3.貴族の服
温かなものが柔らかく髪を撫でてゆく。
時折、その温かなものは早夜の頬も撫でていった。
少しばかりくすぐったく、思わずクスリと笑うと、その温かなものはピタリと止まり離れてゆく。
それは何だか寂しい事のように思え、早夜は離れてしまったそれを求めるように手を伸ばすと、直ぐに温かなものに触れ、それに擦り寄った。
すると、その温かなものは、早夜の体を包み込む。
それはとても心地よくて、更に擦り寄ると、頬に何か柔らかなものが押し付けられた。
「フフッ、くすぐったいよ、お母さん……」
ぼんやりとそう呟くと、直ぐに押し殺したような笑い声が響き、早夜はまどろみから押し上げられるように目を覚ました。
目の前に、澄んだ泉の様に綺麗な青い瞳が二つ、此方を面白げに眺めている。
パチパチと二度瞬きをすると、向こうは一度だけ、ゆっくりと瞬きをする。
相変わらず、温かなものに包まれており、早夜はこの綺麗な目の持ち主に、抱きしめられているのだと知った。
「おはよう、サヤ。残念だったね、君のお母さんじゃなくて……」
少々意地悪く笑う、目の前の男性が誰か思い出した時、早夜は声にならない悲鳴を上げた。
そして、急ぎ慌てて離れようとするのだが、彼の腕がしっかりと早夜の体を抱きしめていて、身動きすら取れなかった。
「は、放してくださいっ!!」
「何故? 君から擦り寄ってきたのに……」
憎たらしいほどに、余裕と色気のある笑みで、早夜を見つめてくるナイール。
早夜は先程まどろみの中で自分のした行為を思い出し、顔を真っ赤にさせた。
(ああ! 確かに私から擦り寄ったかも!)
「で、でも、何で一緒に寝てるんですか!?」
ここはベッドの上で、そしてナイールは自分と同じように、そのベッドの上で横になっている。
早夜の頭の中はもう、パニックで爆発寸前であった。
「だってここは、私のベッドだし……」
「え?」
「ここは、私の部屋の寝室のベッドの上だよ。私が寝ていても、なんらおかしな事はない……」
「えぇ!?」
そう言われてみれば、確かに部屋の中は煌びやかな造りだし、ベッドは恐ろしく広かった。
(え? え? ちょっと待って? どうして私そんな所で寝てるの? 何でナイール王子と?)
更に頭の中はパニックになる。
(だって私、ナイール王子に連れられて、王様に会って、そして――)
と、ここでハッとし、早夜はナイールの背に手を回した。
いきなり積極的になった早夜に、今度はナイールの方が戸惑い、その身を離す。
すると早夜は、今しがた彼の背に触れた自分の手を見つめ、不思議そうに首を傾げた。
「ナイール王子、王様に鞭打たれていませんでしたか? あれ? 夢?」
そんな早夜を見て、ナイールはクッと苦笑した。
「夢ではないよ。君だって鞭打たれていたろう?」
「ああ、やっぱりそうですよね! 私も打たれて――あれ? でも痛くない……?」
早夜は自分の背に触れようと、首と手を巡らせようとした。
しかし、直ぐにその手をナイールに掴まれてしまう。ビックリして彼の事を見た。
「え? 何ですか?」
彼は何処か楽しげに此方を見下ろしていた。
「サヤ、君は本当にお人好しだね……。ここまでくると、これはもう、馬鹿云々ではなくて、天性のもののようだ」
何だか馬鹿にされているようで、早夜はムッとする。
その顔を見て、ナイールは更に笑みを深くさせると、もう片方の手を使い、早夜の顎を固定してしまった。
「君は自分の事よりも、他人の事を優先させる事が出来る人間のようだね。
君はあの時、自分も鞭打たれ、傷ついているのにも拘らず、私の傷を真っ先に治した。今の事を見てもそう。まず、私の傷の確認を先におこなった」
「え? あ、あの、ナイール王子?」
ナイールは話をする間、徐々に顔を此方に近づけてきていた。
顔はしっかりと固定されていて、逸らす事は叶わない。
カァッと顔が熱くなる。
美形な人間は、アルフォレシアでも散々見た。
その中でも、リカルドとシェルとはキスまでしてしまった仲だ。免疫が出来ていても良さそうなものなのに、それでもこの色っぽく蕩ける様なナイールの微笑を前に、体が震えそうになってくる。
更にナイールは、同年代とは思えない位の大人っぽい眼差しで早夜を見つめてきた。
「サヤ、君が欲しいと言ったら、如何する……?」
「えぇ!?」
「君は役に立つと言ったね? 君のその力、私に役立ててはくれないか?」
「え?」
一瞬、ポカンとする早夜。
君が欲しいと言われて、別の意味に捉えてしまったのだ。
(うわっ、恥ずかしい!)
