2.らぶりぃパジャマ
「ただいまー!」
「お邪魔します」
そう言って玄関に入る二人。あの日のようにすぐに蓮実が出迎えてくれた。
「おかえり、蒼。早夜さんもいらっしゃい」
そんな蓮実の格好は、やはり相変わらずフリルのエプロンだった。
「早夜チャンおかえり! さあ、お兄ちゃんにただいまのハグを!!」
声を聞きつけたのか、騒がしく寄ってきて抱きつこうとする楓を、蒼がいつものように物理で阻止する。その様子を、早夜は苦笑しながらも何処か嬉しく思いながら見ていた。
(おかえりか……なんかいいな……)
母のアヤはいつも残業ばかりで、自宅にはその言葉を言ってくれる者は居ないからだ。
それから、テーブルには既に先客が居た。
音楽雑誌を読む和服姿の男性。亮太の父、翔太郎だった。
普段の彼はこうして着物姿で過ごしている事が常だ。最初のあの姿は、自宅では殆ど無いものらしい。
つまりあの時は非常にレアな場面に遭遇したことになる。
早夜も最初、そのギャップに驚いてはいたが、現在では此方の姿の方が馴染み深くなってしまった。そう感じる程にこの家に慣れてしまった事が、何とも感慨深く面映ゆい。
その傍らにいるマリアの姿もまた、早夜にとって当たり前の光景なっている。
「あの、翔さん、マリアさん、お邪魔してます」
「ん……(コクリ)」
「早夜チャンおかえりー! あーチャンも(蒼の事)おかえりー!」
早夜が礼儀正しく頭を下げれば、翔太郎は声を出さずに頷いて見せ、マリアがにこやかに返事をする。
彼の無口無表情は通常仕様なのだ。
「あっ! 早夜お姉ちゃん、お帰りなさい」
そして海里も既に来ていた。
蒼は彼の挨拶にピクリと反応する。
「あ、こら! 私には挨拶無しなの?」
「ああ、あーちゃんもおかえりー」
「んん? 何かついでみたいな言い方ー……。ふーん、そういう態度とっちゃうんだー……。
あのね、早夜。この子実は、この前男の子にラブレターもらったのよ」
意地悪な顔で早夜に耳打ちする蒼。それも、わざと聞こえるようにだ。
「あー!! もう、言わないでよー!」
海里は頬を膨らませた。
そして続いてチャイムが鳴る。
「ただいま」
蒼の母、茜の声が聞こえてきた。
「茜さん、お帰りなさい」
パッと顔を明るくして、いそいそと玄関に向かう姿は、まさに夫の帰りを喜ぶ妻そのものだ。流石逆転夫婦である。
耳を澄ますと、二人の声が……。
『蓮実、お帰りのキスはしてくれないのかな?』
『ええ!?』
『たまには、蓮実からしてもらいたいな……』
『えーと……』
……しーーーーん……
ガチャと、暫らくしてドアが開いて、満面の笑みの茜が出てくる。その後ろから、頬を赤らめた蓮実の姿。
「あーあ、まったくいつまでもバカップルなんだから……」
蒼が、呆れた顔でぼそりと呟いたのだった。
その後、亮太の姉の百合香も帰ってきて(今日は清楚な感じのワンピース姿)、皆テーブルにつき、すき焼きパーティーは開催された。
「あれ? 亮太君は?」
「あいつは、部活で遅くなるから、先に食べちゃいましょ?」
一人足りないのに気づいた早夜が訊ねれば、そんな答えが返ってきた。
何か悪いような気がしたが、皆は構わず食事を始めるので早夜もそれに習う他ない。
お邪魔している身で、意見など言えないのだ。
「そういえば、前から思ってたんですけど、百合香さんは何のお仕事をしているんですか?」
何とはなしに聞いてみる。何故かいつも違う格好なのだ。
この前など、チャイナ服で現われた。
百合香は卵をかき混ぜる手を止め少し考えるようにすると、爽やかな笑顔で唇に指を当て言った。
