5.イーシェの仕事
「ねぇ早夜、そう言えばさっき、王様に鞭打たれた時、ナイール王子に庇ってもらったって言ってたわよね?」
話が一段落付いた所で、蒼が早夜に尋ねた。
「え? うん、そうだけど……?」
「で? どうなの? ナイール王子って?」
「……? 如何って?」
「だーかーらー、人から聞いた話によれば、ナイール王子って美形だそうじゃない。如何? かっこいい?」
「え!?」
そのように言われ、早夜はカァーっと顔を赤らめた。
あの格好の事と、手に入れると言われた事。同時に思い出した。
「え? ちょっとちょっと、何々? もしかしてナイール王子となんかあったの!?」
だがもう一つ思い出した事。
小さい、子供と言われた事。
「えぇ!? 何で急に頬っぺた膨らませてるの!? もうこうなったら、正直に全部私に打ち明けなさい!」
「ひゃー! 蒼ちゃん、そんなに強く抱きしめたら苦しいよ!」
とその時、二人の目の前にカンナが何の脈絡も無く現れた。
「サヤ様……」
「うわぁ、ビックリした!」
「カンナさん? 如何したんですか?」
「ナイール王子が戻ってまいります……」
「え! 本当!?」
大変だとばかりに、早夜は立ち上がる。
「蒼ちゃん、亮太君、私、一応出歩いちゃいけない事になってるから、もう行かなくちゃ! またチャンスを見て、会いに来るからね! あ、二人も絶対に出歩いたりとかしちゃ駄目だよ? 特にお城の人達とかに見つからないようにね!」
「あ、ちょっとサヤ!?」
蒼は声を掛けるが、早夜はカンナに連れられ、そのまま消えてしまった。
「ああー、行っちゃった……。亮太、またもやライバル出現の予感よ?」
「は!? 何の話だよ?」
「ウフフー、早夜は王子様たちにモテモテよねー? セレブを惹きつける何かが備わってるのかしら?」
「ど、どういう事だよそれ!?」
焦った様に、蒼に詰め寄る亮太。
「まぁ、どちらにしろ、亮太にとっては大きな壁よねぇ? その王子様達も、リュウキさんも?」
「うっ!!」
グッと胸を押さえる亮太。
何より一番の問題は、リュウキが結構シスコンだという事だ。
確かに、どんなものよりも、大きな壁だと言えた。
「良カッタデツ! 蒼、トッテモ楽シソウナノデツ!」
「フム、実際は不安で堪らんだろうに……。でも、あの早夜が来て、本調子に戻ってきたという所かのぅ……」
少し離れた場所で、蒼と亮太を見守っていた花ちゃんとピト。
うんうんと、花ちゃんの言葉に、ピトも頷くのだった。
寝室に戻ってきた早夜は、慌ててローブを脱ぐと、それを持ってオロオロとしてから、ベッドの下に隠す事にする。
ローブをベッドに下に突っ込んで、よしっと頷き顔を上げた所、丁度ナイールが扉を開けて入ってきた。
「……サヤ? そんな所で、一体何を?」
ベッドの向こうから、しゃがみ込んで顔だけを出している早夜の姿に、ナイールは怪訝そうに顔を顰めた。
「べっ、別に何もしてませんよ!」
ギクッとして、思わず声が裏返ってしまった。しかも、ドギマギとして、視線を彷徨わせてしまう。
ナイールにとっては、その様子は、怪しい事この上ない。
そして、後ろ手に部屋の扉を閉めた所、「ああっ!!」と早夜が声を上げた。
(な、何でカンナさん、まだそんな所に居るの!?)
なんと、ナイールの閉めた扉の影に、カンナが立っていたのだ。
カンナは、ナイールの後ろ姿を静かに眺めた後で、早夜に目を移し、何やら示している。
早夜はナイールを気にしながらも、カンナの示す方へ目を向けた。どうやら早夜の足元を示しているようだ。
(ああっ! 靴履いたままだ!)