その勘違いに、羞恥で真っ赤になる早夜を見て、ナイール瞳が煌めく。
「何だったら、お望み通り、君を抱いてあげるけど?」
「そ、そんなの望んでません!」
「そう? 大抵の女性は、私がそう言うと、喜んで服を脱ぐんだけどね?」
相変わらず蕩けるような笑顔で、そんなあからさまな事を言うナイールに、早夜は顔をこれでもかと言うほど真っ赤にさせて、唇をわなわなと振るわせる。
(な、何て言うか、リジャイさんから聞いてた話だと、もっと穏やかな人をイメージしてたのに……)
そんな事を思っていると、早夜はそのままベッドに押し倒され、両手を縫いとめられた。
「私は君の力が欲しい。その為だったら、君を力づくで、という事も出来る……」
ナイールの眼差しが鋭く、刃のように鋭くなった。
一瞬、体が恐怖で竦むが、しかし早夜は真っ直ぐに彼を見返す。その視線を受け、ナイールは目を見張らせた。
「力づくで手に入れようとしても、心は砂の様にその手から零れ落ちてしまいます。心が離れれば、結局は、何も掴む事は出来ません……。教えて下さい。どうして私の力が欲しいんですか?」
ナイールは驚いていた。少女の手は微かに震えている。
しかし、この一見か弱く儚げな少女は今、自分を諭そうとしている。その上で、此方の話も聞こうとしているのだ。
ナイールは目を瞑り、ハッと短く息を吐き出すと、体を起こし、早夜から身を離した。
「……私はまだ、君を信用する所まではいっていない。まだ、話す事は出来ない……」
そして早夜の事をチラリと見ると、フッと笑った。
「どうやら私は、君を侮っていたみたいだ。ただの馬鹿なお人好しでも、か弱く震えるだけの少女とも違う……」
早夜も体を起こし、ナイールを見る。
確かに、今までは何処か馬鹿にしたような、からかう様な印象を受けていたが、今はそのようなものは感じられない。
ただ真っ直ぐに、対等に此方を見据えている。
「私はサヤの力が欲しい。その為にまず、あなたの心を手に入れる」
その眼差しと同じ位、真っ直ぐな言葉。これはつまり、愛の告白のようなもの。
(でも、力を手に入れる為に、恋をするというのは、何か違う気がする……)
アルフォレシアで、亮太を始め、リカルドやシェル、リジャイにまで好きだと言われた。物凄くドキドキしたし、此方も好きだとは思った。ただ、それが本当の意味での好きかどうかは、まだ早夜には判断できずにいる。
その事は物凄く歯がゆいし、はっきりとした答えを出してあげたい。でもまだ、自分には時間が必要な気がするのだ。
ただ、このナイールの言葉は、早夜にドキドキを与えるものではなかった。
彼の眼差しは、真っ直ぐだが、早夜自身を見ている訳ではない。自分を好きだと言ってくれた者達の様に、熱いものも、切なさを覚えるようなものも無かったのだ。
(ナイール王子は、人を好きになった事があるのかな?)