「それは、な・い・しょ」
「そうなのよ、早夜! ユリ姉の職業だけは、ここに居る誰も知らないのよ」
蒼の言葉に百合香はフフッと笑った。
「でも、如何わしい仕事じゃない事だけは断言できるから、安心してね、パパ、ママ」
「そういえば、蒼ちゃんと亮太君って許婚同士なんですよね? 何かそういうのって素敵ですよね……」
一同ピタリと動きを止めた。その顔は一様に引きつっている。
ただ一人、マリアだけは嬉しそうに顔を輝かせていた。
「だよね! 私たちが、学生時代の時に約束したんだ! 私達が将来結婚して子供が生まれたら、子供同士で結婚させようねって!」
「ええ!? 学生時代って、皆さん同級生なんですか?」
驚く早夜を見て、茜が苦笑する。
「いや、同級ではないよ……私達は生徒会の仲間だったんだ。翔さんが会長で、私が副会長を勤めた。蓮実とマリアは、それぞれ書記と会計だったかな」
「それで確か翔さんの卒業式の時に、この約束をしたんだったよね」
「うん……まあ……かわいい約束だったよね……」
そう、遠い目をする茜。
それを聞いてマリアはぷぅっと頬を膨らませる。
「もうっ! かわいい約束じゃなくて、素敵な約束でしょ? 最初は、ユリちゃんと楓君も許婚同士だったんだよ。それから、亮チャンとあーチャンが産まれて、年も同じだし丁度いいねって」
「でも、一番大事なのは、本人の意思だからね……」
と、蓮実。
「そうよねぇ、本人の意思が大事よね……」
と、これは百合香。
「そうだよね、だって亮兄ちゃんは……」
と、チラッと早夜を見る海里。
そこで漸く気付くマリア。
「あ、そっか、亮チャンって……」
皆、一様に早夜を見る。
当の本人は何故自分が見られているのか分からずに首を捻っている。
「ただいま」
そこへ丁度、亮太が帰ってくる。
彼は一歩部屋に足を踏み入れると、「うっ」と立ち止まった。
皆が此方を生温かい目で此方を見ていたからだ。
そして、彼らが揃って『おかえりー』と、ニヤニヤしながら言ってくるものだから気持ち悪くて仕方がない。
(な、何なんだ!? この空気は!?)
「お帰りなさい、亮太君」
まるでそこだけが切り離されたように見える。
ニコリと微笑み小首を傾げるという可憐な仕草で早夜に挨拶をされた亮太は、思わず口に手を当て赤面してしまった。
彼女が家に居る事にも驚いたが、それ以上に早夜に「おかえり」と言われた事が嬉しいというか……こう、くるものがある。
そんな亮太の心理が手に取るように分かるものだから、一同が生温かい眼差しと共に『ねー』と顔を見合わせるのだった。
食事も終わり、一同まったりとした空間の中、蒼が早夜に提案する。
「ねえ早夜、今日このまま泊まってかない?」
それは願ったりなお誘いだった。丁度、お願いしようと思っていた所だったのだ。
あの夢を見なくなってから、朝起きた時のあの寂しい感覚は相当堪える。側に誰か居て欲しいという欲求があった。
すると、二人の会話を聞いていた蓮実が何か思い出したようだ。
「あ、そういえば……この前、買っておいたんだった」
そう言って部屋を出て行く。
暫くすると紙袋を持って戻ってきた。
「パジャマ買ってきたんだ。勿論、早夜さんの分も」
嬉しそうな蓮実に「えっ!?」と驚く早夜。わざわざ買ってくれるなんて悪いなと思った。
そして蓮実は袋をゴソゴソと漁ると、とある一着を取り出した。
「はい、早夜さんのはこれ! ウサちゃんフード付きパジャマ!」
ぴらっと、そのパジャマを広げて見せる。
“ブーー!!”