「サヤ? いきなり大きな声を出して、どうかした?」
ナイールが首を傾げ、自分の背後を振り返る。
カンナが見つかると思い、ドキンとする早夜であったが、その時にはもう、カンナは姿を消していた。
早夜はナイールが後ろを向いている隙に、素早く靴を脱ぎ、ベッドの下に放り込んだ。
「?? 何も無いようだけど……」
「な、何でもないですよ! ただちょっと……そう! お、お腹が空いただけです!」
早夜はガバッと立ち上がると、咄嗟にそう言った。
実際、早夜はとてもお腹が空いていた。ついでに、お腹も鳴った。
ナイールは、キョトンとした顔をすると、プッと噴出し、
「分かったよ。何か用意させよう」
そう言って、使用人を呼び寄せる。
「君の場合、しっかりと食べないとね? 大きくなれないよ?」
苦笑しながら、彼の視線は早夜の胸元へと移動する。
「っ!!」
早夜はハッとして、ベッドのシーツを引っ張り出すと、自分の体に巻きつけた。
今更ながら、自分が露出度の高い服を着ている事を思い出したのだ。
「ハハハ、私に指摘されるまで気付かないなんて、君は鈍感だな」
可笑しそうに笑うナイールであったが、次の瞬間、探るようにスッと目を細め、
「それとも、気付かないほど、他の何かに気をとられていたのか……」
心の中でギクリとする早夜。
しかし、ナイールは直ぐに笑顔に戻ると、
「まぁ、何はともあれ、気付かないほどに、その服に慣れたという事かな?」
こんな服に慣れたくないと思いながら、早夜はまたもや「あ!」と声を上げる。
「今度は何かな?」
早夜はそれに答えられず、ブンブンと首を振る。
(そういえば、マオさんに連絡は如何しよう……? またチャンスはあるよね?)
早夜はチラリと腕輪を見る。
そんな早夜を興味深げに見据えながら、ナイールは「フーン」と頬杖を付いた。
(サヤ、君は明らかに何か隠している……。でも、君を放す気はない……)
獲物を逃がさまいとする獰猛な獣のような鋭い光が、ナイールの瞳の中で煌くのを、早夜は気付く事は無かった。
「さぁ、怪我した奴はさっさと並ぶミョ! イーシェは暇じゃないミョ! イーシェがお前たちを治療してやるのを、ありがたく思うんだミョ!」
「ちょっとイーシェ。いつも思うんだけど、その怪我人の呼び寄せ方はどうかと思うわよ……?」
奴隷居住地の少し開けた広場みたいな場所で、イーシェは治療を行う為、声を高らかに叫んでいる。
その傍らで、ミリアは困った顔をしながらイーシェに言った。
「いーんだミョ。下手に優しくして、大した怪我でもないのに来られても迷惑ミョ。力の無駄遣いミョ。現に、今こうしてここに来るのは、本当に治療の必要な人間ミョ」
「うーん、そう言われてみればそうかもね……」
ミリアは続々と集まる人々を見る。
確かに大怪我を負った者や、骨折の類の者達ばかりだ。かすり傷の者は居ない。
「まぁ、貴族の奴らは、かすり傷でも大騒ぎして、大掛かりな魔法を要求したりするミョ。そんな奴らにはイーシェ、治療と称して呪いをこっそり掛けるミョ」
「の、呪い……?」
「そうミョ。禿げる呪いや、太る呪い。水虫になる呪いなんかもあるミョ」
「………」
何とも地味な呪いであった。
そしてミリアが、その場を離れようとした時、目の前にフードを被った小柄な人物が立っている事に気付く。
「えっと、もしかして治療を受けに来たの? だったら並んで――」
「イーシェさんって、あそこにいる人ですか?」
その声は細く高く、少女のものであった。
「え? ああ、そうよ。もしかして動けない人でもいるの?」
「いいえ。お礼を言いに来たんです」
「お礼? えっと……あなた異界人?」
この国の奴隷にしては、肌の色が白かった。
この少女は、ミリアの質問に頷いてみせると、フードを取り払った。
「あっ!」
ミリアは、思わず声を上げずにはいられなかった。
黒くて長い、ストレートの髪。瞳もまた漆黒であった。
ミリアは彼女に会った事がある。その時彼女は意識はなかった。
「ム、ムエイ様の妹さん!?」
「?? 私の事を知ってるんですか? それにムエイ様って……リュウキさんの事、だよね……?」
首を傾げる早夜に、ミリアは詰め寄る。
「よかった! もうすっかり良さそうね。私、ミリア。ミリア・スティングスよ! あなたの事は、イーシェが治癒魔法を施した時に、一緒に居たから知ってるの。それと……あなたのお兄さん。ムエイ様とは、近い将来、恋人になる予定よ」
