキョトンとした後、曖昧に微笑む。
「そっか……なら思ってたよりはそんなに経ってないのかなぁ……。私がここに来たのって、17,8くらいの時だものね」
「でも、それでも3,4年位って事ですよね……何であなたはここに閉じ込められているんですか?」
それが一番の疑問だった。それに自分がここに入れられた理由も。
早夜を攫った人物は、あの時、『王だけでは飽き足らず、ナイール王子様まで誑かすつもりか? そんな事私がさせるものか……』とそう言っていた。
ではここに閉じ込められたのは、ナイール王子の事を思った誰かの犯行だと言うのだろうか。
(でも誑かすって……そんなの私の方が、ナイール王子に誑かされそうだったよ……それに、王様も誑かした覚えも全然無いんだけどな……)
ムハンバードは誑かすよりも、怒らせたり怯えさせた覚えしかないし、そしてナイール王子にキスされそうになった事を思い出して、顔を赤くする早夜。
それに、ここに来る直前の、あの真っ暗な部屋の中で見た白い人影。あの白い人は、何かによろしくねと言っていた。その何かと言うのは、もしかして、いま目の前に居るこの女性の事なのではないだろうか。
そう思って彼女を見上げると、何故か彼女は赤くなってモジモジとしている。
「わ、私がここに閉じ込められてる理由? そ、そんなの……」
「あ、あの……?」
彼女のその様子を不思議に思って、早夜が声を掛けようとした所、
「そんなの、ムハちゃんが私の事愛しちゃってるからに決まってるじゃない!」
バシーンと肩を叩かれ、「うきゃん!」とベットに突っ伏する事になってしまった。
「あらやだ、私ってば御免なさい! でもだってだって、そう思わない? ずっと閉じ込めておきたいほどに、私の事を好きって事じゃない? 独占欲とか、支配欲とか」
「え、えっと、あの……」
「私、男って弟以外知らなかったけど、あんな風に求められたりとかって、やっぱり愛って事よね?」
「あ、愛……?」
「最初は怖かったり恨んだりもしたけれど、そう思えば全部許せちゃう? みたいな!」
ここまで聞いていれば、いくら鈍い早夜でも自ずと答えが導き出されてくる。
(いや、そんなまさか。だって……ええ!?)
「あ、あのっ! つかぬ事をお聞きしますがっ!!」
自分の世界に入ってしまって、此方を見ていない女性に、早夜は大声で声をかけた。
すると女性は漸く早夜を見て「何?」と首を傾げている。
「あのっ、あなたはもしかして……そのぉ……」
「あ、そういえば名前、まだだったわね」
「え? あ、はい。初めまして、桜花早夜です。早夜って呼んでください」
「あら、サヤちゃんって言うの? 私はサラサ。フフッ、サヤとサラサって何か音が似てるわよね」
「ああ、そう言われてみれば、そうかも――って違う!」
思わずサラサと名乗った女性と共に和みそうになって、早夜はハッとして声を上げた。
「あのですねぇ、サラサさん!」
「うん? なぁに? サヤちゃん」
「サラサさんって、もしかして……そのぉ、ムハンバード王の事が……好き、なんですか?」
何故だか変な汗が出てくる。あのムハンバードを?と思ってしまうのだ。
それにこの水色の髪の女性、サラサを見ると、彼女はとても美しい。ほっそりとしていて、儚げで、喋るとちょっとイメージが壊れるが、それはイーシェに比べれば可愛らしいもの。
まさに美女と野獣……。
しかし、サラサは早夜の言葉に、ポッと頬を赤らめると、
「もー、やっだー、サヤちゃんってば! そんなにはっきり言わないでぇ!!」
「むきゃん!」
またもやバシーンと肩を叩かれ突っ伏してしまった。
嫌な予感は的中した。
「好きって言うか、寧ろ愛してる? って感じ?」
頬を押さえながら、モジモジとするサラサを、ベットに突っ伏したままじとりと見上げ、
(好みって人それぞれなんだなぁ……)
と、しみじみと心の中で呟くのだった。
この章から、予想していた通り、難産気味です。
サラサの性格がいまいち掴めていない。というか振り回されてる……。
もっと大人しい人でいて欲しかったのに……。
まぁ、でもこれはこれでいいかな、うん。先に何か支障のでる事もないし。
暫くはこの二人で話は進みそうです。他の人たち出てくるのはもう少し先。でもなるだけ早く……そう、三話以降には出したい。
てな訳で、次回をお楽しみに~。