早夜は何となくそう考えてしまった。
(で、でも考えてみれば、私ってこれで、ご、五人もの男性に告白されたんじゃ……)
不意にそう思って、赤面する早夜。
(ナイール王子のは好きとはちょっと違うけど……皆、私の何処を好きになってくれたんだろう……。やっぱりこの万物の力のせい? でなければ、自分で言うのもなんだけど、背も低いし、胸もないし、幼児体型だし――)
早夜は溜息をついて、自分の胸に手を置いた時である。
何故だか異様にスウスウする。指が素肌に触れる。
「あ、れ……?」
その時初めて自分の姿を見下ろす早夜。
自分の目を疑った。
「な、何これ!?」
「ああ、前の服は裂けてしまったからね。別の服に着替えさせたんだ。一応、それでも貴族の女性が着る物だよ」
思わず、嘘だと叫び声を上げたくなる早夜。
何故ならば、それは到底服などとは呼べない代物だったからだ。
五センチもずらせば見えてしまう……。
ともすれば、水着や下着よりも際どいかもしれない。かと言って、単純なつくりの物でもない。
唯一の救いなのは、腰布が巻かれている事だろうか。
それが巻きスカートのように、太ももを隠してくれているので、いくらかマシと言える。
「言っておくけど、嘘ではないよ。この国では、生まれた女性を表に出さないように、屋敷の奥に隠す。女性は、貴族たちにとっては、政略結婚の道具と言えるからね。
だから、逃げ出してしまわないように、裸に近い格好で、靴さえも存在しない。その代わり、かなり贅沢な暮らしはしているよ」
そんなものは、籠の鳥ではないかとナイールの話を聞きながら思った。
そして、ハッとして、ベッドのシーツを体に巻きつける。
今更隠しても遅いのだが、これは早夜の気持ちの問題である。
早夜のその様子に、ナイールはフッと笑い、ベッドから降りた。
「この部屋は君の好きに使っていいよ。そこにあるベルを使えば、使用人も呼べる。必要な物があれば、言いつけて持ってきてもらうといい。ただし、着る物意外だけどね」
「こ、こんなの着せてまで、私の力が欲しいんですか!?」
たった今、心を手に入れると言わなかったであろうか。こんな事をして、心を手に入れる所ではないのではないかと早夜は思ったが、ナイールは肩を竦めると首を振った。
「それも最初は考えたけど、でも、その理由だけで着せた訳ではないよ」
すると、ナイールは早夜に何かを放った。早夜の目の前に、銀色の欠片が転がる。
「あ……」
早夜は、それが何か分かると、自分の首に触れた。
そこには枷が存在しない。
「サヤ、君はあの枷をいとも簡単に外してしまった。作った本人の魔学者さえも解除不能なその枷をね……。新しい枷を用意する為の、その服はその代わりだと思って欲しい。
新しい枷は、空きが出るか、新しく作らなければならないから、少し時間が掛かるかもしれないけど……」
「でもだからって……私、逃げたりなんかしません」
しかし、ナイールはまたもや首を振る。
「あの枷は、王の所有物だという証だ。王の許可なくして、奴隷を傷つけることは許されない。かと言って、酷い事をされない訳ではないけれど……。それでもまだ、奴隷扱いされるだけましだと言える」
「奴隷扱いされるだけまし?」
「そう。誰の所有物でもない、枷をしていない異界人が、王宮の中をうろつくとどうなると思う?」
早夜を見据えながら、ナイールは尋ねた。
分からずに早夜は首を傾ける。
「好きに扱える玩具が目の前を歩いているとなれば、王宮の者たちはこぞって、その人間を手に入れようとするだろう。そうして捕まれば、後は散々甚振られ遊ばれて、後は使い物にならなくなったら、砂漠に捨てられる」
「………」
早夜は真っ青になってブルリと震えた。
「奴隷を奴隷と至らしめる枷が、その実、奴隷を守っているなんて、皮肉な話だろう?」
ナイールは皮肉げに笑う。