「は、はい?」
キョトンとして、ミリアを見つめる早夜。
ムエイ……リュウキの恋人は、セレンティーナではなかろうか。そう、心の中で呟く。
「ミリア! 何してるミョ! 患者は待ってはくれないミョ! ついでにイーシェはもっと待たないミョ! 早く行ってくるんだミョ!」
イーシェが、患者に治療を施しながら鋭く叫んだ。
「あー、はいはい。全く、仕事してる時のイーシェは、鬼のようだわ……。イーシェ、この子は昨日の子よ。ムエイ様の妹の……」
「えっと、桜花早夜です。この度は、治療して下さって、ありがとうございました」
早夜はペコリと頭を下げる。
イーシェはチラリと早夜を一瞥した後、
「お礼なんかいらないミョ。でも、どうしてもお礼がしたいって言うのなら、何か手土産の一つでも持ってくるミョ。
イーシェ、お前の友人のアオイが持ってた、チョコレートと言うものが、甚く気に入ったミョ。
お礼と言うのなら、あんな感じのお菓子が欲しいミョ」
「え!? チョコレートですか!? ご、ごめんなさい。持ってないです……」
「なら、もう用は無いミョ。イーシェは仕事中ミョ。ここにいる怪我人達を治療しなきゃいけないんだミョ。
下手をすれば、こっちから出向いて治療しなくちゃいけない時もあるミョ。お前に構っている暇なんか無いんだミョ」
「じ、じゃあ、イーシェさんのお仕事、お手伝いします!」
それではこっちの気がおさまらないと、早夜はそう申し出る。
イーシェはフンと鼻を鳴らしながら、
「昨日みたいに倒れる事にならないようにして欲しいミョ。イーシェ、そう何度も面倒見切れないミョ。でも、どうしてもやりたいのなら、やってみるといいミョ。お前の魔法、ちょっと興味があるミョ」
「ちょ、ちょっとイーシェ?」
ミリアが心配そうに声を掛ける中、早夜はパッと顔を輝かせ、
「ありがとうございます!」
と頭を下げた。
それを見て、イーシェは眉を顰める。
「やっぱりお人好しミョ。イーシェはお人好しが嫌いミョ……」
そして早夜は、その場にいる怪我人達を一箇所に集めた。
「えっと、傷のある方はこっちです! 骨折している方はこの一角に集まって下さい! 両方の方はこの中央に! 病気の方は此方に!」
「何してるんだミョ? まさか……」
「それじゃあ、皆さんの治療を開始しますね」
イーシェが目を見張る中、不安げな怪我人達に向かい、早夜は魔力を放出させる。
その魔力は地面を這い、彼らを取り囲むと、巨大な魔方陣となった。
早夜の目を見てみれば、赤く染まっていて、髪も舞い上がり、何とも異様な迫力を醸し出している。
人々に、ある種の畏怖を与える光景であった。
魔方陣が輝き、魔法が行使されるのを、イーシェは呆然として眺めている。
「信じられないミョ。全く違う術を同時にやってるミョ……。と言うか、一つの魔方陣に収めてしまうなんて……そんなの見た事無いミョ」
「イーシェには出来ないの?」
確かに凄そうではあるが、そのどこら辺が凄いのか、全く理解できない。
「イーシェには無理ミョ。第一イーシェは、呪文詠唱の方が得意なんだミョ」
「……? イーシェは魔方陣が出せないの?」
「やろうと思えば出来るミョ。でも、イーシェは文系だから、図形とかを覚えるのが苦手なんだミョ」
「……魔法使うのに、文系とかってあるんだ……」
「大有りミョ! 呪文は力ある言葉の組み合わせミョ。大きな魔法になればなるほど、それは文章となって、時には一つの物語を作り出す事もある位ミョ。
でも魔方陣は、図形の組み合わせミョ。力を象徴する形というものがあって、それを省略化させて、小さくまとめる事が、魔方陣を作り出す上で、大事な焦点になってくるミョ。でもまず、力を象徴する形を覚えて理解しないと、例え魔方陣が出せたとしても、その術を行使する事は不可能なんだミョ。
イーシェ、その図形の理解がからっきしミョ。図形を覚えるより、文や言葉を覚える方が、イーシェには向いているんだミョ」
「へぇ、そうなんだ……」
話の半分も理解できたのかは怪しいが、一応ミリアはそう返事をした。
「あ。でもピトとかは、魔方陣も呪文詠唱もどっちもやってるわよね? じゃあそれって、凄い事なんじゃないの?」