その時、水を飲んでいた亮太は盛大に吹き出した。
「ちょっ! もー、汚いなー、やるならあっち行ってやってくれる?」
目一杯不機嫌な顔をして蒼は亮太を怒る。正直彼はそれ所ではない。
パジャマの事もあるが、水が気管に入り思いっ切り噎せていた。しかし、彼を気にする者は一人としていなかった。
その時早夜はというと、嬉しいような困ったような微妙な顔でパジャマを受け取る。当然、礼を言う事は忘れない。
「あ、ありがとうございます……」
「はい、蒼と楓にも」
別のパジャマを取り出し、二人に手渡す。
蒼はネコ、楓に至ってはペンギンだった。二人とも大してリアクションがない事から、こういった事は珍しくないのかもしれない。
「で、私のは何だい?」
茜が蓮実に近づき訊ねると、残りのパジャマを取り出した。
「茜さんはライオンと羊、どっちがいい?」
「フッ、それってもしかして私に対する願望?」
「えっ?」
首を傾げる蓮実に、怪しく微笑みながら茜は詰め寄った。
「ライオンみたいに襲いたいの? それとも、子羊みたいに襲われたいの?」
「え? あっ! ち、違います!! 残りがたまたまこれしかなかったんですっ!!」
慌てて力いっぱい否定する蓮実に、茜は最初つまらなそうに羊のパジャマを取った。
「しょうがないな、今日は、羊にしとくよ」
しかしながら、そう言ってから二ヤッと笑う。
「今夜は楽しみだな、どう私を襲ってくれるのかな?」
「もうっ! 子供達が居るんだから、そういう話は禁止です!!」
そんな様子を見ていた杉崎家母のマリア。
「ねぇ、翔さん。私達もアニマルパジャマ買おうよ」
翔太郎の腕を揺すりながらマリアは言い、それを聞いた亮太は止めてくれと思った。流石に高校生にもなってあんなファンシーな物は着たくない。
「ねぇ、翔さんはどんな動物がいい?」
(親父! 頼むから断ってくれ!)
亮太は心の中で懇願する。
そして翔太郎が口を開いた。
「……パンダ……」
時が止まったかのような静けさの室内。温度が一気に下がったかのようだった。
誰もが聞き間違いかと思った。
「へー、パンダかー。翔さんってパンダ好きだったんだ」
そう言って笑うマリアに、皆聞き間違いではなかったのかと愕然とした。
しかしまだ、これだけでは終わらない。翔太郎がまた口を開いたのだ。
「……色が潔い……」
「色? うん、白と黒だもんね、潔いよね!」
ボソリと呟く翔太郎の言葉に、うんうんと納得してみせるマリアだったが、その他の面々は一同心の中で(訳分からん!!)とハモっていた。
未だ凍り付く空気の中、百合香がその空気を変えるある提案をした。
「ねぇ、早速だからお披露目しましょうよ」
「いやー、翔さんが二言以上喋ったのには驚いたわ……よっぽど好きなのね、パンダ」
その後、百合香の提案は見事可決され、早夜と蒼の二人は二階の蒼の部屋にてあのパジャマに着替えていた。
「あれ? 早夜、その首にぶら下げてるのは何?」
下着姿になった早夜に蒼が訊ねた。
見れば紐が首に掛けられ、その先には桜色の小さな巾着袋が着いていた。
「ああ、これ? お守りだよ。お母さんが肌身離さず持ってなさいって」
そう言って早夜はそれを手に取った。蒼は桜色のお守りをまじまじと見る。巾着袋には何か入っているようである。
「中には何が入ってるの?」
「んー……私にもよく分からないんだけど……。もし、離れ離れになっても、また出会えるおまじないって、お母さんは言ってたな……」
「ふーん、どんなおまじないなんだろ? 後でおばさんに聞いてみようかな……」
一方、一階リビングでは――。
「楽しみだねー!」
「ん!」
はしゃぐマリアに対し、言葉はないが力強く頷く翔太郎。無表情ながら雰囲気は明るいので、何気に楽しみにしているようである。
「私は早夜ちゃんさえ見れればいいわ……ねぇ、亮太?」
百合香が意味あり気に上の弟に同意を求める。
しかし、訪ねられた方は居た堪れずに顔を赤くして怒鳴っていた。
「俺に同意を求めるな!」
「えー? 亮兄ちゃん、楽しみじゃないのー? 早夜お姉ちゃんの、ウサ耳フード姿」
海里がニヤニヤとした顔で茶化す。