そこで早夜はふと、彼に問いかけてみた。
「ナイール王子は、枷が嫌いなんですか?」
すると、彼は軽く肩を竦め、
「さぁね。枷をした事の無い人間が、好きも嫌いもないんじゃないかな……」
「でも……」
良くは思っていないんじゃないかと思った。
考え込むように俯く早夜を、ナイールは見下ろす。
「ともあれ、こうして私の部屋に、そういった服を着せて置いておく以上、周りの者は君を、私の所有物だと思うことだろう。そうすれば、誰も手は出せない筈だ」
「……つまりは、この服は私を守る為だという事ですか?」
早夜がそう言うと、ナイールはフッと柔らかく微笑む。
「それが大きな理由ではあるけれど、私は君が、自分の姿に気付き、慌てふためく姿が見たかった」
「はい?」
「それに、確認もしたかったからかな? 他の場所も小さいのかどうか……」
「え?」
ナイールがニヤリと笑い、今はシーツで覆われる、早夜の胸元に目を遣った。
一気にカァッと、顔が羞恥と怒りで真っ赤に染まる。
あまりの事に、涙まで浮かんで、早夜は頬を膨らませた。
それを見て、ナイールは満足げに頷くと、部屋を出ようと扉に手を掛ける。そして、一度振り返り、蕩ける様な笑みでこう言った。
「サヤ、あなたの怒った顔は可愛い……」
「っ!!」
今度は違う感情で真っ赤になる早夜であった。
誰も居なくなった部屋で、早夜は漸く落ち着き、深い溜息をつく。
「……怒った顔は可愛いって……」
それでは、他の時は如何なのだろうと、思わず心の中でつっこんでしまう。
「それにしても、この格好じゃ、何処にも出歩けないよ……」
早夜は改めて自分の姿を見下ろす。
目が覚めてから、自分の姿に気付くまで、結構時間はあった。
その間、ナイールはこの姿をばっちり見ていたという事だ。
と言うか、意図的に彼は早夜が気付くのをぎりぎりまで阻止していたように思う。
何の為か。それは気付いてしまってからじゃ、まともに話せないと思ったのだろうか。それとも、ただからかっていただけなのか……。
ともかく、この姿では、リュウキや蒼たちに会いに行く事は出来ない。
うーんと考え込んでいると、パッと頭に浮かんだ人物がいる。
「そうだ、カンナさん! えーと……カンナさん、いますかぁ?」
カンナは確か、自分に付かず離れず、姿を消して傍にいると言っていた筈である。
しかし、そうやって、誰もいない空間に話しかけてみるが、何の応答も変化もない。
シーンと静まり返る部屋に、早夜は空しさを感じた。
「うーん、そうだよね。カンナさんにも、都合ってものがあるよね。本当に、ずっと付いてるって訳にもいかないもんね……」
残念だが、ホッとした気持ちになる早夜。
いつでも見張られているとしたら、それはやはりいい気分ではない。
そして、今度はポンと手を叩いて、
「それじゃあ、マオさん!」
彼女との友情の証である、腕輪の存在を思い出す。
それは、魔法通信具でもある。
そしてマオに、報告しようと腕輪を見ると、そのついでと言うか、左手の薬指に目が行った。
ちょっと、場所が場所だけに、何だか気恥ずかしい。
この指輪もまた、魔法通信具だ。
それをくれた人物の事を思い出す。
「そういえば、リジャイさんは如何してるのかな? 大事な用事ってなんだろう……」
確かリジャイがそう言って、暫く連絡も取れないと言っていた。
そして、リジャイはカンナには、用事の内容を話したらしいのだが、カンナは時が来れば分かりますと言うだけで、何も教えてはくれなかった。
一応繋がっているみたいだから、話しかければ届く筈である。なので早夜は、報告だけでもと、指輪に話しかけた。
「リジャイさん、聞こえますか? 私いま、クラジバールに来ています。ビックリする事ばっかりで、早くも挫けそうですが、でも頑張りたいと思います。リュウキさんにも、蒼ちゃん達にも会いたいから……。