「そういう奴は、魔術が凄い云々より、頭ん中もの凄い情報量で、いわば天才と呼ばれる奴ミョ。
そして、両方出来ると、何かと効率もいいんだミョ。魔法陣じゃ納まり切らない所を呪文で補ったり、逆に呪文で表現できない所を魔方陣で補ったり出来るから、魔力の省エネにも繋がるんだミョ」
「ふーん……」
「因みに、ロイがよく使っている呪符なんかも、実はその図形と言葉の組み合わせだったりするミョ。作った者の魔力を取り入れてあるから、決められた条件を満たしていれば、例え魔力の無い者でも扱う事が可能なんだミョ」
「って事は、ロイって天才なんだ」
へぇと感心するミリアに、イーシェは言った。
「ただ、呪符の場合、もの凄く地味ミョ。きっとロイの奴は、夜なべしてコツコツと呪符を書いているに違いないミョ」
そんな事を二人が話している間に、怪我人達は次々に回復してゆく。
そして、全員が回復すると、早夜はフーと息を吐き出し、イーシェの方を見てニッコリと笑う。
「イーシェさん、治癒完了しました」
「ご苦労様ミョ。お前がいれば、きっとイーシェはお役御免、間違い無しミョ」
「え? えぇ?」
「ちょっと、イーシェ!」
遠い目をして呟くイーシェに、戸惑った声を上げる早夜。
ミリアもギョッとしてイーシェを眺める。
だがイーシェは、直ぐに顔を早夜に向けると、
「とまぁ、冗談はこの位にして、動けない奴はいないかどうか、見回りに行くミョ」
スタスタと歩き出すイーシェ。
「え!? イーシェってば冗談だったの?」
「あ、待って下さい! 私もお手伝い――」
「別にもうお前はお礼をしたんだから、手伝いなんかしなくてもいいミョ。それに、そんな風について来られても迷惑ミョ。そんな事している暇があるなら、さっさとムエイに会って来るといいミョ」
最初、イーシェの冷たい態度にしょんぼりとしていた早夜であったが、ムエイと言う名を聞いてハッと顔を上げた。
ミリアもポンと手を叩く。
「そうよ! ムエイ様だわ!」
「あのっ、今何処に居るんでしょう?」
早夜は興奮気味に尋ねる。
「そんなの知らないミョ。自分で探すミョ」
「もう! ちょっとイーシェったら、そんなに冷たい事言わないで、手伝ってあげましょうよ!」
「それなら、ミリアだけで探すの手伝ってあげるといいミョ。きっとその娘を連れて行けば、ムエイは感謝して、ミリアにキスの一つでも贈るかもしれないミョ」
「えぇ!! 本当!?」
「え? え?」
イーシェとミリアの会話に、視線を忙しく交互の向けながら、早夜は戸惑う声を上げる。
「そうと決まれば、サヤちゃん! ムエイ様を探しに行くわよ! な、何なら私の事、お、お姉ちゃんなんて呼んでもいいわよ? いやぁん、ミリアってば恥ずかしい~!!」
探しに行こうという申し出はとってもありがたかったが、それ以外はちょっとと躊躇われた。
「じゃあ行ってくるわね、イーシェ!」
「あー、行って来るといいミョー」
イーシェはヒラヒラと手を振りながら早夜とミリアを見送る。
早夜もイーシェに一言挨拶をしようかと思ったのだが、口を開いたと同時に手を掴まれ、ミリアにグイグイと引っ張られて、それは叶わなかったのである。
「あ、あの……ミリアさん……?」
早夜は恐る恐るミリアに声を掛けた。
ミリアは先程から「ムエイ様……」と呟きながら、何やら妄想している最中であった。
そして、早夜が呼んでいる事に気付くと、
「嫌だわ、サヤちゃん。ミリアお姉ちゃんって呼んで?」
キラキラと目を輝かせながらのミリアの言葉に、早夜は少々たじろぐ。
「い、いいえ、その……それはちょっと……」
セレンとリュウキの仲を知っている為、何とも複雑な心境である。
「もー、サヤちゃんったら。恥ずかしがり屋さんなんだからっ! まぁいいわ。それでなぁに?」
ニコニコと首を傾げるミリアに、早夜はチラチラと彼女に視線を送りながら、
「あの、実はナイール王子の事なんですけど……」
すると、ミリアはハッとして早夜を見る。
その顔は、何処となく赤く染まっているように思えた。
そしてミリアは、早夜の肩をガシッと掴んだ。
「サ、ササササヤちゃん!? あなたもしかして、ナイール王子と何かあった!?」
ミリアには、あの時ナイールに渡された貴族の服だとか言う、際どい服が脳裏に浮かんでいた。
しかも、あの後ナイールとは二人っきり……。
その事を思うと、ミリアの中ではあらぬ事を考えてしまう。