そんな弟に動揺したように慌てて否定する。
「バッ! んなっ、そんなんじゃない! 俺はただ蒼と、楓兄を笑ってやろうと……」
その様に反応する様が面白がられるのだとは気づかないようである。
そんなしどろもどろな亮太の台詞に被せるように、「お待たせー、皆の用意できたよー」と言う蒼の声が。
亮太はビクッと体を震わせ、扉を見つめる。その目は誰から見ても、期待している事がありありと分かった。
「まずは私達から……。お楽しみは後に取っておくものだろう……?」
そう言って最初に出てきたのは茜と蓮実夫婦だった。
早夜でない事に若干残念さを感じたものの、その予想以上のファンシーさに亮太はうっと唸った。
フード部分は動物の頭に相応するようだ。被ったフードの天辺には動物の耳が存在する。
それは、大の大人が着るにはあまりにも可愛過ぎないか? と亮太は思ったが、意外と二人は似合っていた。
「わー! 二人とも可愛いー!! 手と足の部分は、ちゃんと動物の手足なってるんだね!」
マリアのはしゃいだ声と翔太郎の無言で手を叩く音が響く。
マリアの言うとおり、パジャマの手足部分に綿を積めた動物の手足が、それぞれあったか手袋とあったかスリッパとして存在した。無駄に凝った作りである。
そして、登場した二人はと言うと……。
「茜さん可愛い……」
「じゃあ、今夜は襲われちゃうのかな?」
頬を染めて惚けた顔の蓮実に、茜はクスリと笑ってからかうように言った。しかし蓮実は惚けたまま答える。
「……うん、襲っちゃう……」
(おい! さっきそういう話、禁止って言ってなかったか?)
そう亮太は心の中でつっこむが、いちゃつく二人にあてられ声に出す気力はない。
しかし、そんな彼を余所にお披露目は続く。
「じゃあ次、蒼行っきまっす!」
そんなノリノリな宣言と共に腰に手を当て、モデル歩きで出てくる蒼。その手には、お尻部分に付いた長い尻尾を掴み、くるくると回している。無駄に真面目な顔が笑いを誘う。
中央まで来ると、モデル立ちで決めポーズまでした。
「うわー! ニャンコも可愛い。長い尻尾も可愛いねー。あ、ニャンコには、鈴も付いてるんだね!」
言われれば成る程、蒼の首元には大きな鈴が付いている。ちゃんと本物の鈴のようで、動く度にチリンチリンと音を奏でている。寝る時は邪魔にならないように取り外し可能だ。
翔太郎はと言うと、やはり無言で手を叩いている。
「はーい、じゃあ続いてはー、お待ちかねの早夜っち登場ー!」
その言葉にドキリと心臓を跳ね上げさせる亮太であったが、その肝心の早夜がなかなか出てこない。
どうしたのかと一同不思議に思う中、扉が少し開いてピンク色の動物の手が出てきた。
そしてひょこっと顔を出すウサギの耳、早夜の顔も一瞬出てくるが、すぐに引っ込んでしまった。
「ううっ、蒼ちゃん、恥ずかしいよぅー……」
何ともほんわかした空気が漂う室内。皆一様に温かい眼差しで微笑んでいる。
「ほら、早夜。あんたすんごく可愛いから出てきなって、買ってくれた蓮実ちゃんにもちゃんと見せてあげなくちゃでしょ?」
その言葉で漸くそろそろと出てくる早夜。律儀な彼女には効果覿面の台詞だった。
そして、全身が出てきたと思うと、素早く蒼の後ろに隠れてしまう。まさに小動物。
その時、お尻の部分が見えたのだが、可愛い丸いウサギの尻尾が付いていた。
「かわいいー!! 早夜チャンすごく可愛い!」
マリアの声に便乗するように、翔太郎も今までで一番拍手の音が大きかった。
そして皆、何気に亮太に目を向ける。
亮太はポカンと口を開けたまま顔を赤くして、早夜に魅入っていた。
そんな青春真っ盛りの恋する少年の姿に皆、無言で顔を見合すと、『ねー』と声を出さずに首を傾けるのだった。
「僕、忘れられてないか?」
楓が寂しそうに廊下から部屋の様子を窺う。
その姿はまさに青いペンギン。この状況故か、その後ろ姿はそこはかとなく哀愁が漂っている。
そう、彼の存在は完全に忘れ去られていた。
「それにしても……早夜チャン……良い……。蓮実ちゃん、グッジョブ!」
しかし、この逆境にもめげず、逞しいかな、彼の顔はだらしなく緩んでいたのだった。