リジャイさんは、えっと……大事な用事なんですよね? 何をしているのかは分かりませんが、体に気をつけて、頑張ってください」
何だか、留守電に伝言を入れてるみたいだなと、少しばかりクスリと笑う。
そして次はマオに連絡を入れようと、早夜が腕輪を見た時、
『――……早夜?……』
何だか、物凄く遠くに感じる声だった。
「リジャイさん!?」
びっくりして、指輪に話しかける。
『……ああ、やっぱり少し、聞きづらいね。多分、結界の外からじゃこんなものかな……』
「結界の外? じゃあ、リジャイさんはクラジバールには居ないんですね? まだアルフォレシアですか?」
『……いや、アルフォレシアではないけど、遠い所かな。色々と忙しくて、今まで連絡できなくて御免ね? ちょっとだけ落ち着いたから、こうして会話も出来るんだけど……また連絡できなくなりそうなんだ。だから、今の内にってね……』
「そうなんですか……。何だか、リジャイさんの声が聞けなくなると、ちょっと寂しいですね……」
何となしに、そう呟いた所、向こうから笑い声が聞こえてきた。
『……フフッ、ちょっとだけなんだ。僕はものすごーく寂しいけどなぁ……。早夜の温もりも、心臓の音も、凄く恋しい……』
声は遠いけれど、切なげに、そして本気で言っている事が分かって、早夜はドキドキと胸が高鳴っる。
彼の優しい眼差しを思い出すと、何だか心細く縋ってしまいたくなった。
それで、
「……リジャイさん、あの、実はナイール王子が……」
と、先ほどナイールに言われた事を言おうするのだが、
『……ん? ナイール王子が如何したの?』
「あ……い、いえ。やっぱり何でもないです……」
彼は今、大事な用事の最中なのだ。
こんな事を言って、気持ちを煩わせては迷惑だろう。
そう思って、言わないでおく事にした。
『……ナイール王子、彼は異界人や奴隷に甘い所があるから、多少の我侭を言っても結構許してくれたりするからね……。本当の目的とか言わなければ、自由に動かせてもらえるんじゃないかな……』
「え!? あ、甘いですか? じ、自由に……?」
うーんと考えてしまう早夜。
今日の彼を見て、そんな風には到底思えない早夜。
『……何かあれば、カンナに何でも言えばいい。彼女は早夜の僕みたいなものだからね。早夜の言う事であれば、何でも喜んでやると思うから……』
「は、はい……そうします……」
そのカンナも、現在傍には居なかったりするのだが、早夜はこれもやっぱり言わないでおく事にする。
『それはそうと、王様にはもう会った? 大丈夫だった? 何もされてない? あの王様、短気で被害妄想持ちだから気をつけなきゃ駄目だよ?』
「えと……あの、は、はい!」
ギクリとしながら答える。
実はもうされましたとは、到底言えない。
(こうして振り返ってみると、全部言ったらどれだけ心配されるか……)
やはり何も言わないでおこうと、早夜は強く思った。
『うーん……なんか歯切れ悪いよ? もしかしてもう何かされた? 怪しいな……』
リジャイの呟きに、ギクリとする早夜。
しかし彼は、これ以上追及する事はなく、
『じゃあ、そろそろ時間切れ。これからも報告だけはしてくれると嬉しいな』
陽気にそれだけ言うと、後はもうリジャイの声が、耳飾から聞こえてくる事はなかった。
「これ以上は僕が限界かな……」
リジャイは会話を終わらせると、指輪を口元から離し、そう呟く。
そして、少し疲れたように溜息をついた。
世界を股に掛けた遠距離通話は、魔力の消費が激しい。
「早夜の方は大丈夫かな? いくら万物の力を持っていると言っても、体は普通だからなぁ……。流石に魔力を使いすぎたりすると、体力の方が限界なんて事も有り得るからなぁ……」
ううーんと腕を組んで考えるリジャイ。
しかし、直ぐに顔を上げると、