そして今、こうしている中で、早夜はミリアの言葉に顔を赤らめている。
それを見た時、ミリアの中で衝撃の雷が落ちた。
「ま、まさかサヤちゃん……本当に……? ナイール王子に傷物にされちゃった……?」
「はい? 傷物? 王様には鞭打たれて怪我はしましたけど?」
キョトンとして首を傾げる早夜を前に、ミリアはブンブンと首を振った。
「違うわ、サヤちゃん! だってあなた、あんな露出度の高い格好で、ナイール王子と二人きりになったのよ!」
「っ!! 何でその事をミリアさんが知ってるんですか!?」
早夜はその事実に、戸惑うと共にあたふたとしてしまう。
もしかして、他の者達もあの格好の事は知っているのだろうか。
「だってあれ、私とカンナであなたに着せたんだから」
「え!? 本当ですか? えっと、それで、他の人はこの事を……」
「言える訳ないじゃない! それで? どうなの!? ナイール王子に押し倒されちゃった!?」
「押し――」
一気にボッと顔を真っ赤にさせる早夜。
確かに押し倒され、君が欲しいと言われた。
「お、押し倒されちゃったの!? 押し倒されちゃったのね!」
早夜の真っ赤になる顔を見て、そうだと確信したミリアは、ぽろぽろと涙を流し始めた。
「サヤちゃんってば、あなた……。そんな目に会ってたのに私たちの前であんな風に笑顔で……。心配させまいとしたのね……。なんて健気な子なのかしら。
それにしてもナイール王子ったら、普段は温厚そうに見えて、やっぱりこの国の人間よね!」
憎々しげに、ナイールの名を呼ぶミリア。
「え!? いや、その……ただ押し倒されたくらいで――」
「え? だって、手篭めにされちゃったんじゃないの!?」
「て、手篭め……?」
早夜の脳裏に、とある時代劇のワンシーンが流れる。
悪い代官や殿様が、善良な町娘を「よいではないか、よいではないか」と追い掛け回すあの光景を……。
(手篭めって……あんな感じ?)
そんなちょっとずれてる事を考えているなどとは露知らず、ミリアは早夜の首を捻っている様子に目を瞬かせた。
「サヤちゃん、何もされてないの? キスとかは? 変な所触られてない?」
「キス!? 変な所って……。私、何もされてませんよ!」
思いっきり首を振って否定する早夜に、ミリアは全身を脱力させると、心の底から安堵の溜息をついた。
「ハァ~、よかったぁ~! サヤちゃん何もされてないのね! でも、どちらにしても、あの格好の事とかは絶対に内緒にしなくちゃね」
「も、勿論ですよ! 絶対に言わないで下さい。恥ずかしいので」
顔を真っ赤にさせる早夜に、ミリアは苦笑して言った。
「確かに恥ずかしいだろうけど、理由はその事じゃないのよね。もし、ムエイ様がこの事を知ってしまったら、王子様に食って掛かる位はしそうって事。もしこれで、手を出されてた日には、ムエイ様、ナイール王子本気で切りかかっちゃうわ」
「えぇ!? あのリュウキさんがですか? そんなまさか!」
夢の中で見ていたリュウキは、いつでも落ち着いていて冷静で、ミリアが言うような、直情的に動くタイプには到底見えない。
しかし、ミリアは首を振った。
「まさかって、サヤちゃん。あなたがこの世界に現れた時も、このクラジバールに来たって知った時も、ムエイ様、それはもう凄い取り乱しっぷりだったのよ。カムイって言う力持ちの男がいるんだけど、その彼が取り押さえなきゃいけない位にね」
「そ、それって……」
「サヤちゃんの事が凄く大事なのね。きっと、元居た世界では、すっごい仲のいい兄妹だったんでしょ」
「………」
早夜はミリアの言葉を聞いて、何も言えなくなってしまう。
そして、キュッと口を引き結び、ポロポロと涙を零し始める。
それを見てギョッとするミリア。
「え!? 如何したのサヤちゃん! 何処か痛い? それとも、気に触るような事言ったかしら?」
アタフタとするミリア。
早夜はぶるぶると首を振って見せると、顔を上げミリアを見上げる。
「違います。凄く嬉しいんです……」
そう言って、涙を零しながら微笑む早夜に、ミリアは暫し何も言えなくなってしまう。
その笑顔は早夜が言っている通り、心底嬉しそうに、そして幸せそうなものであった。
今回、イーシェの口を借りて、魔法の説明を入れました。
魔法に、文系と理系があったなんて……。自分で考えていてビックリです。