「でもまぁ、超高度な術を連続で使ったり、数種類の魔法を同時に行ったりしない限り大丈夫か!」
明るく笑って言った。
まさか、そのどちらの行為も行ってしまい、倒れたなどと知る由もない。
と、その時、
「あー! いたいたー! おーい! 神様ー!」
「こら! 三眼神様と呼びなさいって言ってるでしょう!?」
そこに、あの幼い姉弟が現れる。
この姉弟、あの後名前を教えてもらった。
姉の方はオキ。弟の方はライと言うそうだ。
「いやいや、別に何でも構わないよー。むしろ、三眼神って呼び方はあまり好きじゃないかも。ジャイジャイかクーちゃんって読んでくれた方が嬉しいなー」
軽い口調でそんな事を言うリジャイに、姉のオキの方は戸惑った顔をする。
「それで? 君たちは何の用なのかな?」
「あ、そうだ!」
弟のライは、リジャイの前に、ドンと籠を置いた。中には、山菜やら果物などがぎっしりと入っている。
実はさっきから、何か重そうに背負っているなとは思っていた。
「これは?」
「お供え物!」
ライは元気にそう言って、リジャイに向かって手を合わせると、拝み出した。
「神様神様、どうかおいらの願いを聞いてください。今すぐ字が読めるようになりますように。上手いもんがたらふく食えるようになりますように。金持ちになれますように。頭がよくなりますように。後、力持ちにもなりたい!」
「ラ、ライ!? ちょっと!」
姉のオキがギョッとした様に弟のライを注意する。
どうやらオキも、弟の意図は知らなかったようだ。
リジャイはというと、一瞬キョトンとした顔になったかと思うと、弾ける様に笑い出した。
「ははは! これはまた、すっごい欲張りな願い事だね! そんなにいっぺんにお願いされても、そのお供え物じゃ、一つも叶えられないな」
「えぇー! だってこれ、すっごい苦労して採ってきたのにぃ! 神様って、以外にケチだったんだな!」
「こ、こら、ライ!!」
「ははは、まーねー。僕はケチな神様なんだよ。なんたって、お供え物は人間じゃないと駄目なんだからね」
「え? 人間!?」
リジャイは二ィーと笑うと、声を低くして言った。
「そう、人間……。だってライ、僕と会った時に聞いていたろう? 僕が人間を食べるのかどうか……。あの時僕は、その通りだと言ったよね? 僕は、人間を食べる神様なのさ……」
フフフと凄みを効かせて笑うリジャイに、ライは少々怖気づいたようにオキの後ろへと隠れた。
「で、でもおいら、人間を御供えなんて出来ないよ……」
「まぁ、そうだろうね……。だから、僕に神様としてのお願いはもうしない事。でも、今言ったお願い事の一つ、文字が読めるようになりますようにってのなら、一からでいいなら教えてあげようか?」
このお供え物じゃ、それ位かな、とリジャイは籠の中の果物を一つ取り出すと、ニッと笑った。
そんなリジャイの申し出に、ライはパッと顔を輝かせると、懐から一冊の本を取り出した。
「あ! それ、私の本!」
「別にいーじゃん! 姉ちゃんだって、字が読めないくせに! この際姉ちゃんも神様に文字習おうぜ!」
ライはリジャイにその本を渡す。
「この本の文字が読めるようになりたいんだ!」
リジャイがその本を見てみると、それは物語が書かれたものだった。
中には、多くの挿絵が描かれており、その絵だけでも楽しめるものであった。
しかしながら、リジャイはその本を持ったまま、少々怪訝そうな顔をしている。
何故ならば、このキサイ国ではまだ、印刷術はあまり発達していない。
こういった本はこの国では、金持ちの道楽であったのだ。
暫し考えていたリジャイであったが、ライの興奮し、わくわくした様子を見ると、フッと笑って、
「ではまず、君の名前“ライ”の文字から覚えてゆこうか……?」
そう言って、拾った枝で地面に文字を書いて見せるのだった。